父親の部屋を出ると、不安からイライラしてたまらなくなった。使用人たちはそんな俺を見て避けたり、ひそひそと噂話をしている。

 俺のイライラは増すばかりで、どうにかして平静を保とうとするが耐えられそうにない。

 階段を上がって自分の部屋へ戻ろうとすると、上の妹と出くわした。

「何かあったの? リオお兄様」

 気弱で根暗、絵を描くしか能がない。俺と同じ、愛を知らない可哀想な――

 生まれたのはみにくい優越感。やり場のない怒りが一方向に定まり、俺はにこりと微笑んだ。

「ああ、よければ話を聞いてくれるか?」

「うん、いいよ」

 妹を自分の部屋まで連れていき、扉にしっかりと鍵をかけた。そんなやつはいないと思うが、万が一使用人が入ってこないようにだ。

「お父様のこと?」

 と、ソファへ座ろうとする彼女に俺は命令した。

「待て、座るな」

「え?」

 不思議そうにするメロセリスへ、自分でも嫌なほど冷たく微笑わらった。

「服を脱げよ、ロセ」

「え? な、何で服……?」

「いいから脱げよ!」

 華奢きゃしゃな妹につかみかかって、無理やりに服を脱がした。腹違いの妹の純潔を奪うことで、優越感を守った。自分よりもはるかに哀れな存在があることで、やっと平静を取り戻せたのだ。

 本当はそんなつもりじゃなかった。だけど犯さずにはいられなかった。自分より弱い相手を服従させなければ、俺がおかしくなってしまう。

 幸いなことに、この屋敷には俺たちのことを気にかける者など存在しない。訴えに耳を貸す者もいない。

 弱くて従順で優しいメロセリスだけが、俺の心の支えだった。


 八年前、ミランシアという少女がおじさまの養女になった時のことだ。

 彼女はおじさま好みの顔をしていた。俺はあまり自覚していなかったが、彼の好みは鋭い目つきの生意気そうな顔だった。加えて美人であれば男でも女でもかまわないようで、ミランシアもいずれ俺と同じ目に遭うのが分かった。

 だからこそ安心もして、俺はおじさまへ会いに行かなくなった。心底ほっとする自分を、俺は胸の奥底で嫌悪した。

 ミランシアを助けてやればいいのに――そんな声が聞こえても無視をした。もう彼と関わりたくなかったからだ。

 後に彼女が「オルテリアン夫人」を名乗り始めたと噂で聞いた時、壊れてしまったのだろうなと思った。


 下の妹であるニャンシャは俺と同じで父親似だった。母親の血とほどよく混ざり合って、驚くほど美少女に生まれた。年々可愛さに磨きがかかっていき、思った通りおじさまに気に入られてしまった。

 でも俺は妹のことも助けなかった。両親からだけでなく、周囲の人々からの愛を独り占めしているのを見たら、不幸になれと願わずにはいられなかったのだ。

 いずれおじさまに嫌な思いをさせられたって、それは美少女に生まれたお前が悪い。俺には関係のないことだ。

 そう思ってあまり関わらずにいたが、ある日を境に彼女の金遣いが荒くなった。

 両親はニャンシャのためなら金に糸目をつけず、ねだられるまま大金を注ぎこむ。思えば彼女が小さな頃からそうした傾向にあったことを思い出し、やたらと多い支出の原因はそれだと気づいた。

 ニャンシャは十三歳になっていた。そろそろ大人の事情を理解できる頃だと思い、一度注意したことがある。

「我が家の資産について考えたことあるか? お願いだから自覚してくれ」

 直接的に言うと周りがやかましくなる。遠回しでも伝わるように言ったつもりだったが、ニャンシャは目をぱちくりさせるばかりだった。

「どういうこと?」

 と、常に付き添っている侍女へたずねる様子を見て、こいつはダメだと悟った。

 下の妹は最低最悪の馬鹿女だった。


 三年前だっただろうか、父親がまた判断を誤った。スィルシオおじさまへ新たに土地を売ったのだ。

 この街は元々、男爵家のものだった。その三分の一にあたる農地を当時の次男に譲り、兄弟で協力しあって街を発展させたのが曽祖父の代だ。それが今になり、三分の一の土地をスィルシオ・オルテリアンが持ってしまった。街の均衡きんこうが崩れるのは時間の問題だ。

「父上、これでは街の均衡が崩れます。すぐに契約を取り消してください」

 書斎へと向かう父を追いかけながら、俺は必死でそう言った。

 しかし父親は振り返らない。

「彼は街の発展に寄与してくれた。何も心配はいらん」

「そうではありません! 土地は権力です! このままでは我が男爵家の未来が――」

 書斎の前で立ち止まり、父親は面倒くさそうに振り返る。

「またそれか。一体誰に似たんだか」

 暗に実母のことを悪く言われた気がしてカッとなった。

「何をおっしゃりたいのですか? 母を選び結婚したのはあなたでしょう!?」

 廊下に俺の声が響く。

 父親はため息をつくと、苦々しく言った。

「あれは若気の至りだった」

 まるで俺が生まれたことは間違いだったような、本当は生まれるはずではなかったとでも言いたげな目だった。――俺だって同じ思いだ。

「それでも、次に男爵となるのはこの僕です」

 震えを抑えながら言い返すが、父親は否定した。

「いや、お前ではダメだ。私が死んだら、爵位は孫に継がせる」

「は……?」

 つい先日生まれたばかりの、俺の息子に?

 愕然がくぜんとする俺を置いて、父親は書斎へ入っていった。

 嘘だ。ありえない。何を言ってるんだ、あいつは。正気か? 馬鹿なのか? あの子が大人になるまで、レインスウォード家が保たれるとは思えない。

 早急さっきゅうに手を打たねばならない。土地代ではもう金を稼げない。何か新しい事業を始めて、俺個人の財産を作らねば。

 不安と絶望の中、俺が見つけたのは薬物だった。干して乾燥したそれを売る仕事。

 警察に見つかれば即逮捕されるだろう。しかし濡れ手であわ、おそろしいほどよく売れた。金は順調に貯まっていき、レインスウォード家が潰える頃には、妻と息子くらいは十分に養える額になるだろう。もし父親たちが手の平を返してすりよってきても、助けてなんてやるものか。これは俺の金だ。

 やめるという選択肢はどこにもなかった。噂が流れてもかまわなかった。内情を知らない他人たちからすれば、俺は次期男爵だ。事実を確かめようとすれば、男爵家を敵に回すことになる。そんなリスクを侵そうとする愚か者は、この街にはいなかった。


 一年ほど前、グリムハーストの弟ノエトに見つかった。しかし賢い俺は、彼が成長の遅れていることを知っていた。言い換えれば、騙しやすい相手だったのだ。

 この商売をするにあたって、金で動く従順な貧民を何人か雇っていた。ちょうどそのうちの一人がどこかへ消えてしまって、困っているところだった。

「ほら、駄賃だ」

「え、お金くれるの?」

「ああ。仕事を手伝ってもらったからな」

 ノエトは銀貨一枚で喜んだ。もう大人になっているはずなのに、その知能はせいぜい十歳程度だ。これほど使いやすい人間はいない。

 仕事をせず街をふらふらしている彼に、俺はその後も度々仕事を与えてやった。嘘を言えばあっさり信じこみ、手伝ってほしいと言えばすぐに手を貸す。

 スィルシオおじさまがノエトを気に入っていたのも、きっとこの騙されやすさを利用しようとしたに違いない。

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