幸せになりたい子どもたち
晴坂しずか
プロローグ 執事の回想
1
部屋に足を踏み入れるまでもなかった。書斎の椅子に座ったまま、私の主であるスィルシオ・オルテリアンは絶命していた。
事態を察した瞬間、無意識にのどが震えた。「ひっ」というかすかな音がし、らしくもなく動揺している自分に気づく。
主人の上等なワイシャツは赤い血にまみれていた。どうやら銃で胸を撃たれたらしい。
客人たちが次々に集まってきては状況に気づき、ざわついた。
「死んでる、のか?」
「そんな……嘘でしょ、あなた!」
「待って、近づかない方がいいわ」
「おじさん、本当に死んじゃったの?」
「殺人だ、誰かが彼を殺したんだ……っ」
「さっき聞こえた銃声って……」
「もしかして、僕らの中に犯人が?」
私は深く息を吸った。こんな時だからこそ、執事として冷静でいられるよう努める。
客人たちを振り返り、視線が自分に集まっているのを確認してから言った。
「皆様、落ち着いてください。まずは警察を呼びましょう」
物心がつく以前から私に両親はおらず、教会が運営する養護施設で育った。捨てられたのか何なのか、理由も分からなければ、両親に関する情報も何一つ持ち合わせていなかった。
施設での暮らしはけしていいものではなかったが、神父様やシスターたちから読み書きを学び、社会における一般常識を教わった。一定の年齢になると施設を卒業させられるため、一人でも生きていけるように支援してくれていたのだ。
私は早くからそのことを理解して生活し、誰よりも真剣かつ貪欲に学んだ。身寄りのない人間が弱者であることにも気づいており、自分の人生をいかによいものとするか、考えを巡らせてばかりいた。
十五年前のあの日、十歳だった私はスィルシオ・オルテリアンと出会った。何の目的で施設を訪れたのかは知らないが、彼はいかにも身なりが整っていて、金持ちに特有の余裕のある雰囲気を
子どもたちはみな彼に連れていってもらおうと必死だった。まとわりつき、遊んでとせがみ、何しに来たのかと問う。
私は遠巻きにながめていた。現実的に考えて、誰かの養子になれる可能性は低い。引き取られた先で何があるかも分からない。それよりも賢い大人になって、一人でも生きていけるようにするのが先だ。
彼が応接間に通されると、シスターが子どもたちへ散り散りになるよう言った。何の話があるのか聞き耳を立てようとした子にも注意をし、静かになってからシスターは応接間へ戻った。
それからしばらくもすると、何故かシスターが私へ声をかけてきた。
「タルヴォン、ちょっとこちらにいらっしゃい」
何かと思いながらも素直に従うと、私は応接間へ連れて行かれた。シスターは彼へ私をこう紹介した。
「この子はまだ十歳ですが、とても賢くて器用な子です。大人の言うこともちゃんと聞くし、分別もあります」
私はびっくりしてしまい、シスターと彼の顔とを交互に見るばかりだった。
彼は私をまじまじと見つめ、質問した。
「使用人として働く気はないかい?」
「養子ではなく、ですか?」
「ああ。僕が探しているのは、身の回りの世話をしてくれる使用人なんだ」
金持ちの考えは分からない、と思いながらたずねる。
「使用人なら、子どもではなく大人を雇うべきなのでは?」
彼はきょとんとしてから笑った。
「ははは、そりゃそうだ。だが、申し訳ないことに大人を雇えるほどのお金は出せなくてね。完璧な仕事は求めないから、どうか雇われてくれないかい?」
つまり、この大人は安い給料で子どもをこき使おうと言うらしい。好意的には思えなかったが、いち早く社会に出られるならそれもいい。十歳の子どもを引き取ろうなどという大人が、この先現れてくれるはずもないのだ。千載一遇の好機だった。
「分かりました」
こうして私は使用人となり、オルテリアン氏の元で働くことになった。
詳しくは語らなかったが、彼は家族ととうの昔に縁を切ったらしい。そのために一人で大きな屋敷に住んでいた。庭は広々としていたし、玄関の扉も立派だった。
中へ入るとあまり物がなく、オルテリアン氏は脱いだコートをコートラックにかけながら言った。
「まずは掃除だけしてくれればいいよ」
「掃除だけ、ですか?」
「ああ。慣れてきたら料理や洗濯、庭の手入れもしてくれると助かる」
見れば廊下の隅に
「分かりました」
「かしこまりました、と言う方がいいな」
さっそく注意されてしまい、びくっとして背筋を伸ばした。
「か、かしこまりましたっ」
「そんなに緊張しなくていい。これまでは僕が自分でやってたんだ、気を楽にしておくれ」
オルテリアン氏あらため旦那様は気さくに笑い飛ばしてくれた。まだ子どもだった私は励まされ、使用人という人生も悪くないかもしれないと思った。
私が寝起きする部屋は一階の奥にある、物置のような小さな場所だった。しかし一人で使うにはちょうどよい広さで、いざ暮らしてみるとなかなか快適だった。
朝六時に目を覚まし、まずは自分の朝食を昨夜の余り物でささっと済ませる。それから朝市へ行き、新鮮な野菜や焼きたてのパンを購入した。
帰宅する頃には旦那様が起きてくるので、急いで朝食を作って出した。
最初は簡単な料理しか作れなかったが、旦那様は私を褒めてくれた。
「ルーヴォの作る料理は美味いな。どこかで習ったのか?」
「いえ、見様見真似です。施設にいた時、よく厨房をのぞいて調理する様子を見ていました」
正直に答えた私に彼は感心した。
「ほう、それなら才能があるんだな」
「才能?」
「美味い料理を作る才能だ。その気があるならシェフになった方がいい」
そう言ってもらえるのは喜ばしかったが、私は簡単に調子に乗るような子どもではなかった。
「ありがとうございます」
その場では笑みを返してやり過ごした。――何を言われようとも相手を疑う。どんな時でも、馬鹿正直に受け止めてはならない。すでに私はそのことを学んでいた。
主人の朝食が終わったら、食事の後片付けをする。スケジュールは日によって違うため、その前に仕事へ向かう彼を玄関まで見送ることもあった。
玄関は広く、入ってすぐの左手はロビーになっていた。ひとりがけのソファと低めの棚が設置されていて、そこには絵本や童話が何冊も並んでいた。旦那様は定期的に屋敷を解放し、街の子どもたちを楽しませているのだと話した。貧しい家の子も裕福な家の子も関係なく、すべての子どもに屋敷で遊ばせてやるのだ、と。
そのため、玄関とロビーはいつ誰が来てもいいよう、こまめに掃除をすることにした。
左側の廊下に行くと左手に応接間があり、右手に暖炉の置かれた居間がある。旦那様は夕食後、居間でよくくつろいでいた。そのため、ここも優先的に掃除した。
居間の隣にあるのは食堂だ。長テーブルに八脚の椅子があり、客人との食事を楽しめるようになっていた。もっぱら使うのは主人一人だけなので、使わない椅子の掃除は優先度が低い。
食堂の隣は階段になっていて、玄関を入ってすぐの正面に位置していた。階段下は物置で、主に掃除道具がしまわれていた。
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