ぞわぞわしたし気持ち悪かった。だけどおじさんは何度もあたしの名前を呼んで、「愛している」と、ささやいてくれたわ。

 おじさんの気持ちはきっと嘘じゃない。あたしを愛しているからこそ、我慢ができなくなっただけ。それに、あたしも彼のことは大好きだ。

 だって綺麗なドレスやアクセサリーをいくつも買ってくれた。

 十二歳の誕生日には白い子犬をプレゼントしてくれた。ルキャロスと名付けたその子は、結局あたしよりも彼にばかり懐いていたけれど。

 他にも可愛い髪飾りや靴、毛皮のコートも買ってくれた。あたしの日々は満たされていて、幸福だった。

 だからあたしも、彼を愛することに決めたの。


 タルヴォンはあたしと彼の関係に気づいていたはず。だけど何も言わなかったわ。賢い人だから、それまでと変わらない生活を続けてくれたのよ。

 それから時間があると、あたしの寝室にあの人が来るようになった。夜だけじゃない、昼間にもあったわ。

 場所もいろいろだった。時には居間で、彼の書斎で、裏庭の納屋なやで――彼に求められるのが嬉しくて、あたしは常に従った。

 キスも愛撫あいぶもすべてが愛にあふれていた。痛かったのは最初だけ。慣れてくれば快感に変わり、幸福を感じられるようになった。

 だけどある時、気づいてしまった。周囲から誤解されていることがある。それは彼との関係だ。

 あたしと彼は公的には親子だったけれど、実際はそうじゃない。夫婦よ。あたしは彼を夫とし、彼はあたしを妻だと思ってくれている。

 だからあたしは事実を公にすることにした。そう、「オルテリアン夫人」を名乗り始めたの。


「あなた、正気?」

 友人のニャンシャが不審な目を向けてきて、あたしは少しムッとした。都まで舞台を観に行った帰りの、馬車でのことだった。

「何よ、その言い方。まるであたしがおかしいみたいじゃない」

「おかしいわよ、ミランシア。だって相手はあのおじさまよ? 年の差もあるし、イケメンじゃないし」

 ニャンシャはあたしより一つ年が下なのに、気が強いからどんなこともずばずばと言う。

「あたしは見た目で惚れたわけじゃないわ。あの人の優しいところが好きなの」

「優しい男なんてそこらへんにいっぱいいるわ」

「ニャンシャからしたらそうでしょうよ。あんたに優しくしない男なんて、世界中探してもいないわよ」

「ふふん、当然でしょ」

 自慢気に笑って見せる彼女は、美少女だけど性格がよくない。でも、あたしも友達がいないから、自然と二人で遊ぶようになった。

「話を戻すわよ。とにかく、あたしはあの人を愛しているし、あの人もあたしを愛してくれているわ。オルテリアン夫人を名乗ったって、何にも問題はないはずよ」

 ニャンシャはため息をつき、視線をそらした。

「まあ、あなたがそれでいいって言うなら、もう何も言わないわ。でも、どうせならルーヴォの方がよくないかしら?」

「ダメよ。ルーヴォは執事なのよ? 身分差があるわ」

「いいじゃない、身分差。この前読んだ恋愛小説では、ヒロインの方が身分が下だったけど、すごくドキドキしちゃったわ」

「それは小説だからよ。現実とは違うの」

「そう? ルーヴォは背も高いし、顔も悪くないわ。黙っていればクールで、口を開くと優しくて、とっても素敵な殿方だと思うんだけど」

「何を見てるのよ、ニャンシャは。ルーヴォは仕事一筋で、口を開くと厳しくて、ちっとも素敵な殿方には思えないわ」

 ニャンシャは「そうなの?」と、不思議そうにした。

 あたしはやや語気を強めて返した。

「そうよ。あたしがちょっと気を抜くと、すぐに注意してくるもの。最近は食べ物の好き嫌いをなくそうとして、あたしの嫌いなものをわざわざ夕食に出してくるわ」

「何で彼が、あなたの好き嫌いをなくそうとしているの?」

「十六歳はもう大人だから、ですって」

 それを聞いたニャンシャがくすくすと笑い、あたしはまたムッとしてしまう。

「何で笑うのよ」

「だって、そんなことまで考えてくれるなんて、やっぱり素敵な殿方じゃない」

「どこが?」

 この件に関して、あたしと彼女では相容あいいれない様子だ。

「わたしだったら、やっぱりおじさまなんかよりルーヴォを選ぶわ」

 そう言ったニャンシャを黙ってにらみつけたけど、彼女には効果がなかった。彼女はどんな時も自分に自信があって、無敵なのだ。


 でも、そういえば……あたしが「オルテリアン夫人」を名乗り始めた頃から、あの人はあたしを求めなくなった気がするわ。

 頻度が落ちたというよりは、興味が薄れたという感じだったかもしれない。愛の囁きもいつの間にか聞かなくなった。

 いや、あの人の仕事が忙しくなったから、時間がとれなくなったのよ。そう、それで一緒に過ごす時間もだんだんと減っていったわ。

 だけど、そんな理由で納得はできなかった。急に夫婦仲が冷めてしまったような気がして、あたしは内心で焦ったの。このままではよくない、せっかくあたしたちの関係を公にしたのに。


 あれは半年くらい前だったかしら。遅くに帰ってきた彼を居間に呼んで、あたしは切り出した。

「あたし、子どもがほしいの」

 疲れ切った顔をしていた彼は、理解できないといった様子でこちらを見た。

「何を言っているんだ?」

 タルヴォンは厨房で夕食の後片付けをしていた。二人きりで話をするなら、この時しかなかった。

 覚悟を決めてごくりとつばを飲む。

「だから、あなたとの子どもがほしいのよ」

 本気だった。彼との間に子どもができれば、きっと以前みたいに仲良くなれる。そう信じていたのに。

 急に顔を真っ赤にすると、彼は立ち上がって怒鳴ったわ。

「ふざけるな!」

「え……?」

 呆然とするあたしを見下ろして、彼はなおも大きな声を上げる。

「子どもなんていらないに決まってるだろう!?」

 いらない――いらない?

 暖炉の中でまきがパチっと音を立てる。

「おかしなことを言うのはよしなさい。まったく、オルテリアン夫人だか何だか知らないが、迷惑なんだ」

 辟易とため息をついて、彼が廊下に向かって歩き出した。

「待って!」

 慌てて追いかけると、気づいた彼が足を止めて振り返った。あたしのことを見てくれた、と思った。

「あなたを愛しているわ、だから赤ちゃんを――」

「しつこいやつだな、いらないと言ってるだろう?」

「どうして、そんな……」

 彼へすがろうとして両腕を伸ばした直後だった。

「やめなさい!」

 振り払われた。強い力で。

 びっくりして立ちつくすあたしへ、彼は言い放ったわ。

「こんなことになるなら、娘になんかするんじゃなかった。もう僕の邪魔をしないでくれ」

 ショックだった。辛くて、悲しくて、だけど涙が出てこなくて。

 ただ呆然とその場に座りこみ、理解できるまで、消えた背中を見つめていた。

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