ある時、ノエトが素朴そぼくな疑問をぶつけてきた。

「ねぇ、リオ。この箱の中に入っているものは何?」

 彼が見つめていたのは最後の一つだった。これを運べば今日の仕事が終わるのだが、唐突に中身が気になったらしい。

 特に動揺もせずに俺は答えた。

「葉っぱだよ」

「葉っぱ?」

 ただ答えただけでは納得しない様子を見て、俺はとっさに口からでまかせを言う。

「ああ、葉巻に使うやつだよ。ノエトも見たことくらい、あるだろう?」

 ノエトは理解したらしく、ぱっと顔を明るくさせた。

「そっか、葉巻きの葉っぱかー」

 と、木箱を持ち上げて裏へと向かっていく。

 実際はそんなものではないのだけれど、どうにかごまかせたからよしとしよう。

 ふうと息をつき、ポケットに手を入れて銀貨を探る。一枚取り出したところで急に罪悪感に襲われたが、見なかった振りをしてそれを握りしめた。

 きっとノエトの周りにいる人間たちは、すでに俺を警戒していることだろう。彼を手懐てなづけるのは簡単だったが、いつ家族が乗りこんでくるか分からない。特に兄のアレイドは面倒くさいやつだ。時々酒場で見かけるが、酒癖の悪いところがあり、いつもおじさまの悪口を声高に話していた。

