その夜、宿屋近くの酒場で飲んでいると、癖っ毛の青い髪を後ろで一つに結った若い男が絡んできた。

「お兄さん、見ない顔だね。どこから来たんだい?」

 背が高く体格もいいが、顔立ちは平均的。おそらく肉体労働をしているであろう彼へ、僕は正直に答えた。

「都からだよ」

「へぇ、そんな遠くから?」

「いや、馬車で半日もあれば着く距離だよ」

「そうだったか? 都には行ったことがないから分からないなぁ」

 と、男が手にしたボトルへ口をつけ、どこか考えるような表情だ。

「僕はキシンス・マシュフィ。君は?」

「ん、オレはアレイドだ。アレイド・グリムハースト」

「ああ、南の方にある農園の」

 グリムハースト家は広大な土地を持つ農家で、他の街にもその名が知れ渡っていた。そんな家の人間であるならば、仲良くしておいて損はない。

「知ってたのか」

「有名だよ。そのうち挨拶へ行こうと思ってた」

「挨拶ぅ? 何だかよく知らんが……」

 と、彼が僕の肩へ腕を回してきた。

「この街に来たなら、ぜひとも知っておいてほしいことがある」

「何だい?」

「スィルシオ・オルテリアンを知ってるか? あのでかい工場の持ち主だ」

 もちろんその名前も知っていたが、僕の返答を待たずに彼はぺらぺらとしゃべりだした。オルテリアン氏の悪口だ。過去に子どもたちを屋敷に集めていた時のこと、引き取られた養女のこと、他にもいろいろ。

 酒が回っているせいか、とても愉快そうに話すから、反対に僕は冷めてしまった。彼の話から意識をそらし、昼間に出逢った彼女のことを考える。

 男爵家の令嬢、メロセリス・レインスウォード。よく考えたら一市民でしかない僕は、彼女と親しくなれたとしても、結婚まではできないのではないか? いや、十分な資産があれば、あるいは……。

「どうだ? あの人がいい人間でないことは分かっただろう?」

 と、アレイドの声にはっとする。とっさに、ちゃんと話を聞いていた風をよそおった。

「ふむ、なるほど。でも僕は、彼の人間性に興味はないよ。仕事の話さえできればそれでいい」

 思わず邪険にするような言い方をしてしまった。

 彼がきょとんとして、僕の肩に置いていた腕を戻す。それからまたボトルの酒を飲み、何故か口角をつりあげた。

「変わってるんだな、あんた。まあ、オレの話もどうせ過去のことばかりだ。気にしないっていうならそれでもいい」

 相手はグリムハースト家の人間だ。少しでもいい印象を持ってもらおうと、瞬間的に思考を巡らせた。

「うん、だから君には感謝してるよ」

「え?」

「あの年代の人たちは保守的でね、僕がしようとしている未来の話には、どうも拒否反応が出るらしいんだ。だからまずは人柄を知っておく必要がある。少しずつ時間をかけて親しくなったところで、こちらから投資の話を持ちかけるんだ。あなたの会社は事業が順調のようなので、僕が資金を提供します。そして利益が出たら、その一割を僕にくれませんか?」

 自らの手の内を明かすことで、より関心をひく作戦だった。

 アレイドは理解できなかった様子で言う。

「資金は自分で用意するものだろう?」

「そう、従来はね。でもこれからは違う。他者から資金を集めて利益を出し、配分していくシステムになる」

 店内がにわかに静まり、失敗したと気づく。彼の関心だけをひくつもりだったのに、他の人々にまで声が届いてしまっていたらしい。

 しかし動揺を悟られまいと、僕は笑った。

「アレイド、君の家は農家だったね。事業を拡大する予定はないかい?」

「なっ、ないない! うちは畑だけで食っていけるし、決定権を持つのは親父だ。オレは何を言われても乗らないぞ」

「それは残念」

 いや、しかしここは酒の場。明日にはみんな、僕の話など忘れていることだろう。

 そうであるよう強く願いながら、ボトルをあおって一気に飲み干す。やけ酒だった。

 普段ならこんな飲み方はしないため、急速に意識が遠のいていくのが分かる。それでも投資家のプライドを保つため、僕は笑みを浮かべるのだ。

「気が変わったら、いつでも呼んでくれよ」と。


 小さな街は噂話の広まる速度が早い。次の日、二日酔いでがんがんする頭を押して、男爵家を訪れた。

 聞いた話では、次期男爵様が近隣の町によく現れるという。何をしているか知らないが、とある筋からの情報では金に困っているらしい。

「大変申し訳ございませんが、イリオン様はご不在です」

 と、執事に言われてがっかりした。わりと早い時間に来たつもりだったが、出遅れたか。

 すると視界の端に見えていた階段から、立派な服を着た初老の男性が降りてきた。

「誰だ?」

 と、こちらへ気づくなり鋭い視線を向けてくる。

 執事はすぐに「イリオン様を訪ねていらっしゃいました」と、説明し、僕はにこやかに口を開く。

「初めまして。投資家のキシンス・マシュフィと申します」

 男爵と思しき男性は不機嫌そうに背を向けた。

「何の用だか知らんが、あいつを訪ねるだけ無駄だ。帰りなさい」

 と、早々に背を向けられてしまった。事前に会う約束をしていないため、そうした態度を取られるのは当然だ。

「失礼いたしました」

 追いかけてもいいことはないと判断し、さっさと屋敷を後にした。


「ここがスィルシオ・オルテリアンの屋敷か」

 次にやってきたのは昨夜、悪口を語られていたオルテリアン氏の屋敷だ。

 氏はやり手の経営者で、大きな工場を建てたことで街の人口増加に寄与した人物だ。数年前には事業を拡大したらしく、そちらの業績もすこぶるいいと聞いていた。

 そもそも僕がこの街に来たのは、氏に投資するためだった。右肩上がりの氏とビジネス契約を結べたら、絶対に大きな金が入る。

 背筋を伸ばし、呼吸を意識して気持ちを落ち着かせる。身だしなみを軽く整えてから、僕は踏み出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る