〈10ー2〉


「話は最後まで聞くんだショウキ、この衣装のモチーフは…ティファヌンの愛読書〈鬼畜優等生くんはヤンキーくんを泣かせたい〉の第2巻に登場するメイド服だ。主人公の真白が、龍花崎にけしかけられたゲームに敗北し…クラスメイト(男子校という設定)の前で辱めを受けた後、二人っきりになったシーンでイヤらしく脱がされちまうんだが――」


 ――体育館倉庫にて。


 龍花崎「着替えたいんだよね、脱がしてあげる」


 真白「クソッ…さわんな、ガキじゃねぇんだ。自分で脱げる…って…なにすんだテメェ」


 龍花崎「ねえ真白、いつからこんな風になってた?クラスの皆が、真白のことをエッチな目で見てたから?まあこの下着は、男子高生には刺激が強すぎるし…しょうがないかぁ」


 真白「ち…っ違う!…やめっ…だから…そこっ…あ…ああっ」


 龍花崎「今度はどこを気持ちよくしてあげようか、ほら?言ってごらん真白――」


 真白「それより…っ先に、これ、はずして欲しい」


 龍花崎「どこ?」


 真白「!て…てめぇ、ふざけんなよっ…俺の…ケツに、てめぇが入れたオモチャに決まってんだろ!」


 以上、鬼畜きちヤン(略)の一節をボブが迫真の演技で語る。


「――ッ…もうよせっ!!それ以上は喋るんじゃねぇ!」


 そして将希が青褪めながらそれを途中、全力で遮った。

 これ以上、同族である真白という哀れな男の末路など聞きたくはなかったのだ。


「まあまあ、今のはモチーフの話だ。オレが言いたかったのは…この衣装は、着る者の身体能力を超人的に強化する効果が常時掛かるようになっている。だから意味もなくチョイスしたわけじゃないんだぜ」


 真面目な声色で喋り続けるボブ。

 将希はようやく役に立ちそうな能力だと判断し、表情を引き締めた。

銃口管理をしながら、顔の高さまでデリンジャーを持ち上げ、「よし、語れ」と促す。


「――なあ相棒、オレたちが初めて出会った頃を思い出してくれよ。説明よりも、体で慣れろ…だ!まずは走ってみてくれ!」


 出会った頃――

 遠い昔のような言い方をするが、それはつい昨日の事である。

 そんな風に、何か言いたげな顔を将希はした。しかしアシュレオとはぐれてしまった以上、この場で燻り続けているわけにもいかない。またモンスターに遭遇でもしたら面倒であった。


 それから、本来目指していた方角へ走り出すことにした。


 すると、驚く事に、風のように全身が軽やかに跳ね上がる。

 凄まじい脚力が備わっていた。

そこからの勢いを付けていくと、足さばきは快速であった。

この瞬間、女装への抵抗感がスッと消え、心も天気と同じ様に晴れ晴れとしていく。将希は走る事が楽しくて、たまらなくなっていた。


「――お!これっ…ヤベェ!」


 感嘆する声と共にスカートの裾が危なげに翻り、金色の長いポニーテールが陽光の中で煌めく。森の木々が視界の端で流れ、急な坂道を自転車で一気に下っている爽快感を味わう。このまま街を目指す――


