階段の隣は厨房だ。広々とした調理台に、綺麗な皿やグラスのそろった食器棚もあった。一人で暮らしていたせいか、ほとんどの食器が使われておらず、最初は飾りなのかと思ったくらいだ。

 厨房の向かいにはお手洗いと浴室があり、洗濯物をする時はここで桶に水をためた。水道が整備されていることがありがたく、主人の後であれば風呂に入ることが許されていた。施設ではカラスの行水がごとく、井戸水を頭から浴びるだけだったため、初めて風呂に入った時は感動した。

 階段を上がった二階の正面には旦那様の書斎があり、その隣が寝室になっていた。他には客間が五つあり、一番広い部屋が子ども部屋になっていた。いろいろなおもちゃが置いてあるだけでなく、ボードゲームまでそろっていた。

 庭を含めた敷地面積はそれなりだったが、屋敷の中は慣れてくるとそれほど広くもないと分かった。養護施設では大勢の子どもたちと暮らしていたため、自分と主人しかいないここが広く感じられただけなのだ。

 掃除、洗濯、料理、庭の手入れも十分に一人でこなせた。ほどよくやりがいもあって楽しく続けられる、まさに天職だった。


 私が雇われてから、初めて子どもたちが遊びに来た日のことだ。

 扉を開けて出迎えた私を見て、子どもたちは一様にびっくりした顔をしていた。

「使用人のタルヴォンと申します」

 と、自己紹介をしたが、あまり受け入れてもらえた感じではない。

 すると、銀髪の美しい少年が手本を見せるように口を開いた。

「おじさまに雇われたのか。僕はイリオン・レインスウォードだ、よろしく」

 と、整った顔で笑みを向けてきたのだ。

 同じ年頃だったこともあり、最初は何を言われるかと身構えていたが、イリオンが私を使用人として見てくれたことで、他の子どもたちもならった。それでいいと、無性にほっとしたのを覚えている。

 年下の子たちはすぐ私になついてきた。施設にいた頃はよくシスターの手伝いをしていたし、小さな子の面倒を見ることには慣れていたため、問題なくもてなすことができた。


 しかし、旦那様が子どもを屋敷に招くのは一種のストレス発散だったようだ。

 約一年が経過した頃、彼がお気に入りの少年を自分の寝室に連れこむところを見てしまった。初めに私へ笑いかけてくれたイリオンだ。

 何が行われているかは察しがついた。旦那様はなのだ。

 最悪じゃないかと思ったが、私もまた標的にされていることに気づいていた。時々、妙にぎらついた視線が送られていたからだ。幸いにも触られることは一度もなく、主従関係に亀裂が入ることはなかった。

 旦那様はイリオンの他にも何人かの子どもを部屋に連れこみ、行為におよんでいた。子ども自身が嫌がったのか、事態に気づいた親が止めたのだろう。時間の経過とともに、集まる子どもの数は徐々に減っていった。

 私が十七歳になる頃には、以前の半分程度の子どもしかやってこなくなっていた。おそらく危惧きぐしたであろう旦那様は、休みの度に養護施設をいくつも巡った。最終的に彼が連れて帰ってきたのは、赤毛が特徴的な一人の少女だった。

「この子は今日から娘になるミランシアだ」

 緊張しているのか落ち着きのない少女は、旦那様好みの気の強そうな顔立ちをしていた。いずれこの子は彼とそういう関係になるのだろう――私は使用人として理解を示した。

「初めまして、ミランシアお嬢様。私は使用人のタルヴォン・ファルクレインと申します」

「は、はじめまして……」

 口を開けば生意気さがにじむ。目つきといい喋り方といい、おかしいくらいに旦那様好みだ。まったくよく見つけてきたものだと、内心で感心せずにはいられなかった。

「ルーヴォでかまいませんよ」

 と、微笑んでやれば、ミランシアは緊張を解いて頬をゆるめた。

 気の毒な彼女に同情したわけではないが、できるかぎり優しく接した。旦那様と三人で暮らす日々は悪くなかったし、マンネリとした日々にほどよい刺激を与えてくれた。

 一方で旦那様の依怙贔屓えこひいきは加速し、お気に入りとそうでない子どもとの差がはっきりしてきた。

 彼の世間体や評判を守りたかったわけではないが、私は後者のフォローに回った。旦那様が目をかけない子どもだって、私からすれば客人だからだ。


 庭の片隅で一人、いつも絵を描いている金髪の少女がいた。男爵令嬢のメロセリス・レインスウォード、イリオンの腹違いの妹だ。兄とはまったく顔が似ていなかったため、旦那様が彼女を見ることはなかった。

 それはいいことであると同時に悲惨なことでもあった。いかにも気の弱い彼女は、子どもたちの輪の中へうまく入れなかったのだ。旦那様に気に入られていれば、自然と輪の中へ引き入れてもらえただろうに……私は彼女のことを思う時、とても複雑な気持ちになった。

 使用人である私にできたのは、彼女を客人としてもてなすだけ。ある日、厨房の棚に隠していたクッキー缶を手に庭へ出た。

 メロセリスの元へ足早に向かうと、もう一人いた。彼女と同じ立場にある青い癖っ毛の少年、農家の長男アレイド・グリムハーストだ。

 ちょうどいいと思い、私は笑顔で声をかけた。

「お二人とも、ここにいらしたんですね。クッキーを持ってきたので、三人で食べませんか?」

 同時に二人がこちらに顔を向け、アレイドが不思議そうにたずねる。

「ルーヴォも食べるのかい?」

 私はにやりと笑ってみせた。

「旦那様には内緒ですよ」

 彼女たちはおかしそうにくすりと笑ってくれた。使用人もまた人間であることを理解し尊重できる、賢くて優しい子どもたちだった。


 二十歳になった日、旦那様は私を執事に格上げしてくれた。

「ルーヴォ、今日からお前は執事だ。仕事はこれまで通りでいいが、今後は執事の自覚を持って働いてくれ」

「はい、一所懸命に務めさせていただきます」

 給料が上がり、支給される服も立派になった。旦那様の事業が好調だったため、その恩恵を受けてのことだった。

 その分ストレスも溜まっていたのだろう。とうとうミランシアが餌食となり、私は当然のように知らない振りをした。

 最初こそ可愛げのあった彼女だが、成長とともに高飛車な態度をとるようになっていた。元から気が強いことも手伝って、彼女の周りからはどんどん人が離れていく。私もこの頃には好意と嫌悪が半々になっていて、どうにでもなれと思っていた。

 我ながら冷たいと思うが、人間とは得てしてそういうものである。ますます冷めた目で物を見るようになり、給料が貯まっていくことだけが楽しみだった。

 衣食住が安定しており、毎月給料がもらえる。これだけで十分に幸せだ。執事には一生独身でいる人も少なくない。私もそうなるかもしれないと頭の片隅で覚悟しつつ、主人たちに仕え続けた。元から何かに執着するような人間でもなかった私は、やはり執事が天職だったのだ。

 一方で愛する人と結ばれ、結婚して幸せになるという、おとぎ話のような幸せに憧れてもいた。もちろん、口に出したことは一度もない。

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