令息の秘密

「殺人だ、誰かが彼を殺したんだ……っ」

 状況はひと目見て明らかだ。スィルシオおじさまは何者かに銃で胸、ひいては心臓を撃たれて死んだのだ。

 頭で理解できると急に安堵あんどして脱力しかけたが、すぐにはっとした。まずい、非常にまずい。

「お、俺じゃない……俺はやってないぞ!」

 叫びながら駆け出し、急いで屋敷から飛び出す。ジャケットの内ポケットにひそませた拳銃が重たい。


 真っ先に疑われるのが自分であろうことは想像がついた。俺が怪しい商売をしていることが、街で噂になっているからだ。

 しくも第一発見者になってしまったせいで、その容疑は濃くなっている。だが、それよりも先に片付けなければならない問題があった。


 まっすぐに向かったのは北にある小屋だ。

「今すぐここから出ろ!」

 木製の扉を蹴破り、大きな声を出す。小屋の主を任せていた男は、ぎょっとした顔をしてこちらを向いた。

「どういうことですか、旦那」

「説明している暇はない。ここに置いてた金は全部やるから、とにかくここを出るんだ!」

 棚の奥に隠していた硬貨を袋ごと男に握らせ、俺は室内へ目をやった。

 幸いなことに、今はちょうど商品をさばいた後だ。明日にはまた新しいものが届くから、これまでのように干して乾燥させる予定だった。

「この小屋はもう使えない。今日をもって解散とする」

 男はなんとなく状況を察したようだ。すぐさま俺とともに、中にある商売道具の一切を取り払い始めた。

 空いていた木箱へそれらを無造作に詰めこみ、男へ指示をする。

「証拠隠滅だ。どこか遠くへ行って、この箱ごと燃やしてくれ」

「分かりました」

 荷車に木箱を載せ、彼が出発するのを見届けてから、急いで自分の屋敷へ向かった。


 まだ情報が入っていない様子で、使用人たちはみな普段通りだった。

 足早に自室を目指すと、気配を察した妻が廊下へ出てきた。

「おかえりなさい、リオ。早かったのね」

「すまない、僕はしばらくこの街を出る」

「えっ」

 彼女が驚くのも無理はない。だが、疑われるのだけは絶対に避けたいのだ。

「どういうことなの、リオ」

 後ろから妻がついてくるがかまわない。俺は自室へ入るなり、旅行用のトランクを開けた。服と金と手帳に、ペンとインクも忘れず入れた。他の金になりそうな貴重品も詰めこんで、愛する妻を振り返る。

「詳しいことは手紙に書く。君には寂しい思いをさせてしまうが、必ず戻る。それまで我慢してくれ」

「そんな……」

 不安そうにする彼女へにこりと微笑みかけてから、優しくキスをした。――彼女は都の出身で、たまたま旅先で出逢い恋に落ちた。貴族としては知名度もなく小さな家の娘だったが、そんなことどうでもよかった。そばにいて居心地がよかったから、彼女に決めただけなのだ。

「どうか僕を信じて待っていてほしい」

 彼女なりに察するものがあったのだろう、妻は力強くうなずいた。

「ええ、分かったわ」

「ありがとう、愛しているよ」

 ぎゅっと抱擁をかわして束の間の別れを惜しむ。それから顔を上げてたずねた。

「あの子はどこだ?」

「もう寝ているわ」

 トランクを手に廊下へ出て、息子の寝室に移動する。妻はその間もついてきてくれていた。

 部屋は薄暗かった。子ども用のベッドですうすうと寝息を立てている息子へ静かに歩み寄る。

「アルミント……」

 ――幸いなことに息子の身は守られた。

 ぷっくりとしたやわらかい頬を撫で、額にそっとキスを落とす。

「どうか元気でな」

 そっとささやいてから、扉のところで待っていた妻を振り返った。

 静かに廊下へ出て俺は言う。

「じきに何があったか分かるだろう。僕のことは何も知らないと言ってくれ。何も聞いていない、と」

「ええ、分かったわ」

「うん、それじゃあ行ってくる」

「気をつけて、リオ」

 俺は一人歩き出す。後ろを振り返らず、ただまっすぐに、守るべき未来のためだけに進んでいく。


 スィルシオおじさまはいい人ではなかった。まだ俺が小さな頃にこの街へやってきて、大きな工場を建てた。住民が増えたことで賃料が増え、俺の家は一時的にもうかったが、父親は先見の明がない人だった。

 街をにぎやかにしたのはたしかに彼だ。しかし父親は土地そのものを、彼に売ってしまっていたのだ。事業が成功したおかげで土地の価値は年々上がっていた。売らずに貸していたならば、いくらでも彼から金が取れたのに。

 しかもおじさまは定期的に子どもたちを屋敷へ招待した。俺は何故か彼に気に入られていたけれど、それは男爵家の長男だからだ。それくらい、とうに見抜いていた。

 だけど俺よりずっと早く生まれたおじさまの方が、やはり上手だったのだ。俺が両親から愛されていないことを見抜き、優しくしてきた。亡き母のことをずっと引きずっていた俺を、言葉巧みに手懐てなづけたのだ。

 母を失って寂しい思いをしていた俺は、まんまと罠にはまってしまった。血のつながった父親よりも、おじさまの方が好きだとさえ思った。

 今にして思えば洗脳だ。視野が狭く見識の浅い子どもを、優しい言葉と美味しいお菓子で騙したのだ。

 ――俺が十三歳の時、おじさまに初めて体を触られた。

「大人になったかどうか見てあげよう」

 俺は混乱して硬直し、何もできず、されるがままだった。

 嫌だった。でも嫌だと声をあげたら、おじさまに嫌われてしまうと思った。

 おじさまに嫌われたら、もう自分には何も残らない。父親は冷めた目で俺を見るし、新しい母親はこちらを見てさえくれない。使用人のほとんどがそんな二人に従っていたから、俺を見ていてくれるのはおじさまだけだった。

 他に相談できるような大人はいなくて、どうしたらいいか分からなかった。

 おじさまは俺だけでなく、他の子どもにも手を出していたようだ。最初はたくさん集まっていた子どもたちが、回を重ねるごとに少なくなっていった。

 俺はそれでも会いに行くしかなかった。家に居場所がなかったからだ。


 十六歳になった時、俺は父親が馬鹿な選択をしたことを知った。おじさまの工場の件だ。

「お言葉ですが父上、あなたのやり方は愚かすぎます」

 以前から父親に対して不満がつのっていた俺は、生意気にもそう言ってしまった。

 父親はいかにも不機嫌な顔をする。

「私のやり方に口を出そうというのか?」

「ええ、そうです。もっと先を見据えて決断すべきです」

 目先の金につられて土地を手放すなど馬鹿馬鹿しい。どうせならうんと高く売ってやればいいのに、父親はそれさえもしなかった。

「時代はもう変わり始めています。これ以上土地を切り売りしようものなら、レインスウォード家はついえます」

「子どものお前に何が分かる」

「分かります。少なくとも父上よりは賢明な判断ができるかと」

 父親はため息をつき、不潔なものでも見るような目をして俺へ言った。

「出ていきなさい。私の言うことに従えないなら、もう仕事はしなくていい」

「っ、父上!」

 俺は純粋にレインスウォード家の未来を案じていた。このままではいけないと思っていた。しかし、届かなかった。

「出て行け」

 と、背中を向けられて失望した。――もうダメだ、この人には期待できない。

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