 どのみち、アシュレオもそこへ行き着くはずだろうと将希は考えた。

 服は改めて、街に入る前に適当に着替えたらいい。

 ボブはフリルエプロンのポケットの中だ。

そしていつの間にか、暗い森は抜けていた。

あたたかな太陽に照らされた緑色の草原の先には、風車が印象的な可愛らしい規模の街が見えてきた。


「ボブ!見えてきたぞっ!街だ!この格好は屈辱的だが、性能はスゲーよ!て――…事で、そろそろ別の着替えを」


 笑みを浮かべ、ハイテンションでボブに語りかける将希。

しかし超速で走る事により聞こえていた風鳴りに、硬いひずめが地を蹴る音が混ざる。ゆっくりと左側へ顔を向ける、するとそこには――


 ――濃い灰色のフード付きローブを纏うアシュレオを乗せた黒い馬が、美しい黄金のたてがみをなびかせながら併走していた。


「…まさかと思って、追いかけた――」


 アシュレオは青い瞳を見開き、強張った表情で将希の顔を凝視した。

将希は視線を合わさぬように正面を向く。

情緒のおかしいボブに流されてしまったわけだ。

そして、アシュレオとの再会で冷静になれた。


 ――今の俺って、女装して野山を爆走する変態だよな。


 一瞬で、心は凪いだ。


 それから、ゆっくりと速度を落として立ち止まる。


 アシュレオはその挙動を見逃さず、ペースを合わせた。

頑丈な蔦を編んで造ったであろう即席手綱を馬に結んでいる。馬を宥め、そのまま将希の真横に停止した。


「ねえそれ、なんで…髪も――」


 俯いたまま動かない様子に、アシュレオは声を掛けた。

将希の肩が微かに震える。

どう答えようか考えているのだ。

そして言い訳を思い付く。


顔を上げ、横流しになっている前髪を整えると真剣な眼差しでこう告げた。


「これは大切なことだからよく聞いて欲しい、お前にもわかりやすく伝えようと思う。俺の世界でこのメイド服は、戦士の衣だ。だから俺が、これを着るというのは至って普通の事であり…お前が考えてるであろう〈女装〉では決してない。勘違いすんじゃねぇぞ、わかったな」


 将希はそんな大嘘を真顔で言い切った。

 ボブは状況を察して黙り込んでいた。

 アシュレオは静観したままそれを聞いていたが、メイド姿をまじまじと視界に収め続ける。


「――っ…そういうわけだから…変じゃない…ッあんまりじろじろと見んじゃねぇ!これは選ばれし強い奴にしか着れないっていう、その…っ最強装備で――」


 アシュレオの視線が耐え難く、将希は拳を作るとそっぽを向いた。

 顔が熱を持っている。

出来の悪い言い訳をした挙げ句、泣きそうだった。

しかし返ってきたのは、意外な言葉。


「――まあ驚いたけど…結構、似合ってる」


 将希はそれを耳にして顔を上げた。

 黒い馬は横目でずっと、将希を見つめている。

四足の蹄上の関節には、触り心地の良さそうな長い毛が生え揃っていた。そしてアシュレオの表情は蔑むわけでもない、平然としているのだ。それがなんだか不可解であるが、将希はここでようやく声を出す。


「嬉しくねぇよ」


「それを着ている意味はわかった、だけどショウキの世界ってやっぱり変――」


「え?」


「――いや…下着まで、統一する必要があるんだなって」


 それを聞いた途端、将希は耳を塞ぐと膝から崩れた。


「ッ…見た、のか?」


 弱々しく声を振り絞り、アシュレオに問う。


「そんな格好で走ってたら、見えるって…後ろからだと尚更――」


「――よしわかったっ…もう何も言うなぁ!!ボブッ!早く俺に、新たな着替えを用意しろぉ!」


 将希はメイド姿のまま、芝にしがみつくようにうずくまると絶叫した。

 しかし耳に届いたのは、申し訳なさそうなボブの声。


「すまねぇショウキ…それはさっき説明した通り、特別コスチュームだ。〈真白のメイド服〉は一度着ると、24時間は他の服は着用できない。もし着替えたら、その衣服が消滅して全裸になる仕組みだ。髪もそのままだ。元々これは鬼畜きちヤンの罰ゲーム衣装がモチーフなわけで、それが優れた身体能力と引き換えになる代償でもある」


 ボブの溜息には、悲哀が込められていた。


「ちなみに、脱ぐことは可能だが…結局全裸コースだ」


なんだよ全裸、全裸って――

 将希はその宣告を受けて叫んだ。

絶望に打ちのめされて、声はもう枯れていた。


「…っふざけんなよテメェ…っ!こんなっ…こんなみっともねぇ格好で俺に飯を食えってのか!」


 メイド服をみっともないと思った事はない。

 しかし自分が着るのは、何か間違っている――

 将希は両手で激しく草を毟りながら嘆き、瞳からは一筋の涙が滴った。

 アシュレオはよくわからない文言の遣り取りを聞きながら、呆れた表情で声をかける。


「肉、食べるんだろ」


 真上から聞こえるアシュレオの声に、将希は顔を草地に押し付けたまま、うつ伏せになった状態で小さく頷いた。


「好きなだけ食べていいよ、お金は気にしなくていい」


 続けられた言葉を耳にし、将希は目許を拭うと静かに立ち上がった。

 それから深呼吸すると、メイド服についた草を払う。

金に関してはクエストをこなせなんて言われていたので、最悪ボブをまた恐喝しよう等と考えていたのだが――


「――本当?」


 将希が目を輝かせて見上げると、アシュレオはその幼さ有り余る顔を眺めながら頷いた。


「あとショウキは、その格好をしてても男って多分わからな――」


 ビュオッ、と突風が吹き抜けた。

 アシュレオの銀色の前髪が持ち上がり、後ろへ流れていく。

 将希は最後まで話を聞く事もなく、ルメールの街へ走り出していた。残されたアシュレオは疲労感を抱え、溜息をついた。

黒い馬に声をかけ、首を撫でる。


「クロエ、行こうか」


 そしてクロエの手綱を軽く引っ張ると、常歩させながらスピードを上げて将希の後を追い掛けた。

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