美少女の世界

「待って、近づかない方がいいわ」

 おじさんに近寄ろうとするミランシアの腕を、とっさにつかんでやめさせた。彼女は今にもわたしの手を振り払いそうだったが、ぎゅっと力を入れたら大人しくなった。

 わたしは内心でほっとしつつ、現在の状況を頭で整理する。

 スィルシオおじさまが胸から血を流して死んでいる。部屋に踏み入った人はおらず、わたしたちは少し前に銃声を聞いている。犯人が外へ逃げたなら、ドアの開く音や窓ガラスの割れる音が聞こえそうだが、それはなかった。

 つまり、今ここにいる全員が容疑者。そしてわたしは美少女探偵。


 ――わたしが生まれた時、世界はわたしを中心に回り始めた。

「今日も可愛らしいですわ、お嬢様」

「ニャンシャお嬢様の愛らしさは世界一ですね」

 毎日みんなが褒めてくれた。家にいる使用人はもちろん、両親もだ。

「可愛いニャンシャちゃん、あなたを一番に愛しているわ」

「可愛いニャンシャ、今日も笑顔を見せておくれ」

 誰もがわたしに微笑みかけた。誰もがわたしを褒めそやし、可愛いと、美しいと言ってくれた。

 わたしはにこにこと笑っているだけでいい。それだけでみんながわたしのためにあれこれと世話を焼いてくれる。

 中でもスィルシオおじさまはちょっとだけ特別だった。

 小さな頃からおじさまはわたしを見ると、いつも優しく頭を撫でてくれた。

「今日も可愛いね」

 と、笑みを向けられれば、わたしは誇らしくなった。みんなの大好きなおじさんから褒めてもらえることに、特別感があるような気がしたのだ。

「ニャンシャはせかいいちかわいいのよ」

 幼い頃の口癖だった。周りがそう言うから、わたしは信じこんでいた。本当に世界で一番可愛いと思っていた。

 でも成長していくとともに、少しずつ世界の本当の姿に気づき始める。

「一緒におやつを食べよう。二階の子ども部屋においで」

 きっかけはおじさまに部屋へ呼ばれた時だった。その日は集まった子どもの数が少なくて、お姉様はずっと庭にいた。

 お姉様も呼ばれたのかと思って、わたしは二階へ行く前に声をかけた。

「ロセお姉様はおやつ食べに行かないの?」

「え?」

 スケッチブックから顔を上げたお姉様は、わたしを見て何かに気づいたようだ。

「あ、うん。ニャンシャちゃんは行っていいよ。私はもう少し、ここで絵を描いていたいから」

「そうなの? 分かったわ」

 何も思わずに背中を向けたけれど、部屋に行ってみると空いている椅子はなかった。――お姉様は呼ばれなかったのだと、その時に気づいたのだ。

 でも、そんなにおかしなことではない。何故ならわたしは誰もが認める美少女で、ロセお姉様はそうじゃない。待遇が違うのはいつものことだ。

 彼女は内気で暗くて、顔立ちがわたしと違って地味だった。笑顔はどこかぎこちないし、全然可愛くない。だからおじさまはお姉様を呼ばなかったのだ。


 それがいかに残酷なことだったか、わたしは徐々に知り始める。

 ロセお姉様はお勉強の時以外、ほとんど自室で絵を描いていた。おじさまの屋敷へ行けば、庭の隅でひたすらに絵を描いていた。

 わたしには理解ができなかった。だって誰かといれば、必ず誰かは自分のことを見てくれる。だから外に出ず、誰とも関わろうとしないお姉様を、不気味にすら感じていた。

 違ったのだ。

 お姉様はわたしじゃない。お姉様はわたしのように褒められない。

 可愛がってくれる人たちがいなくて、見てくれる人なんてどこにもいない。おじさまの屋敷だけではなく、家の中でもそうだった。

 ああ、なんて可哀想なのかしら。まるで悲劇のヒロインのようだけど、残念ながら彼女は美人ではない。


 十二歳の時、お母様と二人で都まで舞台を観に行った。初めての舞台観劇だった。

 きらびやかな建物、迫力のある音楽とまぶしい照明。一際輝くスポットライトを浴びていたのは、わたしよりも綺麗な女優だった。

 初めて知った世界の広さ。周りを見れば、わたしと同じ年頃の少女たちも可愛くて綺麗な子ばかりだった。

「ねぇ、お母様」

 劇場を出ていく人波の中、気が焦ったわたしは確かめる。

「さっきの女優の人、すごく綺麗だったわよね」

「ええ、そうね。とても素敵な方だったわ」

 と、返してから、お母様はわたしが不安そうにしていることに気がついた。

 わたしの肩をそっと抱き寄せ、にこりと微笑わらう。

「ニャンシャちゃんが大人になれば、彼女よりも綺麗になるわ」

 そうならいい、いや、そうあるべきだ。

「うん、そうよね」

 わたしは強く心に決めた。世界一の美少女として、美しさを保つためにあらゆる努力をしようと。


 美麗で豪華なドレスに身を包み、上質なやわらかいリボンで髪を飾る。首元には輝く宝石をつけ、指には金をあしらった。ドレスに合わせたヒールを履き、背筋を伸ばして堂々と歩けば、誰もがわたしを見てくれる。

 お風呂に長く入ってお肌の手入れも入念にしたし、薔薇ばらの香りがする香水も使った。ありとあらゆる努力をして、常に美少女であり続けた。

 そんなある日、リオお兄様に言われたことがある。

「我が家の資産について考えたことあるか? お願いだから自覚してくれ」

 意味が分からなくて思わずお供の侍女にたずねた。

「どういうこと?」

 侍女は困ったように首をかしげるばかりだ。

 お兄様は苦い顔をして去っていってしまい、わたしはその場で考えてみた。

「男爵家の資産って、つまりわたしのことよね? きっと美少女であることをもっと自覚しろってことね」

 そう結論づけたが、結局お兄様が何を言いたかったのか、十七歳になった今でも分からない。


 ロセお姉様はあいかわらずだった。大人になっても絵を描き続けていた。

 わたしとは正反対な彼女がどんな絵を描いているのか、気になって一度部屋を訪ねたことがある。

 薄汚いドレスを着たロセお姉様は、わたしを見るなり言った。

「待って。部屋に入ったら、あなたの綺麗なヒールが汚れるわ。だから入らないで」

 何年ぶりかに見た彼女の部屋は、見事なまでに絵の具で汚れていた。使用人に掃除させていないのか、掃除するのを忘れられているのか。

「別にかまわないわ。お姉様の絵が見たいの」

 と、足を踏み出そうとすれば、お姉様が慌てた様子で駆け寄ってくる。

「ダメって言ったでしょ、ニャンシャちゃん。もうすぐで絵が出来上がりそうだから、また今度にして」

「え?」

「ごめんね」

 そして彼女は扉を閉ざし、鍵までかけてしまった。

 ――いつの間にか、お姉様の心は固く閉ざされていた。妹のわたしでも開けられない、びついた扉だった。

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