第13話 郷里

 梨玉は遠慮会釈なしに雪蓮の身体をぺたぺた触ってきた。やはりこの傍若無人さは耿梨玉に間違いない。


「お、おい! あんまり触るな……!」

「だってえ! 再試験でも府試でも会えなかったんだもん! 会いに行こうってずっと思ってたんだけど、小雪がどこに住んでいるのか知らなかったし……!」

「分かった、分かったから騒ぐなって」


 雪蓮はやっとの思いで梨玉を引き離した。

 久方ぶりに会う梨玉は、県試の時とあまり変わっていなかった。

 姉の形見の一張羅ではないが、女の子らしい襦裙じゅくんを身にまとっている。


「で、梨玉。あんたは何故ここにいるんだ」

「お葬式の帰りだよ。親戚のところへ行ってたの。そういう小雪はどうなの」

「僕は……」


 隠しても仕方がないので正直に話すことにした。梨玉はすべて聞き終えると、画眉鳥がびちょうのように高い声をあげて言った。


「えー!? 小雪って黎家集れいかしゅうに住んでたの!? 私の村とそう離れてないじゃん」

「そうなのか? 世間は意外と狭いものだ……」

「そもそも黎家集っていう集落は、私の村――英桑村えいそうそんの人たちが、洪水被害から逃れるために移住した場所なんだよ。もうそっちに住みついちゃって戻ってこない人もいるけど」


 それは初耳だった。

 梨玉はにっこりと笑った。


「これも天運だね! 私と小雪は切っても切れない縁で結ばれていたんだ」

「そうとは限らないと思うが……」

「今日はうちに泊まっていってよ。小雪なら大歓迎だよ」


 雪蓮は信じられない思いで梨玉を見つめた。

 その表情がよほどおかしかったのか、梨玉はくすりと笑って雪蓮の腕を引くのだった。



          □



 梨玉の故郷、英桑村は、戸数三百余りの小さな村だった。か細い水路を囲むようにして白い壁の建物が並んでいる。その中でも一際大きいのは孔子廟だろうか。


 雪蓮は馬を厠に預けると、梨玉に引き連れられて耿家の屋敷に案内された。屋敷といっても雷家ほど立派なものではなかった。壁はひびに覆われ、その隙間から草木が生い茂っている。


「……意外と復興してるんだな。廃墟同然かと思っていたのに」

「小雪、遠慮ってものがないねえ? 復興してるのは当然だよ、みんな頑張ってるんだから。私もみんなのために科挙登第しなくちゃいけないんだ」


 梨玉は苦笑しながら戸を押して開いた。

 内部は何の変哲もない民家の光景である。辺りの様子をきょろきょろと伺っていると、梨玉が「ほら座って」と椅子を引いた。


「夕餉の準備をするね。もうちょっと待ってて」

「僕も何か手伝おう」

「いーの! 小雪はお客さんなんだから」


 梨玉は笑って支度を始めた。

 すると、奥の間から齢四十くらいの女性がひょっこり姿を現した。


「あれま梨玉、お帰りなさい」

「お母さん! こっちはやっておくから休んでいてよ。あ、お葬式のほうは問題なく終わったか大丈夫」

「そうかい。あたしも脚が丈夫なら行きたかったんだけどねえ」


 そこで梨玉の母親は雪蓮に目をとめた。


「おや梨玉、いったいどちら様を連れてきたんだ? とんでもない美男子じゃないか」

「何を言ってるのお母さん、小雪はおん――」

「雷雪蓮と申します。梨玉さんとは仲良くさせていただいております」


 雪蓮は梨玉を押しのけて頭を下げた。性別を言い触らされるのは困るからだ。梨玉も遅れて自分の失態に気づいたのか、ハッとして左手で口元を覆った。

 梨玉の母は面白そうに笑うと、杖をつきながら雪蓮の対面に腰かける。


「ほお。梨玉がこんな相手を見つけてくるとは。どこの人だい」

「黎家集です」

「黎家集か! あそこにはうちの一族も住んでいるんだよ! いやしかし、雷雪蓮ってことは、もしやあの雷家のご子息なんじゃないかね?」

「ええ、まあ……」

「やっぱりそうだ。そうだと思ったんだよ。雷家はこの辺りじゃ有数の分限者ぶんげんしゃだからね、それじゃ雪蓮はその見た目の通りの貴公子だったってわけだ」

「え、小雪、そうなの……?」

「貴公子なんてよしてくださいよ。うちがそれなりに富裕だったのは事実ですが、昔の話です。今ではすっかり落ちぶれたもので」

「にしてもうちと比べたら大したもんだ! よかったねえ梨玉、こんな男を捕まえられるなんて、あんたはついているよ」

「お母さん……小雪はそんなんじゃないったら」

「じゃあ何なのさ。家まで連れてくるなんてよっぽどだよ」

「それは……」


 梨玉は耳まで赤くなって押し黙ってしまった。本当のことは言えるわけもない。雪蓮も雪蓮で居心地の悪いものを感じて視線を天井へと向けた。


 仲麗ちゅうれいから聞いた話だが、この辺りの地方では、年頃の女子が男子を実家に連れてくることは、そのまま婚姻を前提とした関係であることを示す行為でもあるらしい。事実、梨玉の母は気をよくして雪蓮の肩を叩くのだった。


「さあ雪蓮、ここはあんたの家も同然だ。ゆっくりしていってくれ」

「お母さん! だから小雪は違うの!」


 梨玉の訴えが虚しく響いた。

 こうして雪蓮は耿家で一夜を明かすことになった。

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