この怒りを打ち明けるには最適な人物が一人。どんな時もわたしを肯定してくれる幼馴染、ノエトだ。

 農家の次男でありながら家の仕事を手伝わず、いつも街をふらふらしている彼は、わたしを見つけるとすぐに寄ってくる。

「ニャンシャ!」

 ぼさぼさで長めの青い髪、ぱっちりとした灰青色の瞳が印象的な、女の子みたいに可愛い顔。身長も低くて頼りないけれど、わたしの感情をすべて受け止めてくれるから、大人になってからもよく会っていた。

「あら。ノエトがそっちの道から来るなんて、めずらしいわね」

「うん、さっきまでリオの手伝いしてたんだ」

 にこにこと笑いながら答える彼へ、わたしは片眉を上げて見せた。

「また? まったくリオお兄様ったら、何やらせてるのよ」

 わたしの腹違いの兄イリオンは、不思議なことに少し前からノエトと仲がいい。仕事を手伝わせているらしいのだけれど、何の仕事なのかは聞いていない。そもそも、レインスウォード家はこの街の地主だから、賃料を主な収入としていたはず。その他にやることなんてあったかしら?

 疑問には思うが、考えても答えは出ない。

「それより、いつものカフェでお茶しましょうよ」

「いいね、行こう」

 と、彼がうなずくのを確認してから、カフェの方向へと歩き始めた。

 わたしは貴族の娘だが、ここは小さな街だ。おじさまのおかげで人口が増えたと聞いたけど、わざわざ馬車で移動するほど広くはない。街の外へ出ないのなら、自分の足で移動するのが普通だった。

 いつものカフェのテラス席に座って、いつもの紅茶とお菓子を注文した。わたしがノエトといる時、従者には少し離れたところにいてもらう。

 運ばれてきた紅茶をさっそく飲みながら、わたしは先日のことを話して聞かせた。

「やっぱりルーヴォも男なのね、わたしが胸を押しつけたら顔を赤くしていたわ」

「へぇ、そうなんだ」

「でもね、もう少しで落とせそうって思った時に、おじさまが邪魔してきたの。ルーヴォの仕事の邪魔になるからやめろ、ですって。ひどいと思わない?」

 ノエトは笑顔でわたしを見つめながらうなずいた。

「うん、それはひどい話だね」

「でしょう? さっさと帰れとまで言われて、もうわたし、頭に来ちゃったわ」

 思い出すとムカムカしてくる。

「おじさまのことは好きだったけど、もう嫌になっちゃった。なんでわたしが怒られなくちゃならないのよ」

「そうだね、ニャンシャは何も悪いことはしてないのにね」

「そうよね、ありがとう」

 肯定してもらえるだけで、もやもやしていた気持ちがすっと軽くなる。

 わたしが表情をゆるめれば、ノエトも嬉しそうに笑った。

「ボクは昔から、ずっとキミの味方だからね」

「そうだったわね」

 彼は小さな頃からわたしにべた惚れだ。他の男と違ったのは、それが大人になった今でも続いている、ということ。

 大抵の男はわたしが一度つれない素振りを見せたり、誘いを断れば、あきらめて関わってこなくなる。でも、ノエトは何度振られてもわたしにつきまとってきた。嫌だと感じていた時期もあったけど、どんな時も味方でいてくれるから、今では頼もしく思っている。

「だけど、おじさまのことはあなたも好きでしょう?」

 と、わたしがたずねると、ノエトは目をぱちくりさせてから少し首をひねった。

「うーん、まあ、たしかに好きだけど……でも、ニャンシャが一番だからなぁ」

 わたしは世界の中心で、ノエトにとっても世界の中心にいるのはわたしだった。そういう意味では相性がいいのだと思うけど、彼と結婚なんて考えられない。だって農家の次男だし、簡単な計算すら解けない馬鹿なのよ? それを夫にするなんて、それこそ馬鹿のすることだわ。

 ただ――……。

「おじさんがキミにいやな思いをさせたなら、ボクもおじさんのこと、きらいになるよ」

 馬鹿だからこそシンプルな思考回路を、少しうらやましく思うこともあった。

「別にそこまでしなくてもいいのに」

「え、そうなの?」

「当然でしょ。だってあなたは、おじさまから嫌な思いをさせられてないじゃない」

 ノエトはまた少し考えるような様子を見せてから、にこやかにわたしを見つめた。

「ううん、ボクはキミがおじさんにいやな思いをさせられたことが許せない。だからボクもいやだ」

「そうまで言うなら、まあ……というか、ノエトって本当にわたしのこと、好きよね」

 半分呆れて言ったのだが、ノエトには伝わらなかったようだ。

「もちろんさ。ボクはニャンシャのこと、誰よりも大好きだもの」

「アレイドよりも?」

「うん、兄さんはもう一緒に遊んでくれなくなったから、そんなに好きじゃない」

「リオお兄様は?」

「リオは好きだよ、お金くれるし頭もなでてくれるもん。でも、背が高いからちょっとこわいかも。だから、可愛いニャンシャの方が好きだよ」

 ノエトの考え方は幼稚だ。もう十七歳になったというのに、表面的な部分でしか人を見ていない。

 そう分かってはいたけれど、何だか楽しくなってきてしまってわたしはたずねた。

「それじゃあ、わたしのためなら何でもできる?」

「もちろんさ。キミのためなら何だってやるよ」

「朝から晩まで働いてって言ったら?」

「うーん、ニャンシャのためになるなら、がんばるよ」

「お金持ちになってって言ったら?」

「お金持ち……は、ちょっと分からないけど、がんばるよ」

 本当にノエトはわたしのためなら何でもやってしまいそうだ。まるで意思を持たない操り人形みたい――なんて思うとおかしくて、くすりと笑ってしまった。

 彼は表情を変えずにこちらを見つめていて、ふと脳裏によぎった疑問をわたしはそのまま口にした。

「それなら、わたしのために人を殺せる?」

 ノエトが一瞬だけ、その大きくぱっちりとした目を丸くした。でも、またすぐに笑顔を浮かべて返す。

「うん、それがニャンシャのためになるなら」

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