その後も何度かおじさんの屋敷へ行ったけれど、家の仕事をサボるための言い訳にしかならなかった。もうおじさんへの好意は消え、二階の子ども部屋から楽しげな声が聞こえても、冷めた目で見るようになった。

 メロセリスも同じだったと思う。遊びに来ても、いつも庭の片隅で絵を描いて過ごしていた。

 オレたちは楽しそうな子どもたちの後ろ、おじさんからは見えていない場所にいた。意図的に無視されていたのか、単純に忘れていただけかは分からない。いずれにしても、いてもいなくてもいい存在なのはたしかだった。

 いつしか大人になり、オレは屋敷へ行かなくなった。

 メロセリスもまた大人になって、街で会ってもおじさんの話をすることすらなくなった。

 それでいい。彼の話をすると不快な気分になる。今でも彼を慕う弟には申し訳ないが、傷つけられた記憶は消えないものだ。


 あの頃の子どもたちが大人になってしまうと、おじさんは子どもを屋敷に集めることはしなくなった。ルーヴォから聞いた話では事業拡大にともない仕事量も増えて、今じゃそんな余裕はないそうだ。

 何だか無性にほっとしたものだが、おじさんの悪行は世に知らしめないといけない。またいつどこでオレたちのような被害者が出るか、分からないのだ。

 そうした使命感から、オレはこの街に新しく来た人に、必ずおじさんの話を聞かせていた。

 ついこの前も酒場で初めて見る顔があった。たしか一ヶ月ほど前のこと、夏の盛りの夜だった。

 フロックコートを着たきちっとした身なりの男で、さっぱりとした緑色の髪に黄金色の垂れ目が特徴的だった。名前はキシンスと言い、わざわざ都からやってきたという。その目的を聞く前にオレは言った。

「この街に来たなら、ぜひとも知っておいてほしいことがある」

「何だい?」

「スィルシオ・オルテリアンを知ってるか? あのでかい工場の持ち主だ」

 オレは彼の肩へ腕を回して、おじさんの悪行を通り一遍聞かせてやった。

「どうだ? あの人がいい人間でないことは分かっただろう?」

「ふむ、なるほど。でも僕は、彼の人間性に興味はないよ。仕事の話さえできればそれでいい」

 思わずきょとんとしたものの、おもしろいやつだと感じた。

 腕を戻して、右手のボトルに残った酒を一口飲む。それから口角を上げてみせた。

「変わってるんだな、あんた。まあ、オレの話もどうせ過去のことばかりだ。気にしないっていうならそれでもいい」

「うん、だから君には感謝してるよ」

「え?」

「あの年代の人たちは保守的でね、僕がしようとしている未来の話には、どうも拒否反応が出るらしいんだ。だからまずは人柄を知っておく必要がある。少しずつ時間をかけて親しくなったところで、こちらから投資の話を持ちかけるんだ。あなたの会社は事業が順調のようなので、僕が資金を提供します。そして利益が出たら、その一割を僕にくれませんか?」

 回っていたはずの酔いが何故だか醒めていき、オレはキシンスの話を理解できないことに気がついた。

「資金は自分で用意するものだろう?」

「そう、従来はね。でもこれからは違う。他者から資金を集めて利益を出し、配分していくシステムになる」

 気のせいだろうか、店内がにわかに静まった。どうやら他の客たちも彼の話に耳を傾けていたようだ。

 何も言えないオレへキシンスは笑う。

「アレイド、君の家は農家だったね。事業を拡大する予定はないかい?」

「なっ、ないない! うちは畑だけで食っていけるし、決定権を持つのは親父だ。オレは何を言われても乗らないぞ」

「それは残念」

 ちっとも残念そうではない顔でにこりと笑い、キシンスは酒のボトルをぐいっとあおった。柔和な印象とは裏腹にいい飲みっぷりだ。

 ボトルをテーブルへ置いて、彼は言い放った。

「気が変わったら、いつでも呼んでくれよ」

 こいつがおじさんに騙されることはなさそうだと直感した。なかなか骨のある男だった。


 そうそう、養女のミランシアを忘れてはいけない。

 おじさんがどこかの養護施設から引き取った少女で、美人だが気が強くて面倒な女だ。

 オレより四歳も年下なのに、何かあるとすぐ言い返してくる。子どもの頃に何度か一緒に遊んだが、毎回それで言い争いになった。大人しくしていればいいものを、性格的にどうしても我慢しきれないようなのだ。

 可愛くない女だと彼女を評する者は多かった。オレもそう思っていたが、いつだったか弟に言われたことがある。

「兄さんはミランシアのことが好きなの?」

「は? 誰があんなやつ」

「だって、いつもあの子と話してるじゃない。本当は仲良くなりたいのかな、って」

 そんな風に思ったことは一度もない。一度もない、はずだ。

 しかし、それをきっかけに彼女と遊ぶことがなくなった。未熟だったオレはやけに彼女を意識してしまうようになったのだ。

 かといって、彼女に対して恋愛感情があったとは認めたくない。わがままで高飛車で、気が強くて……努力家で。

 ミランシアは誰に対しても生意気だったが、その実、見えないところでたくさん努力しているのをオレは知っていた。

 初めにこの街へ来た頃の彼女はボロをまとっていたが、おじさんの屋敷で暮らすうちにどんどん小綺麗になっていった。それは見た目だけではなく、話し方や立ち振る舞いにもあらわれており、彼女はおじさんにふさわしい娘となるべく、頑張っていたのだ。

 実際にその姿を見たこともある。執事のタルヴォンに頼まれて、市場から屋敷まで食料を運ぶのを手伝った時のことだ。

 庭に置いた椅子に腰かけて、ミランシアは外国語の本を読んでいた。

「ただいま戻りました」

 と、タルヴォンが声をかけると、彼女はこちらへ顔を向けて微笑んだ。

「おかえりなさい」

 そしてオレがいることに気づくなり、さっと本を閉じて隠すように膝の上へ置いた。

「何で隠すんだよ」

 と、少しむっとしてオレが言えば、彼女もむっとした顔をする。

「別にいいでしょ」

 すると間に入るようにタルヴォンが言った。

「アレイド様、厨房まで運んでもらえますか?」

「あ、うん」

 タルヴォンに続いて中へ入ると、彼が小声で教えてくれた。

「お嬢様は努力しているところを誰かに見られるのが嫌なんです」

「え、何で?」

「さあ? 恥ずかしいのでしょう、きっと」

 もしかしたら彼女はすごいやつなのかもしれないと、オレはこの時に認識をあらためた。だから、内心では彼女のことを認めていたし、悪いやつではないことも知っていた。

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