〈5-2〉


「ああ、楽しくないんだ」


 アシュレオは頬杖をついて聞いていた。

 途中から黙りこくってしまった将希に、怪訝そうに声を掛ける。


「――うるせぇ、とにかく楽しんでたんだよ」


 将希は口許に投げ遣りな笑みを浮かべ言い切る、それからフォークの柄を握って表面が生温く中があつあつなボイル・キャロロを口に運んで味わった。


「まっず」


 食感は蕩けるような柔らかさで、舌の上では素っ気ない甘み、青臭くもありどことなく漢方のような匂いが鼻腔を直撃した。


 将希は顔を顰めた。

 エグ味の独特さに吐き戻しそうになるのを堪え、なんとか飲み込んだ。

 アシュレオはその反応を目にするや微かに笑った。


「食事って味わう目的でとらないから。でもその野菜、栄養豊富だから」


「いや、限度ってもんがあるだろ」


 ああーっ!肉食いてぇーー!

 この絶望的な味に将希のセンチメンタルは一瞬で終わった。

 アシュレオはボルドー色のボトルからコルクを引き抜くと、再度自身のグラスに葡萄酒を注いで一口飲んだ。


「じゃあ近くにスーパーとかコンビニはない?お前と味覚合わねぇからもう弁当でいいよ、金はあのオッパイにたかるから」


「なにそれ?」


「食べ物が売ってる店、このままじゃ飢えて死ぬ未来しかない」


「大袈裟すぎる」


「いや、ガチでそうだから。こんなんばっか食っても元気出ねぇわ…ていうかお前のやる気出ない原因ってこれじゃね?」


 将希は食事を断念するとボイル・キャロロに低評価を付けた。

 その辛辣さに、アシュレオは不機嫌に目を細めながら言った。


「…街だったら、この森から少し離れた場所にあるけど。まあ、もうそろそろ買い出しに行く頃合いだった。女神との約束とは言え、一週間って…ああ…結構長い」


 アシュレオは俯き加減に上目遣いになると、寸胴鍋越しの将希を見つめながら項垂れていた。


「お、その街…飲食店とかある?料理注文したら作ってくれるとこ」


「普通にあるけど」


 食い物の事ばっか聞きやがる。

 アシュレオはそう思いながら、無愛想に返事をした。


 将希は表情に無邪気な笑みを浮かべた。

 ただ単に、ジョイフー(ファミレス)的な場所に行きたいと思い、そしてその吉報に歓喜した。制服の上着ポケットに入ったデリンジャーのボブを取り出す。食器の真横に寝かせて話しかける。


「おい、そろそろなんか喋ろうぜ」


 アシュレオの視線も注がれた。

 しかしボブは沈黙したままだ。漆黒で統一された短い銃身、よく観察すると2連バレルへ伸びるように蔦に絡まり咲き乱れた花のような彫刻が施されている。この花…どこかで…ああ――


 将希は学ランの上着を唐突に脱いで襟についている校章バッチを確認した、同じだ。というかこれは、元の世界でも見かける〈福寿草ふくじゅそう〉に似ている。


 花好きの美千代が買ってきた、植物図鑑で見た記憶を手繰り寄せる。

 写真つきのフルカラーで、小さい頃に将希も絵本感覚で読んでいた。スナック菓子の油や、ジュースの飛沫で数ページ汚してしまった事は内緒だ。


 それにしても、なんでこいつ喋らないんだ。

 不可解だ。


 上着をテーブルの左端に畳んで置くと、平皿の上で哀愁を漂わせているボイル・キャロロの表面を指先で毟る。完全に冷え切ったキャロロは粘度のような質感だった。丸めて小さな団子を二つ作る。それをおそらく、ボブの呼吸器官であろう41口径に容赦なく突っ込んで2連バレルを封鎖した。


「…ボブ…お前、もしかして死んだ?」


 反応がない、まるで屍のようだ――

 と、思ったその瞬間。


「――ッ…カハァ!」


 ポンッ!とキャロロ弾が勢い良く吹き飛んだ。

 それはテーブルから5メートル先の棚に置かれた、鉛色の蓄音機のラッパ部分にダブルクリーンヒットした。埃を被っていたが、ガムのように張り付いてしまった。衝撃で大きな花型の頭が左右に振られ、最終的には床へ落下すると激しい金属音を奏でる。「あ」と、アシュレオが声をあげた。


