「うーん、やっぱりそういうタイプだよなぁ」

 昨日話した時の印象からして、僕は彼女に自分と近いものを感じていた。僕は根性と知性で成り上がったが、元々は他者から攻撃されやすいタイプの人間だ。今では身なりをきちんとしているせいで、より狙われやすくなっている。だからこそいつ何があってもいいようにと、いつも拳銃を上着の内ポケットに入れて持ち歩いていた。

「幼少時代から存在感の薄い方でしたから、旦那様もつい彼女がいるのを忘れてしまうことがありまして」

 と、言われて思い出す。

「そういえば、オルテリアン氏が依怙贔屓えこひいきをしていたと……」

「おや、ご存知でしたか」

「ああ、昨夜酒場でそんな話を聞かされてね。子どもたちを屋敷に呼んで遊ばせてたとか?」

「ええ、そうです」

 ということは、タルヴォンの今の話も昨夜のアレイドの話も事実なのか。

「つまりメロセリス嬢は、オルテリアン氏に目をかけてもらえなかった、というわけか」

 確認の意味をこめて僕がそう言うと、彼は苦々しい顔でただうなずいた。

 ああ、その悲しみはいかほどか。無意識に自分の経験と照らし合わせて辛くなってしまう。頼れる大人がいないのは非常に苦しいものだ。ましてや、存在を忘れられるような悲しいことがあったなんて、とてもじゃないが許せない。

「ちなみに聞くけど、ルーヴォはその時、彼女のことは……?」

 と、僕がおずおずとたずねると、彼は複雑そうな表情をした。

「ええ、もちろん気にかけてはいましたが、他にも子どもたちがいたので――」

 その先はにごされたが、聞かずとも想像できた。ただでさえ使用人の立場からでは、彼女にしてやれたことは限られていただろう。


 オルテリアン氏は僕の投資家という肩書に興味を示し、好意的に見てくれた。本格的なビジネスの話はまた今度、ということにして屋敷を後にしたが、僕の脳裏にはメロセリス嬢の顔がちらついていた。

 それとこれとは別の話だ。分かってはいても、氏の悪行が消えないのもまた事実。彼女のことを思えば思うほど、彼に対するもやもやした感情は増していく。

 これまではどんなこともビジネスだと割り切ってやってきた。氏よりひどいことをした人物もいた。それなのに……それなのに、ダメだ。全然気持ちが割り切れない。

 恋とはかくも人間をダメにしてしまうものなのかと、未熟な僕は呆然とするのだった。


 その後は約束があるので都へ一度戻り、空いた時間に馴染みの画商へ行ってしっかりと根回しをしておいた。伸びしろはあるから、うまく育てばいい画家になるというだけでなく、半ば詐欺師のような言葉まで使って説得した。

 気づけばあれから六日が経っており、僕はまた街へと向かった。


 川辺りへ向かう途中の道で彼女の姿を見つけた。胸が高鳴り、僕は明るく声をかける。

「メロセリス嬢!」

 道具を抱えた彼女が立ち止まり、びっくりしたのか「あっ、こ、こんにちは」と、どぎまぎして返す。

 隣へ並ぶと身長差があり、彼女の華奢きゃしゃさに庇護欲をかきたてられる。

「この前の話、考えてくれたかい?」

「え、えぇと……その、あなたは私の絵で、お金を儲けようとしているの?」

 ちらちらとこちらを見ながら言われ、僕は思わず目を丸くしてから苦笑した。――そうだった、まずはビジネスパートナーとして親しくなる予定だった!

「いいや、お金なんてどうでもいいと思ってるよ。僕は純粋に、心から君の絵を世界に広めたいだけなんだ」

 僕がとっさにそう返すと、彼女はいかにも自信なさそうにたずねた。

「私なんかの描いた絵を、世界が認めてくれるの……?」

「そうだね、最初は難しいと思う。多くの人に知ってもらうには、段階を踏んでいかなければならない。その最初の一歩を、僕が後押しできたらと思うんだ」

 ここまで言えば首を縦に振ってくれるかと思ったが、彼女は何も言わずに足早になる。やはり貴族の娘、簡単に話に乗るような愚か者ではなかったようだ。残念であると同時に好感も覚えた。

「そうだ。君が画家として名を馳せるまで、僕がサポートするよ。だから、まずは一枚、売ってみないかい?」

 と、提案をしてみたら、彼女が小さくうなるのが聞こえた。悩んでいるようだ。

 以前と同じ場所に彼女がイーゼルを立て、キャンバスを置いた。絵の具と筆にパレットもちゃんと用意し、イーゼルの前に置いた椅子へ腰掛ける。ちょこちょことした動きが可愛いなと思い、つい見入ってしまった。

 はっとして視線を外せば、目に入るのはキャンバス。以前よりも色が増えていた。

「ああ、前よりも描きこみが増したね。もうすぐ完成かな?」

 と、たずねると彼女はうなずく。

「ええ、今日で終わるかと」

「そうか。じゃあ、邪魔したら悪いね」

 本当ならずっとそばで見ていたいが、まだ知り合ったばかりだ。彼女にすれば僕の存在は邪魔だろう。

 ふと思い立ち、僕はその場にトランクを下ろした。しゃがみこみ、フロックコートの内ポケットから手帳と鉛筆を取り出す。彼女が読めるよう、できるだけ丁寧に文字を書いていく。

 僕はすぐにそれを破り取り、彼女へ差し出した。

「これ、僕の知り合いがやってる画商の住所。気が向いたら、ぜひ作品を持っていってほしい」

 受け取った彼女は、どこか呆然とたずねた。

「あなたを介さなくてもいいってこと?」

「ああ、君が一歩を踏み出してくれるなら、僕はそれでいいから」

 画商への根回しは済んでいる。ポケットに手帳と鉛筆をしまい、立ち上がった。

「それじゃあ、また」

 と、トランクを手にしさっさと背を向ける。すると、彼女が椅子から立ち上がり、僕を呼び止めた。

「キシンスさん!」

 ドキッとした。名前を呼ばれるだけでこんなに嬉しくなるなんて!

 何食わぬ顔で振り返れば、メモを握ったまま彼女が言う。

「あ、あの……どうして、私なの? 私の絵、そんなにいいと思えないのに」

 シトリンの瞳はうるんでいた。彼女はまだ暗いところにいるのだ。自分を信じられず、世界にも不信感を抱いている。

 僕は困ってしまったのを笑ってごまかしてから、正直に告げた。

「一目惚れなんだ」

「え?」

 彼女の動揺を悟ったが、恥ずかしくて顔を前へ戻した。次に会う時、どんな顔をしたらいいか分からなくて、逃げるように去ってしまった。

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