投資家の思惑
1
「もしかして、僕らの中に犯人が?」
今夜はスィルシオ・オルテリアン氏主催のパーティーだった。僕のビジネスを後押しするため、懇親会として行われたものだ。
それが殺人事件になろうとは、一体誰が予想しただろうか?
僕は都の出身だが、家庭環境はけしてよくなかった。裏通りの狭い部屋で身を寄せ合い、すり切れたボロ布のような毛布の上で寝ていた。食事は一日一食あればマシで、裕福な人たちに恵んでもらうことも少なくなかった。
貧しく困窮した暮らしは人の心を
僕は鬱屈とした幼年期を過ごし、少年になる頃には自力で金を稼ぐ術を身に着けた。
笑顔で近づいていけば、たいていの人は僕を敵だと認識しない。懐に潜りこんでちょっと手伝いをしてやれば、駄賃がもらえる。都の中心部は特にそういうところだった。
自分の金でちょっと小綺麗な服を買えば、もっともっと金を稼げるようになった。
十五歳になる頃には家を出て、金を提供することでより多くの金を手に入れることを覚えた。投資だ。
まだまだ国内では広まっていないやり方だったが、だからこそ僕は、投資家として生きる道を選んだ。
あちらこちらに人脈を作り、事業を起こそうとしている人を見つければ資金を提供し、何ヶ月か後に金を受け取った。提供した金額の三倍になる時もあれば、当てが外れて利益が出ないこともあった。
二十二歳の時には小さいながらも念願の家を買い、悠々自適な暮らしを送れるようになった。だが、これで終わりではない。
僕はさらに金を貯めるべく、都の外へ目を向けた。
人生をうまく生き抜くために必要なのは金だ。金さえあれば
しかし、僕の信念はある出逢いによって、いとも簡単に揺らぎ始めた。
初めて訪れた街では必ず、そこにどんな建物があり、どんな人々が暮らしているかを最初に見る。自分の足で歩いて見聞きすることで、ビジネスになりうる対象を探すのだ。
その日も街を見て回っていた。東の方から川が流れており、
心臓が高鳴り、いつになく緊張した。何だこれはと動揺しながらも、僕の目は彼女に釘付けだ。
淡い金色の髪は肩より上で切りそろえられており、白い肌は
話しかけてみたい、と強く思った。しかし、僕はこれまで金を稼ぐことにばかり気を取られて、色恋というものに一切手を出してこなかった。つまり初恋だった。
女性の扱い方を知らない僕は、悩み、迷い、戸惑った。それでも彼女に近づきたい気持ちが勝り、勇気を出して声をかけた。
「とてもいい絵だね」
はっとして彼女が振り返り、とっさに僕は笑みを作る。
「僕はキシンス・マシュフィ。投資家だよ」
いきなり名乗ってしまったが、彼女はおずおずと返してくれた。
「メロセリス・レインスウォード、です」
レインスウォードといえば、この街の所有者である男爵家の名ではないか! びっくりして彼女を上から下まで、まじまじと見てしまう。
彼女のドレスはどこかおかしなデザインで、仕立て直したらしいことが分かる。絵の具で汚れているところからして、服装に頓着しないというよりは、絵を描く時用の服なのかもしれない。履いている靴は平坦で、きっと道具を運ぶのにヒールでは難しいからだと合点がいく。
貴族の娘なら付き人がいるのが普通だが、男爵家の屋敷からここまでは一本道でそれほど離れていなかった。創作をするにあたって、一人で作業に集中したいという人はよくいるし、彼女もきっとそうなのだろう。
それにしても驚いた。
「まさか、男爵家のお嬢さんだったとは」
ぽつりと漏らした言葉に、彼女がびくっと肩を震わせる。どうやら悪い意味に受け取られてしまったようだ。これまでの様子からして人見知りするタイプのようだし、どうにかして話題を変えないと。
「それにしてもいい絵だ」
あらためてキャンバスに視線をやると、つられて彼女もそれを見た。
市場を描いたと思しき風景画だ。正直に言って出来はあまりよろしくない。可もなく不可もなく、といったところだ。しかし伸びしろはあると思い、僕は口を開く。
「実は知り合いに画商がいてね、いろいろな絵を見てきたが……メロセリス嬢の絵は、
嘘は言っていなかった。
「影の描き方も素晴らしいね。全体として見ると柔らかい印象なのに、じっくり見ていくと筆致の細やかさに目が奪われる。実に素晴らしい絵だよ」
「そ、そんなことない、です……」
恥ずかしそうに返した彼女は、頬を真っ赤にしていた。あまりにも可愛くて胸がときめく。
このまま絵を通じて親しくなろうと、「いいや、僕の目に狂いはない」と、言い切った。言い切ったのはいいが、僕ができる話はビジネスしかなかった。
「作品を画商に売ったことは?」
「い、いえ……誰も買ってくれなくて」
「まさか!?」
投資の話をする時のノリで驚いてみせたが、さすがに大げさだと自分でも分かった。しかし、こうなってはもう引き返せない。
「なんてことだ。貴女の絵はもっと世に知られるべきだ。よければ一枚、僕に預からせてはくれないかい?」
「え?」
「馴染みの画商へ見せれば、すぐに買い取ってくれるはずだ。預けるのが不安なら、この場で買い取ったっていい」
コートの内ポケットに手を入れて財布を探る。
「え? え?」
彼女は混乱しており、「ちょ、ちょっと待ってください!」と、それまでにない大きな声を出した。
そこではたと気がつき、僕は冷静になる。
「ああ、いや、一気にいろいろ言ってしまって申し訳なかった」
と、取り出した財布をしまい、何でもビジネスに持ちこむ悪癖にため息をつく。しかし、これで彼女との縁が切れては困る。
そうだ、彼女の絵を世に出せたなら、きっと僕の存在を無視できなくなるのではないか? 最初はビジネスパートナーでもいい、親しくなるチャンスはこれから先にいくらでもあるはずだ。
「でも僕は本気だよ。貴女の絵をどうにかして世に出したいと、本気で思っている」
と、キャンバスを見つめて真剣に言った。やはり可もなく不可もない絵だ。これは画商の知り合いに頼みこんで、どうにか買い取ってもらえるように根回ししておかないと。
そこまで考えたところで、ふと僕はたずねた。
「貴女はいつもここで絵を?」
「あ、はい。天気の悪い日以外は、だいたいここにいます」
「そうか、分かった。それじゃあ、また会いに来るよ。返事はその時に聞かせてもらうから、考えておいて」
「は、はい」
にこりと笑みを向けてから、僕は来た道を戻り始めた。素敵な女性との出逢いに浮かれ、まだ何もしていないのに、この街に来てよかったと思った。
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