「寝たフリすんな」


「ぺっぺっ!!ショウキ…なんて事をッ…ベジタリアンの押し付けは良くないんだぜ!」


「野菜とかべつに好きじゃねぇよ。て、そうじゃなく…ティファヌン呼んでよ。よく考えたら無一文なんだ」


 スマホは向こうで落としたままなのか手元にはない。

 貴重品は全て原チャに引っ掛けた鞄の中で…


 考えたら、めちゃくちゃ不用心だ。


 それにアシュレオが例え金を持っていたとしても、金銭的な援助はしてくれない気がする。将希は色々考えながら溜息をついた。


「それなんだけど、ティファヌンから伝言を預かってるんだ」


「へ、なに?またオッパイ揉んでいいわよ~って?」


 将希は上から目線のふざけきった調子でボブの言葉を待った。

 アシュレオは端の惨状に青い瞳を曇らせると椅子から立ち上がる。蓄音機の側まで歩いて行くと、しゃがみ込んでのろのろ片付けを始める。


「まったくショウキは、乳離れしてないお子ちゃまなんだから」


 ボブは溜息と同時に呆れを醸す。

 将希は無表情で、キャロロ弾の製造に取り掛かった。


「あっ…あーー!落ち着けよ相棒、とりあえずそれは置いておいて話を聞いて欲しい」


「しょうもない話だったらこいつをブチ込む、今度は簡単に吐き出せないように奥までだ」


 言いながらキャロロを指先で捏ねくり回して弾数を増やし続ける。

 それをボブのグリップの下へ横一列に並べていった。凄まれてしまい、ボブは銃身を小刻みに震わせる。そして機嫌を窺うような、猫撫で声で言葉を連ねた。


「め…女神が言うには、街に行って困っている人から依頼を受けて報酬をもらうという形が望ましいとの事だ。それとこの世界には換金対象となるスゲー宝が幾つもまだ眠っている、魔王討伐がてらに勇者と一緒に探してみては…と。以上」


「――おいテメェ、なめてんのか?依頼を受けたとして、その金は即日振り込みか?俺は明日直ぐに使える金の話をしてんだよ…それか今すぐあの、超快適ファミリーレストラン・ジョイフーを召喚しろ。もちろん、無料で貸し切りな。俺はたった数時間でホームシックに陥ってんだぞこの野郎」


 将希は虚ろな目付きのまま、抑揚を欠いた声で囁いた。

 どう考えても、ボブの立場からしてこれは理不尽な八つ当たり。


 ギュッギュッ…ギュッ…ギュッ。


「ショ…ウキ!ちょっと待っ…そんな…やだっ…無理矢理ッ…あ!だめだってぇ」


「変な声出してんじゃねぇ!こんなの序の口だからな」


 銃口から直接、キャロロ弾が矢継ぎ早に次々装填されていく。

 ボブはアクの強い匂いに包まれ、それを吐き出そうと自動でトリガーを弾くよう努力するが、将希は非情にも撃鉄が降りぬように指を挟み込む形で押さえ付けている。淡々とベジタリアンの刑に処していく。しかしボブはただの銃ではない、一応女神が与えたスキルなのだ――。


 カッ、と漆黒のボディから光が放たれた。

 眩しそうに目を瞑ると同時に、アシュレオの呻き声が聞こえて我に返る。


「ゴホッ…うげぇ!こんなの二度とゴメンだぜッ」


 全てを吐き出す事に成功して咽せているボブを尻目に、将希は慌ててアシュレオへ視線を向けた。


「    」


 絶句――


 アシュレオの背中を凝視する。

 白いシャツにはキャロロ弾がペイントのように被弾し、壁や床にもオレンジ色の残骸がこびり付くように散らかっていた。膝をついたまま、振り返ってきたアシュレオと将希の目が合う。


「これ一応、俺が一生懸命育てた野菜なんだけど」


 笑顔でありながらも、その青い瞳は見開かれ怒りに満ちていた。

 当然の激怒、下手したら死んでいたかもしれない。


 ――あ、殺気。


 そう感じた将希は表情を強張らせて静かに席を立つ。

 しかしアシュレオの姿はもう見据える先には捉え切れず、残像のような影が視界を掠めた。神速な身のこなしで背後を取られ、羽交い締めにされる。

振りほどこうにも、凄い腕力がそれを許さない。頬を寄せ、耳許で囁かれた。


「明日は、出掛けたいんだろ」


 銀色の髪が首筋に触れ、擽ったさを覚えると身を捩る。

 将希は静かに頷きながら、「ごめんなさい」をする為に口を開く。

しかしそこへは、寸胴鍋から素手で引き抜かれた新たなボイル・キャロロが捻じ込まれて息を詰まらせた。


「ごっ…むぐッ」


 灰汁まみれの柔らかく煮込まれすぎたキャロロの繊維が口内で蕩ける。

将希の目から涙がつたった。次いで訪れたのは、耐え難い物を口の中へ強制的に放られ催す吐き気。しかし嘔吐は許さないアシュレオは、力をさらに込めて押し込んだ。


 おいボブ、なんとかしろ!

 将希はテーブルの上に置いてあるボブへ目配せする。

すると気落ちした声が跳ね返ってきた。


「放っておいてくれ…オレは絶賛、傷心中なのさ」


 繊細なボブは、愛のない望まぬ乱暴な行為を強いられ傷ついていた。

 助け船が出される気配は皆無。

しかしこれはしょうがない、将希が悪い。


「んーーーっ」


「早朝にはここを発つ。だから食べれる時に、少しでも口に入れた方がいい」


 アシュレオは微笑びしょうして、将希の体を腕でしっかりホールドしたまま手で顎を掴む。動かないように固定した。こうして優しい勇者は空腹なヤンキーにボイル・キャロロの暴力的な給仕を行ったのである。


「ほら、しっかり噛んで。食べ終わったら綺麗に片付けてもらうから」


「―――っ」


 わかりやすく力で捩じ伏せられた将希は、涙目になるとアシュレオに従う事にした。

 心を無にして咀嚼をただ繰り返す。

おえっおえー…と、堪えつつ窒息死だけは避けたい。

しかしこれだけで今日はまだ終わらない、就寝時にもまた予想だにしない事件が起きる。


 将希はこの異世界の事を、まだなにも理解していないのであった。

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