二回 力足らざる者は中道にして廢す
第12話 再会
黄色く淀んだ風が吹いている。
西から運ばれる黄砂が天を曇らせているのだ。古来続く春の風物詩とはいえ、何日もこの有様では思考すら煙らされるようで敵わなかった。
「春か……」
日の出から机に向かって
激動の県試から季節が一巡した。
その間、取り立てて面白味のあることもない日々だったといえる。
再試験となった県試は難なく突破し、続く府試も危なげなく合格した。残るは学校試の最終関門、
雪蓮も黎家集の実家、雷家の邸宅で勉学に励行していた。
今頃、あの天真爛漫な少女――耿梨玉も真面目に机に向かっているのだろうか。
というか、梨玉はいったいどの辺りに居を構えているのだろうか。
県試の再試験、府試、いずれも梨玉とは顔を合わせていなかった。殺人事件が起きたことの反省から、童生たちは部屋を小分けにされて――あたかも囚人を監視するような恰好で受験させられたのである。女みたいな童生がいたという噂が流れてきたため、梨玉が受験していることは確実だったが、結局、その姿を拝することは叶わなかった。
(もう一年だな。息災だろうか)
心配するのも変な話ではあるのだが。
雪蓮は筆を置くと、身体の凝りを解すために大きく伸びをする。
その時、背後の戸がするすると開かれていく気配がした。
「おや、雪蓮さま、休憩ですか」
「
「おやつを持って参りました。そろそろお疲れなんじゃないかと思って」
雪蓮よりも一回り小さい少女だった。雷家に住み込みで働いている下女の一人、仲麗である。雪蓮とは気心の知れた仲だ。
仲麗は紅色の棗が乗った皿を文机に乗せると、窓の外を見上げ、あらまあ、と困ったように呟いた。
「ひどい天気ですね。これじゃあ勉強にも身が入りませんでしょう?」
「場所を替えたい。そろそろ府城に出発しようかと思っているよ」
府城とは、府の行政機関が軒を連ねる中心地のことだ。院試が行われる知府も府城にあるが、これは以前雪蓮が府試でお世話になった場所と同一である。
仲麗は紅棗をひょいと口に放り込みながら言った。
「雪蓮さま、それは一向に構いませんけれど、気をつけてくださいね。女の子だってことがバレたら、受験資格剥奪じゃ済まされないかもしれませんよ」
「バレないよ。県試でも府試でも問題なかったんだから」
「まあそうですよね、雪蓮さまったら、男の恰好をしてみたらとんでもない美丈夫なんですもの。惚れ惚れしちゃいますわ」
「からかうなよ……」
「本当のことです。雪蓮さまが男の方だったらよかったのに」
やめてほしい。頬を赤らめてそんなことを言うのは。ちなみに六年ほど前、雪蓮が男装するようになってからというもの、仲麗のスキンシップはいっそう激しくなった。
「……性別なんて関係ないだろ。現に僕は県試も府試も合格したし」
「まあ! 女同士でもよいと仰るので?」
「そういう意味じゃない!」
仲麗は「冗談ですよ」と笑った。
「しかし、頭のいい人が考えることはとんと分かりませんね。女の子に生まれたのなら、無理せず家でお仕事をしていればいいのに……」
「そんなこと梨玉に言ったら怒られるぞ」
「梨玉? はて、どなたでしょうか?」
「何でもない」
雪蓮は立ち上がって支度を始めた。持ち物はすでに準備してあった。
「もう行かれるんですか? 慌ただしいことで」
「ふた月ほどしたら帰ってくるよ。父によろしく言っておいてくれ」
善は急げと言うわけではないが、雪蓮は思い立ったら即行動するタイプだった。ちなみに、ここから府城までは馬で半日かかる。今から出発すれば、府城の閉門には十分間に合うだろう。
部屋から立ち去ろうとした雪蓮の背中に、仲麗が慌てて声をかけた。
「そうだ雪蓮さま、一つお伝えしておくことがありました」
「何だ」
「近頃、この辺りを兵隊さんがうろついているらしいですよ。隣の村の話では、消えた
「公主……?」
「公主って言ったらお姫様ですよ。何年も行方不明だったそうなんですが、最近目撃情報があったとかで、血眼になって捜しているんだとか……」
不意に、門のほうで話し声が聞こえた。
雪蓮は仲麗に引っ張られて前庭に出た。柱の影から様子をうかがってみると、雷家の当主――雪蓮の父親が、
「――いいかね、何度も言うが、この近辺に今上の姪君にあたる
「はあ……しかし、長楽公主さまはしばらく前にお亡くなりになったのでは?」
「それが見つかったというからお捜し申し上げている。見目麗しい女性に成長なさっているという話だから、見かければすぐに分かるだろうさ」
「こんな僻村ではなく県城や府城にいらっしゃるのでは」
「ええい口答えするな! そっちも捜しておるわ!」
兵士たちは唾を吐いて去っていった。
それを見送った父親が、溜息を吐いて肩を落としているのが見える。また厄介な騒動が起きているようだが、雪蓮には関係のないことだった。
「ひええ。兵隊さんって怖いんですねえ」
「田舎の兵隊なんてごろつきみたいなものだからな」
「へえ――って、雪蓮さま、どこに行くんですか?」
「言っただろ。府城だよ」
雪蓮は厩のほうへ向かうと、馬に跨って雷家を出発した。公主のことは心の片隅に留めておくとして、今重要なのは、院試をいかにして突破するかという一点である。
といっても、試験自体は臆するに値しない。
たかだか院試で躓くほどやわな勉強はしていないからだ。
熟慮すべきは――今後、自分の正体を隠し通せるかどうか。
「雪蓮さま! きっとお土産を買ってきてくださいね!」
背後で大声をあげている仲麗に手を挙げて答えると、雪蓮は一路、府城を目指して駆けるのだった。
□
半日で着くはずだったのに、結局着かなかった。
先日の雨で地滑りが発生したらしい。一本道を丸ごと覆い尽くしていたのは、黄色い土砂の山である。同じく立ち往生していた者たちに聞いてみると、府城へ向かうには、迂回して何日もかけなければならないようだ。
引き返すべきかと思ったが、決まりが悪いといえば悪い。
迂回するとなれば、どこかの村で一泊しなければならないのだが、はたしてそう簡単に宿が見つかるかどうか。考えあぐねていると、不意に聞き覚えのある声が聞こえた。
「小雪……? 小雪でしょ!?」
「え? 梨玉?」
そういう珍妙な
振り向いてみると、目を皿にしてこちらを凝視している女の子の姿が見える。
「うわあ! やっぱり小雪だ、久しぶりだね!? こんなところで何してるの!? ていうか今までどこで何をしていたの!?」
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