2
その夜、宿屋近くの酒場で飲んでいると、癖っ毛の青い髪を後ろで一つに結った若い男が絡んできた。
「お兄さん、見ない顔だね。どこから来たんだい?」
背が高く体格もいいが、顔立ちは平均的。おそらく肉体労働をしているであろう彼へ、僕は正直に答えた。
「都からだよ」
「へぇ、そんな遠くから?」
「いや、馬車で半日もあれば着く距離だよ」
「そうだったか? 都には行ったことがないから分からないなぁ」
と、男が手にしたボトルへ口をつけ、どこか考えるような表情だ。
「僕はキシンス・マシュフィ。君は?」
「ん、オレはアレイドだ。アレイド・グリムハースト」
「ああ、南の方にある農園の」
グリムハースト家は広大な土地を持つ農家で、他の街にもその名が知れ渡っていた。そんな家の人間であるならば、仲良くしておいて損はない。
「知ってたのか」
「有名だよ。そのうち挨拶へ行こうと思ってた」
「挨拶ぅ? 何だかよく知らんが……」
と、彼が僕の肩へ腕を回してきた。
「この街に来たなら、ぜひとも知っておいてほしいことがある」
「何だい?」
「スィルシオ・オルテリアンを知ってるか? あのでかい工場の持ち主だ」
もちろんその名前も知っていたが、僕の返答を待たずに彼はぺらぺらとしゃべりだした。オルテリアン氏の悪口だ。過去に子どもたちを屋敷に集めていた時のこと、引き取られた養女のこと、他にもいろいろ。
酒が回っているせいか、とても愉快そうに話すから、反対に僕は冷めてしまった。彼の話から意識をそらし、昼間に出逢った彼女のことを考える。
男爵家の令嬢、メロセリス・レインスウォード。よく考えたら一市民でしかない僕は、彼女と親しくなれたとしても、結婚まではできないのではないか? いや、十分な資産があれば、あるいは……。
「どうだ? あの人がいい人間でないことは分かっただろう?」
と、アレイドの声にはっとする。とっさに、ちゃんと話を聞いていた風をよそおった。
「ふむ、なるほど。でも僕は、彼の人間性に興味はないよ。仕事の話さえできればそれでいい」
思わず邪険にするような言い方をしてしまった。
彼がきょとんとして、僕の肩に置いていた腕を戻す。それからまたボトルの酒を飲み、何故か口角をつりあげた。
「変わってるんだな、あんた。まあ、オレの話もどうせ過去のことばかりだ。気にしないっていうならそれでもいい」
相手はグリムハースト家の人間だ。少しでもいい印象を持ってもらおうと、瞬間的に思考を巡らせた。
「うん、だから君には感謝してるよ」
「え?」
「あの年代の人たちは保守的でね、僕がしようとしている未来の話には、どうも拒否反応が出るらしいんだ。だからまずは人柄を知っておく必要がある。少しずつ時間をかけて親しくなったところで、こちらから投資の話を持ちかけるんだ。あなたの会社は事業が順調のようなので、僕が資金を提供します。そして利益が出たら、その一割を僕にくれませんか?」
自らの手の内を明かすことで、より関心をひく作戦だった。
アレイドは理解できなかった様子で言う。
「資金は自分で用意するものだろう?」
「そう、従来はね。でもこれからは違う。他者から資金を集めて利益を出し、配分していくシステムになる」
店内がにわかに静まり、失敗したと気づく。彼の関心だけをひくつもりだったのに、他の人々にまで声が届いてしまっていたらしい。
しかし動揺を悟られまいと、僕は笑った。
「アレイド、君の家は農家だったね。事業を拡大する予定はないかい?」
「なっ、ないない! うちは畑だけで食っていけるし、決定権を持つのは親父だ。オレは何を言われても乗らないぞ」
「それは残念」
いや、しかしここは酒の場。明日にはみんな、僕の話など忘れていることだろう。
そうであるよう強く願いながら、ボトルをあおって一気に飲み干す。やけ酒だった。
普段ならこんな飲み方はしないため、急速に意識が遠のいていくのが分かる。それでも投資家のプライドを保つため、僕は笑みを浮かべるのだ。
「気が変わったら、いつでも呼んでくれよ」と。
小さな街は噂話の広まる速度が早い。次の日、二日酔いでがんがんする頭を押して、男爵家を訪れた。
聞いた話では、次期男爵様が近隣の町によく現れるという。何をしているか知らないが、とある筋からの情報では金に困っているらしい。
「大変申し訳ございませんが、イリオン様はご不在です」
と、執事に言われてがっかりした。わりと早い時間に来たつもりだったが、出遅れたか。
すると視界の端に見えていた階段から、立派な服を着た初老の男性が降りてきた。
「誰だ?」
と、こちらへ気づくなり鋭い視線を向けてくる。
執事はすぐに「イリオン様を訪ねていらっしゃいました」と、説明し、僕はにこやかに口を開く。
「初めまして。投資家のキシンス・マシュフィと申します」
男爵と思しき男性は不機嫌そうに背を向けた。
「何の用だか知らんが、あいつを訪ねるだけ無駄だ。帰りなさい」
と、早々に背を向けられてしまった。事前に会う約束をしていないため、そうした態度を取られるのは当然だ。
「失礼いたしました」
追いかけてもいいことはないと判断し、さっさと屋敷を後にした。
「ここがスィルシオ・オルテリアンの屋敷か」
次にやってきたのは昨夜、悪口を語られていたオルテリアン氏の屋敷だ。
氏はやり手の経営者で、大きな工場を建てたことで街の人口増加に寄与した人物だ。数年前には事業を拡大したらしく、そちらの業績もすこぶるいいと聞いていた。
そもそも僕がこの街に来たのは、氏に投資するためだった。右肩上がりの氏とビジネス契約を結べたら、絶対に大きな金が入る。
背筋を伸ばし、呼吸を意識して気持ちを落ち着かせる。身だしなみを軽く整えてから、僕は踏み出した。
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