投資家の思惑

「もしかして、僕らの中に犯人が?」

 今夜はスィルシオ・オルテリアン氏主催のパーティーだった。僕のビジネスを後押しするため、懇親会として行われたものだ。

 それが殺人事件になろうとは、一体誰が予想しただろうか?


 僕は都の出身だが、家庭環境はけしてよくなかった。裏通りの狭い部屋で身を寄せ合い、すり切れたボロ布のような毛布の上で寝ていた。食事は一日一食あればマシで、裕福な人たちに恵んでもらうことも少なくなかった。

 貧しく困窮した暮らしは人の心をむしばむ。気に食わないことがあると暴力を振るう父、子どもを守る余裕のない母。金が無いのに子どもばかり増えるため、赤ん坊の何人かは売られていった。

 僕は鬱屈とした幼年期を過ごし、少年になる頃には自力で金を稼ぐ術を身に着けた。

 笑顔で近づいていけば、たいていの人は僕を敵だと認識しない。懐に潜りこんでちょっと手伝いをしてやれば、駄賃がもらえる。都の中心部は特にそういうところだった。

 自分の金でちょっと小綺麗な服を買えば、もっともっと金を稼げるようになった。

 十五歳になる頃には家を出て、金を提供することでより多くの金を手に入れることを覚えた。投資だ。

 まだまだ国内では広まっていないやり方だったが、だからこそ僕は、投資家として生きる道を選んだ。

 あちらこちらに人脈を作り、事業を起こそうとしている人を見つければ資金を提供し、何ヶ月か後に金を受け取った。提供した金額の三倍になる時もあれば、当てが外れて利益が出ないこともあった。

 二十二歳の時には小さいながらも念願の家を買い、悠々自適な暮らしを送れるようになった。だが、これで終わりではない。

 僕はさらに金を貯めるべく、都の外へ目を向けた。


 人生をうまく生き抜くために必要なのは金だ。金さえあればみじめな思いをせずに済む。金とはつまり幸福だ。

 しかし、僕の信念はある出逢いによって、いとも簡単に揺らぎ始めた。

 初めて訪れた街では必ず、そこにどんな建物があり、どんな人々が暮らしているかを最初に見る。自分の足で歩いて見聞きすることで、ビジネスになりうる対象を探すのだ。

 その日も街を見て回っていた。東の方から川が流れており、川辺かわべりに一人きりで絵を描いている女性を見つけた。真剣な顔をして筆を動かす彼女に、あろうことか僕は一目惚れしてしまった。

 心臓が高鳴り、いつになく緊張した。何だこれはと動揺しながらも、僕の目は彼女に釘付けだ。

 淡い金色の髪は肩より上で切りそろえられており、白い肌は川面かわもに反射した光を受けて綺麗だ。キャンバスを見つめ、一心に筆を動かしている彼女の瞳は、深いシトリンのようで美しい。

 話しかけてみたい、と強く思った。しかし、僕はこれまで金を稼ぐことにばかり気を取られて、色恋というものに一切手を出してこなかった。つまり初恋だった。

 女性の扱い方を知らない僕は、悩み、迷い、戸惑った。それでも彼女に近づきたい気持ちが勝り、勇気を出して声をかけた。

「とてもいい絵だね」

 はっとして彼女が振り返り、とっさに僕は笑みを作る。

「僕はキシンス・マシュフィ。投資家だよ」

 いきなり名乗ってしまったが、彼女はおずおずと返してくれた。

「メロセリス・レインスウォード、です」

 レインスウォードといえば、この街の所有者である男爵家の名ではないか! びっくりして彼女を上から下まで、まじまじと見てしまう。

 彼女のドレスはどこかおかしなデザインで、仕立て直したらしいことが分かる。絵の具で汚れているところからして、服装に頓着しないというよりは、絵を描く時用の服なのかもしれない。履いている靴は平坦で、きっと道具を運ぶのにヒールでは難しいからだと合点がいく。

 貴族の娘なら付き人がいるのが普通だが、男爵家の屋敷からここまでは一本道でそれほど離れていなかった。創作をするにあたって、一人で作業に集中したいという人はよくいるし、彼女もきっとそうなのだろう。

 それにしても驚いた。

「まさか、男爵家のお嬢さんだったとは」

 ぽつりと漏らした言葉に、彼女がびくっと肩を震わせる。どうやら悪い意味に受け取られてしまったようだ。これまでの様子からして人見知りするタイプのようだし、どうにかして話題を変えないと。

「それにしてもいい絵だ」

 あらためてキャンバスに視線をやると、つられて彼女もそれを見た。

 市場を描いたと思しき風景画だ。正直に言って出来はあまりよろしくない。可もなく不可もなく、といったところだ。しかし伸びしろはあると思い、僕は口を開く。

「実は知り合いに画商がいてね、いろいろな絵を見てきたが……メロセリス嬢の絵は、繊細せんさいな色使いがとてもいい」

 嘘は言っていなかった。

「影の描き方も素晴らしいね。全体として見ると柔らかい印象なのに、じっくり見ていくと筆致の細やかさに目が奪われる。実に素晴らしい絵だよ」

「そ、そんなことない、です……」

 恥ずかしそうに返した彼女は、頬を真っ赤にしていた。あまりにも可愛くて胸がときめく。

 このまま絵を通じて親しくなろうと、「いいや、僕の目に狂いはない」と、言い切った。言い切ったのはいいが、僕ができる話はビジネスしかなかった。

「作品を画商に売ったことは?」

「い、いえ……誰も買ってくれなくて」

「まさか!?」

 投資の話をする時のノリで驚いてみせたが、さすがに大げさだと自分でも分かった。しかし、こうなってはもう引き返せない。

「なんてことだ。貴女の絵はもっと世に知られるべきだ。よければ一枚、僕に預からせてはくれないかい?」

「え?」

「馴染みの画商へ見せれば、すぐに買い取ってくれるはずだ。預けるのが不安なら、この場で買い取ったっていい」

 コートの内ポケットに手を入れて財布を探る。

「え? え?」

 彼女は混乱しており、「ちょ、ちょっと待ってください!」と、それまでにない大きな声を出した。

 そこではたと気がつき、僕は冷静になる。

「ああ、いや、一気にいろいろ言ってしまって申し訳なかった」

 と、取り出した財布をしまい、何でもビジネスに持ちこむ悪癖にため息をつく。しかし、これで彼女との縁が切れては困る。

 そうだ、彼女の絵を世に出せたなら、きっと僕の存在を無視できなくなるのではないか? 最初はビジネスパートナーでもいい、親しくなるチャンスはこれから先にいくらでもあるはずだ。

「でも僕は本気だよ。貴女の絵をどうにかして世に出したいと、本気で思っている」

 と、キャンバスを見つめて真剣に言った。やはり可もなく不可もない絵だ。これは画商の知り合いに頼みこんで、どうにか買い取ってもらえるように根回ししておかないと。

 そこまで考えたところで、ふと僕はたずねた。

「貴女はいつもここで絵を?」

「あ、はい。天気の悪い日以外は、だいたいここにいます」

「そうか、分かった。それじゃあ、また会いに来るよ。返事はその時に聞かせてもらうから、考えておいて」

「は、はい」

 にこりと笑みを向けてから、僕は来た道を戻り始めた。素敵な女性との出逢いに浮かれ、まだ何もしていないのに、この街に来てよかったと思った。

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