絵描きの絵
1
スィルシオおじさまが誰かに殺されても、私は特に何の感情もわかなかった。我ながら残酷なほど、悲しいとか辛いとか、全然思わない。
ただ、この状況にはちゃんと動揺していた。
「さっき聞こえた銃声って……」
ほんの少し前に誰かがおじさまを撃ったことは、あまりに現実味がない事実だった。
――妹のニャンシャは美少女だった。小さな頃から可愛らしくて、私は姉として彼女のことが好きだった。でも、両親があまりにも彼女にばかりお金をかけるため、成長とともに私は自分の置かれた境遇の
使用人たちもみんな妹ばかりをちやほやして、私を見てくれる人はいなかった。唯一の救いは鉛筆とスケッチブック。絵を描くことだけが楽しくて、束の間、嫌なことから目を背けていられた。
だけど両親も好きで私を見ないのではなく、機嫌がよければ絵の具や筆を買ってくれた。私にもお金を使ってくれたのだ。
これだけでいいと思っていた。私は妹と違って美少女じゃない。美しくもなければ可愛くもないし、性格も正反対で暗いから。好きな絵を描くことが許されているのは、むしろ温情だった。
外の世界は家の中とあまり変わらなかった。
貴族に生まれながら絵を描いてばかりいたから、わたしは浮いていたのだろう。おじさまの屋敷へ遊びに行った時、女の子たちが私の手からスケッチブックを奪った。
「あっ」
描きかけの絵に変な線ができてしまった。
「まあ、下手な絵! こんなことして何の意味があるのかしら?」
一つ年上の、裕福な家の女の子が言った。
周りの子たちも口々に「時間の無駄よ」「下手なくせに」と、好き勝手なことを言う。
「や、やめて! 返してよっ。わたしのスケッチブック」
震えながらそう返したが、あろうことか女の子はスケッチブックを遠くへ放り投げた。
「ほーら、取ってきなさいよ」
私は自分が何をされているのか、気づいていた。これは犬だ。
恥を忍んで取りに行こうとすると、後ろから背中を押されて転ばされた。
「きゃっ!」
振り返ると女の子たちが私を取り囲んでいた。
「知らなかった? 犬は二本足で歩かないのよ」
「ほら、四つんばいになりなさいよ」
怖くて涙があふれ、少しも動けなくなった時、二歳年上の男の子が間に入ってくれた。
「何してるんだよ!」
女の子たちは途端に不機嫌な顔をし、何もなかったかのように去っていった。助かった。
「大丈夫だったかい、ロセ」
優しく手を伸ばしてくれたのはアレイドだった。大きな畑を持つ農家の長男で、彼の弟が妹と同い年だから、小さい頃からよく知っていた。
「うん、ありがとう」
彼の手を取って立ち上がり、ドレスを軽くはたく。お母様のお下がりを仕立て直したものだったから、今さら汚れても何も思わなかった。
拾い上げたスケッチブックは一部が泥につかったようで、汚くなっていた。前日は雨だった。
見ていたアレイドが心配そうに言う。
「さっきのこと、おじさんに言ったら? きっと助けてくれるよ」
スケッチブックをぎゅっと胸に抱き、私はうなずいた。この時はまだ、おじさまを信じていたのだ。
彼に連れられるようにして屋敷へ入り、おじさまを探して書斎へたどり着いた。
「スィルシオおじさん、話があるんだ。さっき、メロセリスが庭で――」
アレイドがそう切り出すと、おじさまはこちらを見ずに言った。
「ああ、何だか騒がしかったようだね」
戸惑う私の背をアレイドがそっと押してくれて、私は勇気を出して口を開く。
「あっ、あのね、エルミンちゃんたちが意地悪するの。わたし、やめてって言ったのに」
ゆっくりと顔を上げたおじさまは、私を見て微笑んだ。
「なんだ、そんなことか。大丈夫だよ」
「だい、じょぶ……?」
何を言われているのか分からなかった。私が汚れたスケッチブックを持っていても、おじさまは何も思わなかったのだ。
立ちつくす私たちへおじさまは言った。
「君たちは外に出て遊んでいなさい。すぐに僕も行くから」
きっとタイミングが悪かったのだと、その時は思った。仕事が忙しくて私のことを気にする余裕がなかったのだ。だから、大丈夫。
女の子たちからのいじめはしばらく続いた。アレイドが助けてくれることもあったけど、そうじゃないこともいっぱいあった。
成長とともに見える世界が増えてきて、自分がどんな立場にいるかを理解するようになっていく。
私に与えられた役名は「その他大勢」だ。貴族の生まれであっても名前のない役どころ。いてもいなくてもいい存在だ。
ある時、おじさまの屋敷に行きたくないと、勇気を出して両親に訴えたことがある。お父様もお母様も理解できない顔をした。
「あそこは楽しいところだろう?」
「わがまま言わずに行ってらっしゃい」
私に何があったのか、たずねてもくれない両親。その四つの目はいつも妹へ注がれていて、私は子どもながらに両親に期待するだけ無駄なのだと悟った。
そしておじさまの目も私には向けられていない。妹ニャンシャを始めとした、お気に入りの子どもたちにばかり向けられている。そこにはリオお兄様も入っていた。
意地悪な女の子たちの中心人物がどこか遠くへ引っ越すと、他の子たちは散り散りになって、おじさまの屋敷へ来なくなった。私は変わらず、庭の隅で絵を描いて過ごしていた。たった一人で絵を描く。寂しいけれど辛くはなかった。
絵を描いている間は、どんな嫌なことも忘れていられたから。
ある時、ニャンシャが無邪気な顔でたずねてきた。
「ロセお姉様はおやつ食べに行かないの?」
「え?」
スケッチブックから顔を上げて、私は気づいてしまった。彼女はおじさまからおやつの話を聞いたのだ。でも、私は知らされていなかった。
心臓がドキドキと嫌な感じに鼓動を打ち、ごまかすようにスケッチブックへ視線を戻す。
「あ、うん。ニャンシャちゃんは行っていいよ。私はもう少し、ここで絵を描いていたいから」
「そうなの? 分かったわ」
ニャンシャが去ってから少し経つと、二階が騒がしくなった。一番広い子ども部屋だ。そこにはおじさまがいて、彼の好きな子どもたちがいる。
考えたくなくて絵を描いた。ずっとずっと絵を描いていた。
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