第4話 開幕
翌々日。
「あった! あったよ小雪!」
梨玉が喜色満面で飛び跳ねた。彼女の名前はかなり下のほうに記されていたが、ここに載っている時点で合格であることに変わりはない。
「やっぱり私って天才? このまま
「調子に乗るなよ」
「
「どうせなら一等になりたかった。次は負けない」
「残念! 次に一等になるのは私だかんね!」
梨玉は合格できたことでテンションが高まっているようだ。明日には二場の試験が始まるのだが、この一時ばかりは存分に喜んでおくのがよいだろう。
雪蓮は何となしに貼り紙を眺めた。一等に列されたのは
「おい。あれ」
その時、にわかに童生たちがざわついた。
ざわつきは波紋のように広がり、やがて大きな波濤となって県庁の前庭を包み込む。童生の一人が頭上を指差して叫んだ。雪蓮と梨玉も何となしに見上げる。県庁の入口の巨大な門、その上部に、縄で括りつけられた何かがぶら下がっている。
梨玉が息を呑んだ。
それは人間大の――否、まさに人間に他ならなかった。
「人だ! 人が死んでいるぞ!」
縄で首を絞められ、怪物のように剥かれた目で童生たちを不気味に見下ろしている。風に吹かれてぷらぷらと脚を揺らす様は、何かの悪夢としか思えなかった。縄は門のへりに引っかけられているらしく、合格発表の貼り紙のちょうど真上に位置していた。
事態を悟った群衆から悲鳴がほとばしった。
県庁の
青褪めて立ち尽くしていた梨玉が、ぽつりと呟きを発した。
「あの人、一等の周江さんだよ」
「何だって?」
「前庭で絡んできた人。小雪が追い払った男の人……」
雪蓮は死体を仰ぎ見る。
死相が凄まじいので気づけなかったが、確かに見覚えのある顔だった。
それは死のにおいを
喧噪の中、雪蓮と梨玉はいつまでも棒のように突っ立っていた。
□
自殺ではなく他殺ということになった。直接の死因は窒息ではなく、頭部を刃物で突き刺されたことによる失血らしい。といってもこれは童生たちの間で囁かれる噂にすぎず、実際のところは県庁が目下調査中である。
とにかく、県試で死人が出るなど前代未聞の大惨事だった。
童生たちは怯え、自分の身も危ういのではないかと不安がっていた。
周江を殺した犯人は県庁に潜んでいる可能性が高いからだ。
梨玉も雪蓮の部屋を訪ね、思い詰めたような顔をしていた。
殺人事件が起これば誰でも怖いものだ。
「県試、やっぱり中止になっちゃうのかなあ」
「だろうな。こんなことが起こったら試験どころじゃない」
梨玉はそっと雪蓮に身を寄せてきた。
どぎまぎしたが、今晩ばかりは撥ね退けるのは無粋に思えた。
いずれにせよ、県試の全責任は知県にある。上に報告が行けば、あの
雪蓮は梨玉の頭をそっと撫でながら溜息を吐くのだった。
□
しかし、知県の対応は想定の数段上をいった。
「殺人など起こらなかった」
翌日、なんと
しかも試験が始まらんとする時、知県は
「とはいえ、未来ある童生が亡くなったのは確かだ。他言すれば無用な混乱を招くであろうから、諸君は決してこのことを外部に漏らさぬように。あと、諸君の
金品を渡すから黙っていろ、と童生を脅している。
上に報告するつもりがないどころか、積極的に揉み消す腹積もりらしかった。
一度
「殺人事件は起こらなかったが、しかし、このまま放置しておけば第二の被害が出るやもしれぬ。ゆえに以後の試験においては、不合格者であっても県庁から出ることを禁ずる。そして諸君にお願いしたいことがあるのだが……」
知県は童生たちを睨めつけながら言った。
「何か不審なことがあれば、臆することなく報告してほしい。もしそれで不埒者を捕まえることができたならば、諸君の望むように便宜を図ろうではないか」
試験会場は動揺の渦に突き落とされた。
紛れもない汚職の片鱗を見せつけられたからである。
「では二日目を始める。並行して犯人捜しも
知県は真面目腐ってそう言った。
隣の梨玉は、呆然と彼の
□
「小雪ーっ! 今日もお邪魔するねっ」
「わあ!? くっついてくるな!」
日が暮れて後、梨玉がいつものように部屋を訪れた。戸を開くと同時に猫のように身体を擦りつけてくるものだから、雪蓮はぎょっとして飛び上がってしまった。引っぺがされた梨玉は、悪びれた様子もなく「えへへ」と笑った。
「今日の試験、どうだった? 合格してそう?」
「僕は問題ないが……」
「私も問題ないよ! 詩作は得意なの」
そういえば、今日は詩に関する設問がメインだった。
科挙は
四書五経四十三万文字を頭に入れたうえ、古人が経書につけた注を頭に入れ、注の注たる
問題は基本的に記述形式。内容に加えて文章の良し悪しも見られるから、一字とて
「……まあ、今は試験よりも殺人事件のほうが盛り上がってるよな」
「うん……不純だよね。犯人見つけたら合格だなんて」
「あの知県はあらゆる意味で汚い」
県庁に閉じ込められた童生たちは、躍起になって探偵ごっこに興じている。知県の覚えがよくなれば、県試を問答無用で通過できるのだから無理もない。
「ねえ小雪。周江さんは、どうして殺されちゃったのかな……」
「あの性格だ、恨みを買っていたのかもな」
雪蓮は二場が終わってから色々と調査をした。
周江と同郷の童生が言うには、周家は代々官吏を輩出してきた家系らしく、その嫡子たる周江は家の権勢を頼りに好き放題やっていたようだ。無銭飲食や婦女暴行は日常茶飯事で、あの男に陥れられた
「でもさ、どうやったんだろうね? 死体をあんな高いところから吊り下げるなんて」
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