オレはイリオンと親しくないから、詳しいことは知らない。年も違うし共通点もない。昔、おじさんの屋敷で何度か会ったことがある程度のつながりだ。

 あとは人から聞いた情報になる。

 イリオンはどうやら、禁止薬物の運搬だか売買だかに関わっているらしい。男爵家の経済状況は悪くなかったと思うが、いつからか悪事に手を染めるようになったのだ。

 妹ニャンシャに負けず劣らず、イリオンも眉目秀麗の天使のような人だった。知性にあふれていて紳士的で、少なくとも暴力に頼るような人ではなかった。その点はひそかに評価していたのだが、彼にも裏の顔があったというわけだ。

 国で禁止されている薬物をどこからか仕入れ、どこかへやっている。証拠も根拠もない噂でしかないが、もしもそれが本当なら大事件だ。ましてや男爵家の長男、家の名前に傷がつく。

 イリオンはすでに結婚して子どもをもうけている。それなのに悪事を行っているとなれば、元からそうした気質のある人間だったというほかないだろう。人によっては母親の血だとさげすむかもしれない。

 野菜を売るため市場へ行く時、たまに彼の姿を見かける。少年だった頃より顔はきつくなったが、人目をひく容姿に変わりはない。少し青みのかった長い銀髪を揺らして歩く姿は、どことなく浮世離れして見えた。

 街に黒い噂が流れてもかまわないらしく、常に前を向いて堂々と歩いていく。自分が注目されていることに気づいていないわけがないだろうに、イリオンは他人のことなどどうでもいいらしかった。

 かれこれ十五年以上前になるが、スィルシオおじさんは彼を特に気に入っていた。貴族の長男であり、同情する境遇にいたからだろう。おじさんの隣には必ず彼がいたのだ。イリオンもおじさんになついており、とても仲良くしていたと記憶している。

 しかし、それも大人になるまでのこと。イリオンはミランシアと入れ替わるようにして、屋敷へ来なくなった。

 およそ一年前だっただろうか。タルヴォンから、おじさんがイリオンに会いに行ったと聞いた。その前に噂の話をしたそうだから、事実かどうか確かめに行ったのだ。

 その後のことは知らないが、想像なら出来る。

 もしも噂が事実だったとしたら? イリオンもまた殺意を抱いた可能性がある。悪事をバラされたら一巻の終わりだからだ。

 さらに、そこへ妹ニャンシャからの頼みだ。自ら手を下したとしてもおかしくはない。

 つまり、イリオンとニャンシャによる殺人だった。貴族の兄妹が協力してくわだてた、殺人事件だったのだ!

 なんてのは、さすがにフィクションが過ぎるだろうか。第三者を雇った、と考える方が現実的かもしれない。

 あまり考えたくないのだが、実はイリオンとニャンシャ、二人と深く関わっていた人物に心当たりがある。俺の弟、ノエトだ。


 ノエトについて語るのは正直に言って心苦しい。生まれた時から可愛がってきた大切な弟、かけがえのない家族だ。おじさんを殺したかもしれないなんて、兄としては疑いたくない。しかし、この状況からして嫌疑けんぎをかけずにいられないのも事実だ。

 まったく気乗りはしないが、ノエトについて語ろう。彼には昔から危ういところがあった。

 小さな頃は元気いっぱいなやんちゃ坊主で落ち着きがなく、少し目を離すと何をやらかすか分からなかった。ノエトはよくも悪くも危なっかしい子どもだったのだ。

 いつも笑顔を浮かべていて人懐こいから、ノエトもおじさんに気に入られていた。ノエトもおじさんのことが大好きで、彼に何をしてもらったか聞かされる度、オレは居心地の悪さを覚えたものだ。

 ノエトはそんなオレの気持ちを察することはなかった。そう、他人の気持ちを想像できないのだ。オレとノエト、おじさんからの扱いが違うことにすら、彼は気づいていないようだった。

 その頭の弱さは成長とともに悪い意味で目立ち始め、両親も弟には期待できないと漏らすようになった。

 うちでは何種類もの野菜を育てているが、広大な畑を管理するのに大勢の従業員を住みこみで雇っている。彼らへの賃金を弟は計算できないし、適切な接し方も分かっていない。収穫した野菜は市場へ行って売りに出すが、そのやり取りすらもノエトはろくにできなかった。

 そんな弟が誰よりも大好きなのがニャンシャだ。小さい頃からずっと彼女を追い続け、何度振られてもつきまとう。最初こそ家族総出でたしなめたが、ノエトには理解できなかったようだ。


 十七歳になった今でも、彼は彼女につきまとっている。働きもせず、日中から街をふらふらしているのだ。どうしたものかとオレたちはひそかに頭を悩ませているが、かといってノエトを家に閉じこめるようなひどい真似もできない。

 気にかけるばかりで実質的に放置していたら、ノエトがある時話してくれた。

「今日はリオの手伝いをしてきたんだ。リオはお金をくれたよ」

 リオとはイリオンのことである。

 オレはびっくりして目を丸くしたが、弟はにこにこと楽しげに笑って言うのだ。

「荷物を運ぶだけの簡単な仕事だったのに、誰もやってくれる人がいなかったんだって」

 黒い噂を知っていれば手伝うわけがない。しかし、ノエトがそうしたことに無知であるのをいいことに、イリオンは使いやがったのだ!

「悪いんだけど、ノエト。次にイリオンと会っても、もう彼の手伝いはしない方がいい。いや、口をくのもやめてくれ」

 半ば懇願こんがんをこめてそう言ったが、ノエトは不思議そうにするばかりだ。

「何で? ただ荷物を運んだだけだよ。リオだって喜んでたよ」

「それは、その……」

 どう説明したらいいか、分かりやすく伝えようとして考えれば考えるほど、うまい言葉が出てこなくなる。

 ノエトは不機嫌な顔になった。

「変な兄さん。ボクだってお金をもらったんだから、いいじゃないか」

 オレはびっくりして語気を強めてしまった。

「お金までもらったのか!? ますますよくないよ、ノエト!」

 結局オレは弟を説得できず、いつしか荷物運びを手伝うのが彼の習慣になってしまった。

 イリオンから引き離したいのは山々だが、お金を受け取っているだけに強くも出られない。かといって証拠もないのにイリオンを警察に突き出すわけにはいかず、ただただノエトは悩みの種としてすくすく育っていく一方だ。

 すっかり手懐けられた弟に、もしもイリオンやニャンシャが殺害を依頼したとしたら、どうなるだろう? あの無垢むくな手に拳銃を握らせられたら?

 ああ……嫌な想像だ、もう考えるのはよそう。

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