執事が用意したのは普段飲んでいる安酒と違い、高級で深みのある赤ワインだった。その味に溺れるがごとく、アレイドは速いペースでグラスを空にし、二杯目を飲んでいた。

「あの時は本当に笑っちゃったんだから。ね、あなた」

 と、ミランシアが楽しげにオルテリアンへ身を寄せる。主人は少々困惑した様子を見せながらも、「ああ、今でも覚えているよ」と、グラスに口をつけた。

「ずっと不思議だったんだが。なぁ、ミランシア」

 酔いが回っていた。アレイドは急に彼女の名前を呼び、据わった目で問いかけた。

「なんでおじさんのことをあなた、なんて呼ぶんだ? あんたら、養父と養女の関係だろう?」

 ミランシアがはっとして「何を言うの? あたしたちは――」と、言いかけて止まった。オルテリアンの手が彼女の前に出され、無言で制止したのだ。

「そんなこと、どうだっていいじゃないか」

 あくまでも大人の対応をしたオルテリアンに注目が集まる。しかし、アレイドはぴんと来てしまった。

「もしかしてあんたら、やったのか! それで夫婦ごっこしてんだな!? そうだろう!?」

「アレイド様」

 と、執事が彼の肩をたたいたが、酔っ払いの戯言はやまない。

「ミランシアはおじさんのお気に入りだもんなぁ!? ん、でも他にもお気に入りはいたような?」

 ぴくりと反応したのはイリオンだ。何も言わずにアレイドの様子をうかがった。

「おい、おじさん。あんた、他にも手ぇ出したやつがいるんじゃないのか? なぁ、白状しちまえよ!」

 野次馬さながらの下卑げびた問いかけに、オルテリアンはむっとした顔を向ける。

「ふざけるな、アレイド。根拠もないのに何を言うんだ」

「そうよそうよ! まったく、失礼な人ねっ」

 と、ミランシアも言ったがアレイドは止まらなかった。

「ほら、言えよ。この中の何人に手を出した?」

 波を打ったように室内が静まり、空気が張り詰める。

 すると、イリオンが息をついてから発言した。

「僕は忘れてませんよ、スィルシオおじさま」

 切れ長の目がすっと向けられ、オルテリアンの表情にわずかな困惑が浮かぶ。

「僕だけじゃないことも、僕は知っています」

 イリオンの発言にニャンシャが戸惑った。

「それって、どういう……?」

 オルテリアンが深々と息をつき、立ち上がった。

「不愉快だ。失礼させてもらう」

 言葉通り不機嫌な様子で廊下へと出ていき、アレイドは呆然としていた。

「え、あれ? 嘘だろ……?」

 上品にグラスを傾け、イリオンは言う。

「事実だよ。僕は少年時代、彼と肉体関係を持っていた」

 メロセリスが片手を口元へ当てた。驚きすぎて声が出ない。

「僕だけじゃない、他に何人もの子どもが犠牲になっていた」

「……それは、なんとも」

 と、キシンスが気まずい顔で一同を見る。

 それまでずっと話を聞いていたノエトが、弱々しく声を上げた。

「ぼ、ボクも……昔、おじさんにさわられた。ズボンの中に、手を……」

 隣にいたニャンシャが目を見開き、アレイドは口を開けたまま固まってしまった。

 静かにイリオンは立ち上がり、グラスを執事に渡してからノエトの前まで移動した。

「嫌だったよな、怖かったよな」

 しゃがみこみ、泣くのをこらえるノエトの頭を優しく撫でた。

「もうあの人のことは嫌いになっていい。我慢するな」

「っ……リオ」

 ノエトはたまらず両腕を伸ばしてイリオンへ抱きついた。その姿は幼児のようだったが、それを指摘してからかう者などいなかった。

 イリオンは彼を優しく抱きしめてやってから、首を回してキシンスを見た。

「悪かったな、キシンス。文句はアレイドに言ってくれ」

「えっ、オレ!?」

 と、驚くアレイドだが、全員の視線を感じて受け入れた。

「ああ、いや……そうだよな、オレのせいだよな。すまん」

 大きな体を縮こまらせて息をつくアレイドを、隣のメロセリスが微妙な表情で慰める。

「こんなことになるとは思わなかったのよね」

「ああ、本当に……」

 アレイドのため息と、ノエトの嗚咽おえつが重なる。先ほどまでの和気藹々わきあいあいとした雰囲気はかき消え、今はただただ陰気だった。

「それにしても、あのオルテリアン氏が過去にそんなことをしてたなんてね」

 苦々しくキシンスが言い、ニャンシャが力なくうなずく。ミランシアは何か言いたげにしていたが、いまだ状況を受け入れられない様子だ。

「僕が聞いた話だと、氏は過去に依怙贔屓えこひいきをしていた。お気に入りの子どもたちを特別扱いして可愛がっていたけれど、実態はちょっと違ったわけだ」

「そんなわけない、そんなわけないわっ」

 ミランシアが唐突に立ち上がった。拍子にサイドテーブルへ置いていたグラスが床へ落ち、音を立てて割れる。

「彼が愛しているのはあたしだけよ! 絶対に信じないわっ」

 彼女もまた憤慨ふんがいした様子で出ていき、イリオンはため息をついた。

「気の毒だな」

 今や彼女がオルテリアンと肉体関係にあったのは明らかだ。愛されていると信じ込まされた彼女にしてみれば、性欲の捌け口の一つでしかなかった事実は受け入れがたいものだった。

 タルヴォンはすぐに割れたグラスの片付けを開始した。

「結局、彼は子どもを傷つける側の大人だった。どっちにしても、ね」

 キシンスがつぶやき、グラスに残ったワインを一気に飲み干した。

 ノエトの嗚咽が小さくなってきたことに気づき、イリオンは優しくたずねる。

「落ち着いてきたか?」

「っ、うん……ごめん、リオ」

「かまうな。文句を言うなら兄貴に言え」

 アレイドの視線を感じつつも、イリオンはノエトを離してワゴンへ向かう。空のグラスを手に取り、適当に水を注いで持ってきた。

「水を飲めば、気持ちも少しは変わるだろう」

「あ、ありがとう」

 差し出されたグラスをノエトは受け取り、ゆっくり口をつけた。

 イリオンはしばらくその様子を見ていたが、ふと誰にともなく告げる。

「僕も少し頭を冷やしたい。一人にさせてくれ」

「かしこまりました」

 と、片付けを終えたタルヴォンが返事をし、イリオンは静かに居間を出た。

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