「ああ、そんなことか。僕は君たちの話が受け入れられなくて、気持ちの整理がつくまで、しばらくこもっていたんだよ」

 納得しかけた一同だが、ノエトがおずおずと言う。

「ボク、見てないよ」

「何を?」

 と、ミランシアがたずねて、ノエトはキシンスをまっすぐに見つめる。

「ちゃんと見たわけじゃないけど、ルーヴォがキシンスと一緒に歩いていくのを見た。その後にお手洗いに入っていく音も聞いたし、ルーヴォが戻っていくのもちらっと見た。それで、銃声がした後だ。ボクとニャンシャは怖くてずっと階段の方を見ていたけれど、キシンスの姿は見てないんだ」

「上から音がしたから、わたしたちは見に行くかどうか迷っていたの。だから階段の方を見ていたのは間違いない。それなのに、キシンスを見てないのよ。キシンスがお手洗いにこもっていたなら、銃声を聞いてすぐに階段を上がっていかないと、二番目に駆けつけられるわけがない」

 ニャンシャの説明に誰もがキシンスへの疑いを強める。

「まさか。もしそうだとしても、動機が分からないわ」

「そうだよな。今日の懇親会だって、キシンスのために開かれた。それなのにどうして?」

 ミランシアとアレイドの意見が一致し、キシンスはこともなげに返す。

「それは僕だって知りたいよ。彼を殺す理由は僕にはない」

 しかし疑惑は吹っ切れなかった。タルヴォンがすかさず踏みこんだのだ。

「いいえ、あります。キシンス様はメロセリス様に好意を抱いておりました」

 メロセリスはわずかに体を揺らし、アレイドが「本当か?」と、やや驚いた様子でたずねる。

 いつもは穏やかで柔和な表情のキシンスが、冷めきった顔で執事を見た。

「何を考えているんだい、ルーヴォ」

「おそらく彼女を守ろうとしたのでしょう。旦那様の過去にしてきた悪事を知り、殺意が芽生えたものかと」

 一笑に付してキシンスが立ち上がる。

「何を根拠にそんなことを言うんだい? それに証拠は?」

「それは分かりません。ですが、ロビーにいた二人の目を盗んで二階へ上がることは可能です」

「たしかにそうね。わたしはノエトとのおしゃべりに夢中だったから、銃声が聞こえるまでは階段の方を見ていなかったわ」

 と、ニャンシャが言い、その横でノエトもうなずく。

 キシンスはタルヴォンをじっと見据えたまま言った。

「それなら白状しよう。僕は銃声が聞こえた時、階段の踊り場にいたんだ。オルテリアン氏と少し話をしたくてね」

 一瞬信じかけたが、賢いタルヴォンはひるまなかった。

「それなら犯人の姿を見ているのでは? 踊り場からは書斎の扉が見えるため、出入りする人物がいれば気づいたはずです」

「それもそうか。しかも第一発見者はイリオンだと、キシンスが話していたよな」

 と、アレイドが続く。

 今やキシンスが嘘をついていることは明白だった。

「やっぱり、キシンスがやったのね……っ」

 戸惑い半分にニャンシャが言い、キシンスは返す。

「ああ、そうさ。認めるよ。だけど、ここにいる君たちはみんな、彼が死んでほっとしているんじゃないのかい?」

 否定する者はいなかった。それぞれがオルテリアンに対して複雑な思いを抱いていたからだ。

「元はと言えば、メロセリス嬢のためにやったんだ。これで貴女を悲しませるものはなくなった!」

「え……?」

 困惑するメロセリスだが、かまわずにキシンスは続ける。

「ルーヴォが言っていたんだ! 悲しみの根本を取り除ければ、貴女は前に進める! 僕の想いを受け入れてくれるって!」

 恩着せがましく、身勝手な発言だ。

 メロセリスはタルヴォンの方を見た。執事は息をついてから口を開く。

「私がいつ、旦那様を殺せと言いましたか?」

「ああ、殺せとは言われてない。でも君は確かに言ったよ、悲しみの根本を取り除けってね」

「それは意味が――」

 言い合いになりそうになったところを、ミランシアの声が遮った。

「ふざけないで!」

 がたっと椅子を揺らして立ち上がる。

「あたしは彼を愛してた! 殺した犯人が許せないし、心から憎いと思っているわ!」

 キシンスは執事から彼女へと視線を移し、明らかに見下した。

「ああ、そうかい。君はもう手遅れなんだね、可哀想に」

「あたしの何が手遅れだって言うの!?」

「そう思いこんで正当化しないと、君は生きてこられなかったんだろう?」

 哀れみの目を向けられてミランシアは戸惑う。悪夢のようなあの夜が脳裏に浮かび、費やした時間の重さと現在の自分が混線する。

「ち、違う違う違うっ!」

「何も違わないよ。君は彼から消えない傷をつけられた、哀れな子どもの一人なんだ」

「傷つけられてなんかない! あたしは愛しているの、お父様も愛してるって言ってくれた! あたしは愛されてる、愛されているの……っ」

 ドレスのスカートに隠した拳銃を取り出し、引き金に指をかけた。

「馬鹿女っ!」

 慌ててアレイドは立ち上がり、駆け寄る。他の三人も席を立ち、それぞれに彼女から距離を取った。

「あたしは許さないわ、キシンス!」

 銃口を向けられたキシンスは目を見開く。彼女が拳銃を所持していたのは想定外だった。

「落ち着け、ミランシア!」

 と、アレイドが後ろから拳銃を奪い取ろうとすると、彼女はとっさに身をかわして彼へ銃口を向けた。

「邪魔しないで!」

「っ……」

 思わずアレイドは動きを止めてしまうが、拳銃を握るミランシアの手は震えていた。

「終わりよ、もう終わり……っ」

 涙を頬に伝わせて、少女はゆっくりと腕を動かす。

「あたし、もう嫌だ……」

 本当は嫌だった。嬉しいなんて思わなかった。ルーヴォには助けてほしかった――でも、偽りの愛情で塗り替えるしか、自分を守れる方法がなかった。

 自身のこめかみへ銃口を押し当てる。

「今行くわ、あなた」

 引き金を引こうとした彼女の手を、とっさにアレイドがつかむ。

「やめろ!」

 その拍子に思わぬ方向へ銃口が向き、屋敷に二発目の銃声が響く。

「え……」

 気づくとキシンスは後ろへよろけていた。壁にぶつかり、かろうじて立ったまま腹部に手をやった。血が手の平に付き、呼吸がうまく出来ないことを知る。

「な、んで……メロセ、リス」

 愛しい彼女を振り返ると、華奢きゃしゃな体は執事の腕にしっかりと抱かれていた。タルヴォンの青い瞳は警戒心をあらわに、じっとキシンスを見据えているが、その口元にはこらえきれない笑みが浮かんでいた。

「あ、あぁ……」

 その場にくずおれ、意識が遠のいていくのを感じながら悟った。どうやら僕は、ひどい思い違いを――。

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