 そうだ、おじさまにバレることも避けたい。街の人々から信頼を得ているおじさまが、万が一にも俺の商売のことをかぎつけたら……。

 戻ってきたノエトに俺は探りを入れてみた。

「そういえば、スィルシオおじさまとは会ってるのか?」

 銀貨を見せながらも渡さずにたずねると、ノエトは首を横へ振った。

「ううん、全然会ってないよ」

「そうか。もう遊びには行かないんだな」

「行ってもおじさん、いないんだもん。だったら街を散歩したり、リオの手伝いをしてる方がいいよ」

「なるほど」

 おじさまからはすっかり気持ちが離れているようだ。それなら安心していいかもしれない。

「今日も手伝ってくれてありがとうな」

 と、俺は銀貨を手渡した。

「ありがとう」

 にこりと無邪気な笑みを返すノエト。

 無視したはずの罪悪感がむくりと存在感を増し、もう一度見て見ぬ振りをしたくて突拍子もなくたずねた。

「ノエトは昔、おじさまから何かされなかったか?」

「え、何かって?」

 強い向かい風にまぎれて俺は言う。

「体を触られたりとか」

 ノエトはめずらしく黙りこみ、うなずいた。

「そういえば、あったかも。ボク、きおくりょくがよくないから忘れてた」

 はっとした。嫌なことを思い出させてしまったようだ。

「すまない、聞かなかったことにしてくれ。もう帰っていいぞ」

「あ、うん。またね、リオ」

 銀貨を握ったままノエトが歩き出すが、すれちがいざまに見た笑みはいつもと違ってぎこちなかった。


 それからしばらく経たないうちに、スィルシオおじさまが俺へ会いに来た。

「イリオン、怪しい商売をしているそうだな」

 隣町から戻ってきたところで呼び止められた。道の途中で向かい合い、俺はあくまでも冷静に答える。

「ただの噂ですよ」

 しかしおじさまはじっと俺をにらむように見つめ、低い声を出した。

「君のお父上が嘆いていたよ。仕事を手伝わず、反抗的で困ると」

 何を言っているんだ? 仕事をしなくていいと言ったのは父親の方じゃないか。それに俺は反抗的なんじゃない、現実を見て意見を述べたまでだ。

 内心でとっさに反論したが、口には出さなかった。感情的になることほど不利なものはない。

 しかしおじさまは言った。

「君が何をしているかは知らないが、危ないことはやめなさい。家名に傷がつくだろう?」

「っ……」

 それくらい自分でも分かっている。でも父親のやり方ではじきに限界が来る。

「僕にも事情があるんです。口出ししないでください」

 かろうじて冷静に返したはずだった。俺の声はわずかに震えていて、おじさまはそれを見逃さなかった。

「何故、誰にも相談しなかった? 僕じゃなくてもいい、頼れる大人が――」

「ふざけるな……っ」

 感情的になったらダメだと分かっていたのに、抑えきれなかった。

「元々はあんたのせいだ!」

 おじさまが目をみはったが、かまわずに俺は叫んだ。

「このままじゃ、レインスウォード家は潰れる! 父親は俺に爵位を継がせないつもりだ!! 俺には妻と息子がいるんだ、自分で金を作って何が悪い!?」

 そうだ、全部全部おじさまが悪い。

「あんたがこの街に来なければ、土地を売らなければ……っ」

 憎しみと悲しみと、自分に対する情けなさと嫌悪。欠片みたいな感情もすべて混ぜこんで、涙で視界がにじんだままおじさまを見据える。

 聞こえてきたのは呆れたようなため息だった。

「見損なったよ、イリオン。君はもう少し賢い子だと思っていたんだがな」

「は……?」

 呆然とする俺のそばへ来て、彼がぽんと肩を叩く。

「だが、僕も馬鹿ではない。君が何をしているか詮索しないし、他の人にも黙っていてやる」

「な、何を、考えて……」

 嫌な予感がして声がか細くなる。

 おじさんは横目に俺を見て言った。

「君の子どもは父親似だったね」

 背筋が凍る。ぞわぞわとして全身を不快感が包んだ。

「ま、まだあの子は、二歳で……」

「ああ、十年待とう。でも君が下手な真似をすれば……分かるね?」

 俺の人生はとうの昔に、彼の手中にあったらしい。敵は父親だけじゃなかった。


 どうにかしなくてはいけないと思った。家族を連れて逃げようかとも思った。でも、そうしたらおじさまはきっと警察に話すのだろう。捕まってしまえばおしまいだ。愛する妻と息子から引き離されたら、俺は今度こそ生きる意味をなくしてしまう。

 にやりと不敵に笑って去っていった彼を、無力な俺は黙って見送った。殺したいと思った。死にたいと思った。家族を殺して自分も死のうかとさえ思った。

 でも、そんな勇気が俺にはなかった。前も後ろも見えない暗闇に取り残されたまま、ただ金を作り続けた。


 十日前、おじさまからパーティーの招待状が届いた。何をするつもりかと一瞬身構えたが、読んでみると噂のよそ者キシンス・マシュフィとの懇親会らしい。

 しかも招待されているのは俺だけだった。怪しさは増すものの、俺はまだキシンスと会ったことがない。彼が噂通りの詐欺師であれば、俺の商売に関わらないとも限らないため、こうして機会をもらえたのはありがたかった。

 一方で父親は噂を鵜呑うのみにしているため、キシンスに対していい印象を持っていない。街の人々の多くがそうだ。ただでさえよそから来た人間には、信頼も何もない。詐欺師と噂されるにも理由があるのだろうし、当然のことではあった。

 そんな人々に反し、キシンスを受け入れたのはスィルシオおじさまだけだった。すでに何度か屋敷に出入りしているらしく、おじさまに対する人々の印象も微妙に変化しつつあるのを肌で感じていた。

 招待状から視線を上げて俺は言う。

「開始時刻が少し遅いな。アルミントが寝る前までに帰れるか分からない」

 すると隣に座っていた妻が返した。

「キシンスって噂の人でしょう? あんまり関わり合いにならない方がいいんじゃないかしら?」

 彼女もまた噂に踊らされているようだ。

「うん、それは分かってる。でも、スィルシオおじさまからの招待を断るわけにはいかない。僕だけで行ってくるよ」

「分かったわ。騙されないように、どうか気をつけてね」

「ああ」

 妻を連れて行くのは反対だったため、俺はほっとした。

 俺が問題視しているのはキシンスではなく、おじさまの方だ。息子の身が狙われている以上、おじさまとの接点は少ない方がいい。もし行くと言われたら、言葉を尽くしてやめさせるつもりだった。

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