第7話 鳳雛
「昼間、窓からチラッと見えたんだが、やつは木陰から俺たちの部屋を覗き見してやがった。顔は分からないが、派手な服を着た女だよ……劉謙を狙ってたに違いない」
「給仕係じゃないのか」
「あんな恰好をした給仕係がいるか！」
この話の行きつく先は決して気持ちのいいものではない。
童生たちの目は紅一点へと吸い寄せられた。
「お前……確か
「そ、そうだけど」
梨玉の肩が強張る。童生たちは険しい表情で彼女を見つめている。
「本当に男なのか？ 顔かたちも男にしては綺麗すぎるよな」
「私は男だよ！ ここにいる時点で分かるでしょ」
「そりゃそうだ。しかし、そんな服を着ていれば疑われても文句は言えないよな。たとえお前が男だったとしても、こいつが窓から見た女ってのがお前だった可能性は否定できない。その形では
「でも……」
「
これには反応せざるを得なかった。無視しても調べればすぐに分かるのだから、堂々と振る舞うよりない。
「……そいつと一緒の部屋なのは僕だけだ。でもちゃんと不在の証明があるぞ」
「どういうことだ？」
「僕がずっと見ていた。耿梨玉に殺人を犯している暇なんてなかったよ」
「そ、そうだよ！ ちなみに
「私も耿梨玉殿は潔白だと思うな」
そう言って挙手したのは李青龍だ。相変わらず飄々とした態度で一同を見渡している。
「梨玉殿は瞳が澄んでいる。これが殺人を犯す者の目に見えるかね？ 服装が人並みではないからといって、疑うのはよくないぞ」
「あ、えっと、あなたは？」
「私は
「おい。ちょっと話しただけだろ」
「えー!? ずるいずるい！ 私も小雪とたくさんお話ししたい！」
雪蓮は呆れた。状況を理解してほしい。
痺れを切らした童生が、剣呑な調子で割って入った。
「何を騒いでやがるんだ。耿梨玉と雷雪蓮、お前らは互いに『この人は白です』と言い合ってるだけだろ？ 他の連中みたいに複数の証言があるわけじゃない。それをどうやって信じろっていうんだ。あと李青龍はトンチキすぎて話にならん」
「その通りだ！」
「この二人が怪しい！」
「おいおい待てったら。雪蓮殿や梨玉殿がそんなくだらないことをするわけがないだろ」
「黙ってろ！ というか李青龍、お前も共犯なんじゃないのか！」
童生たちはヒステリーを起こしたように騒いでいる。この特殊すぎる状況下では冷静さを欠くのも無理はないが、雪蓮にとっては甚だ都合の悪い展開だった。このまま知県に報告でもされれば、大した証拠もなしに処罰される危険性が否めない。
だが、その時。
雪蓮は不思議な光を見た気がした。
「だったら！ 私が事件を解決するよ！」
梨玉は筆舌に尽くしがたい陽の気を放っていた。
童生たちがぎょっとして彼女を見つめる。
「四場で首席になる。そうすれば、犯人が私を殺すために襲いかかってくる。誘き寄せて捕まえればいいんだよ」
「おい、それはいくら何でも……」
「ねえ小雪。私が一等になるのは難しいかな……？」
「そういうことじゃない。身を削りすぎだと言いたいんだ」
「じゃあ小雪が守ってよ」
李青龍が口笛を吹いた。
そんなことを真剣に頼まれたら口籠るしかなかった。
無言を肯定と捉えたのか、梨玉は他の童生たちを振り返って言った。
「悪いことをする人が許せないの。私は先の洪水で家族と故郷を失った。ここにいる人たちは知っていると思うけれど、あれは天災じゃなくて人災だった。自分の都合で他の人の命を奪うなんて、絶対にやっちゃいけないことなんだよ」
「それは分かる。だが無茶だ。僕に守れるかどうかも分からないし……」
「頭場の第一問にもあったでしょ？
梨玉の無垢な正義感は、童生たちの心を大なり小なり動かしたらしい。彼らの中にも洪水の被害を受けた者はいるのだ。賛同する声がぽつぽつと上がり、やがて一同は「そういうことなら」と梨玉に協力する方向で緩く連帯することになった。
その流れを見守りながら、李青龍が小さく拍手をしている。
「素晴らしいな。雪蓮殿が見込んだだけのことはある」
「だからお前はどの目線なんだよ」
「まあいいじゃないか。私も陰ながら二人のことを応援しているよ」
この男の腹の内が読めなかった。
いずれにせよ、まずは梨玉を四場で一等とすることが急務だ。こんな方法で首席を作り上げたとして犯人の食指が動くかどうかは不透明だが、一石を投じるという意味でも実行する価値はあった。
かくして事件解決に向けた作戦が始まったのである。
（耿梨玉。この少女は……）
雪蓮は密かに彼女の横顔を盗み見た。
気づかれ、花が咲いたような笑みが返ってくる。
耿梨玉は
□
とはいえ、やはり梨玉のことを疑う者も一定数はいるようだ。場がお開きとなり、各々が宿舎に戻らんとする時、にわかに雪蓮を呼び止める声があった。
「なあ。耿梨玉のことなんだが」
猿のような顔の童生である。試験会場で何度かすれ違った覚えがあった。
「俺ぁ洪水の話を聞いてからピンと来るものがあったんだが、けだし耿梨玉は復讐のために動いているのかもしれんね」
その梨玉が遠くで手を振っていた。
何してるの小雪ー、はやく行こうよー、という無邪気な声がこだまする。雪蓮はそれを無視して猿に視線をやった。
「復讐って何のことだ？」
「いや、知県の
「それが？」
「
この男の言う通りだった。
梨玉の故郷も甚大な被害を受けたという。
「で、今は県試が大騒ぎだ。庁舎で殺人事件が起きたとなれば責任問題。三人も死んだわけだし、あろうことか知県さまは生来の意地汚さを発揮してひた隠しだ。このことが詳らかになれば、よくて流刑、悪けりゃ極刑かもな」
「何が言いたい」
「だから復讐だよ。耿梨玉が知県を追い詰めるために人を殺したんじゃないかって」
「なるほど。言われてみればその可能性もあるな」
雪蓮は踵を返して歩き始めた。
すでに県庁は薄暗く、夜の帳が下りている。
梨玉は心配そうな顔をしながら待ってくれていた。
「何話してたの？ 浮気？」
「何だよ浮気って」
「小雪を独り占めしていいのは私だけだからー」
「おい、くっつくなって言ってるだろ！ 他の連中が変な目で見ている」
「いいじゃん別にぃ」
近頃は何故かスキンシップが増加しているので臓腑に悪い。
さておき――〝義を見て爲さざるは勇無きなり〟である。
はたして彼女は正義を体現することができるのだろうか。
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