養女の願い

「そんな……嘘でしょ、あなた!」

 急いで駆け寄ろうとするあたしだったが、そばにいたニャンシャに腕をつかまれて阻止されてしまった。振り払おうとしたら、強く力をこめられて動けなかった。

 スィルシオおじさんはあたしにとって、唯一の人だった。光であり、希望であり、神にも等しい存在だった。

 そんな彼が殺された? 何で。

 彼は素晴らしい人だったのに、どうして殺されなければならないの? まるで馬鹿の所業だわ。

 しかも銃で撃たれたなんて。この中に犯人がいるかもしれないと思うと虫酸むしずが走る。今来た風を装っている人がいる、ということだもの。

 まったく信じられないわ。あたしだったら彼が息絶えるその瞬間まで見守るし、きっとその後もずっとそばにいる。だって心から愛しているんだもの。最後の最期まで見ていたいに決まってるじゃない!


 彼との出会いは八年前、あたしが十歳の時だった。

 貧しい養護施設で大して楽しくもない生活を送っていた。両親はあたしの小さな頃に死に、面倒だと思った親戚があたしを施設へ送ったの。

 昼間でも暗い場所だった。おもちゃはどれも古ぼけて壊れていたし、庭も狭くて駆け回れやしない。じめじめとしていて空気も悪かった。

 そんなところへおじさんが何故やってきたのか、理由は知らない。もしかしたら寄付金を持ってきたのかもしれないと、大人になった今では思う。

 客人の訪問に子どもたちがざわざわして、あたしもみんなと一緒になってその人を見に行った。そこであたし、彼と目が合ったの。

 中肉中背のいかにも中年といった特徴のない見た目だったけど、群青色の瞳は優しく微笑んでいたわ。そしてあたしの前まで来てたずねたの。

「君の名前は?」

「ミランシア」

「いい名前だ、ミランシア。僕の家へ来てくれるかい?」

 誰もが驚いて騒然とした。あたしも信じられなかった。

 でも、にこりと微笑む彼の優しい顔を見たら、不思議と安心して心を開いたわ。

「うん」

 あたしはうなずき、その日のうちに彼の子どもになることが決まった。


 彼の屋敷には男の人が一人いて、使用人として働いていた。あたしもメイドにされるのかと思い、とっさにおじさんを見上げたわ。

 あたしの視線に気づいたおじさんは、一度こちらを見てから使用人の彼へ言った。

「この子は今日から娘になるミランシアだ」

 使用人の彼は目を丸くしたが、すぐに理解した様子だった。知的な顔をまっすぐにこちらへ向け、しっかりと挨拶をした。

「初めまして、ミランシアお嬢様。私はタルヴォン・ファルクレインと申します」

「は、はじめまして……」

 どぎまぎするあたしへ、タルヴォンは優しく微笑んだわ。

「ルーヴォでかまいませんよ」

 深い茶色の髪の毛と青い瞳の彼は、あたしより七歳年上で、その頃にはすでに背が高かった。おじさんの背丈をゆうに超えていて、使用人らしく上等な服を身にまとっていた。

 他に使用人がいないため、タルヴォンはあたしたちの身の回りの世話から掃除に料理まで、すべて一人でこなしていた。

 すぐに通いの家庭教師が雇われて、あたしは食事のマナーから歩き方に喋り方、文字の読み書きに計算と、ありとあらゆる教養を身に着けさせられた。おじさんがそうするように指示したの。

 あたしは自分が「お嬢様」になれたことが嬉しくて、ただただ必死で頑張ったわ。

 それでも慣れないことをすると疲れちゃう。そういう時、タルヴォンはいつも優しく労ってくれた。温かい紅茶とお菓子を用意してくれて、「以前よりも上品になりましたね」って褒めてくれたの。

 だからあたしはより「お嬢様」らしくあろうと思い、背筋をぴんと伸ばして過ごすようになった。喋り方にも気をつけて、外国語も努力して覚えたわ。

 最初の頃、タルヴォンはあたしにとって心の支えだった。聞いた話によれば、彼もかつて養護施設にいたという。そこでおじさんと出会い、使用人として雇われたのだ。

「旦那様には今でも感謝しています」

 優しい声でそう語った彼の顔は、とても穏やかで幸せそうだった。あたしもそんな風に笑えるようになりたくて、今の暮らしがまぎれもなく幸せなのだと学習した。

 ううん、実際に幸せだった。施設ではすりきれた毛布をかぶって、今にも壊れそうなベッドで寝ていた。でもここへ来てからは違う。ベッドは綺麗でふわふわの枕に暖かい毛布だ。食事も一日三食、タルヴォンが作ってくれる美味しい食事が食べられた。

 あの辛くて暗い色をした日々が、まるで嘘みたいだった。生きていることをこんなに楽しいと思えたのは、両親が亡くなってからは初めてだった。

 おじさんはあたしをたくさん可愛がってくれて、時間のある時は必ず一緒に食事をした。楽しかったことや新しく覚えたことを話して、いっぱいいっぱい褒めてもらった。

 定期的におじさんが街の子どもたちを集めて一緒に遊んでいると知っても、一番に可愛がられているという自負があった。何故なら、あたしは娘なのよ。みんなの大好きなおじさんの養女、同じ屋敷で暮らす唯一の子どもなんだもの。

 そんなあたしをねたむ子どももいたし、分かりやすく距離を置く人たちもいた。するとあたしはますますいい気分になって、おじさんに甘えるようになったわ。

 タルヴォンも同じ。子どもたちが集まると、タルヴォンは屋敷の使用人としてみんなの面倒を見てくれた。子どもたちの一部が彼に懐いていることも、なんとなく気づいていた。でも、彼はあたしとおじさんの使用人。みんなとは関係の深さが違うのよ。

 あたしはおじさんのこともタルヴォンのことも、同じくらいに好きだった。どちらかを選べと言われたら、真剣に悩んでしまうくらいにどっちも好きだった。

 いつまでもこの三人で暮らしたいと思った。この穏やかな日々がずっと続くようにと、あの頃は本当に願っていた。


 五年前、タルヴォンが正式な執事になった頃、生活に変化があった。

 静かな夜だった。就寝する前にベッドで本を読んでいると、おじさんが訪れた。

「どうしたの?」

 と、あたしが不思議に思ってたずねると、彼はそっとベッドの端に腰かけたわ。この部屋にタルヴォンが入ることはあったけど、おじさんが入るのは初めてだった。

「大事な話があるんだ、ミランシア」

 そう言っておじさんはあたしを見つめ、そっと片手を伸ばしてきた。頬に優しく触れてにこりと――それまでに見たことのない――微笑みを向けたの。

「僕は君が成長していく姿を嬉しく思っている。だけど、日に日に美しくなっていく君を見ていると……」

 頬から顎へと手が移り、無理矢理に上を向けさせられた。

 気づけば彼の顔が間近にあったわ。あたしは何だか怖くて……怖くて、何もできなかった。

「愛しているよ、ミランシア」

 唇が重なって思わず呼吸を止めたわ。でも、あたしはまだ小さかった。すっかり彼に抱きすくめられて、すみれ色のネグリジェのすそから分厚い指が入ってきても、何も出来なかった。

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