〈11-1〉チーズとベコベコのランチ


 将希が辿り着いたルメールは、小さいながらも農業と酪農が盛んな街である。


 街よりも広大な麦と野菜畑が周囲の面積を占め、そのすべてが住民達総出で綺麗に管理されているのだ。所々に建てられている木造の風車が粉ひき小屋として機能し、穏やかな風を上層で吹かせながら回転していた。


 表通りの市場では丸い形をしたチーズが種類豊富積まれて並んでいる。

 将希は女神のハンドメイド装備である、真白のメイド服を着用したままだ。

 髪も呪いの人形のように長くなり、しかし喋らなければ男とバレないほど完成度が高い。この部分については、容姿端麗である美千代の遺伝子がいい仕事をしたのだろう。170センチ台の高身長、男の娘の完成である。


 そして24時間はこのメイド服一択だというボブの言葉に、将希は絶望を滲ませながら加工済みの乳製品たちを視界に入れて心に書き留める。この屋台の位置はもう覚えた。帰りにあれを買いたいと、アシュレオに交渉する気であった。もうキャロロだけは食べたくないのだ。


「――クロエって、馬のことかよ」


 さらに将希の抱いていた疑問の一つが払拭される。


 突然連れてきた黒い馬を、アシュレオがうまやに預けながら「クロエ」と呼んでいた事で明らかになったのだ。

どうやら元々飼育していたらしい。


 アシュレオは自身より身長がやや低い将希を、時折視線を上から向けながら横を歩く。その角度から新たな発見があった、将希の睫毛は長い。まあそれはどうでもいい。小さく頷きながら、少し怪訝に語りだす。


「闇の襲撃に驚いてから、ずっと行方不明だった。だけど向こうも俺を探してくれたみたいで…というより、どうしてクロエの事を知っているの」


「えっ、ああ…それはまあどうでも――」


「おい、なにとぼけたこと言ってんだアシュレオ!それはお前がショウキにキ――」


 初日の夜、寝ぼけたアシュレオが将希に「クロエ」と囁いて口付けをしようとした事をボブが蒸し返そうとしていた。しかしそれを許さない将希が、フリルエプロンのポケットに手を突っ込むと口径辺りをギュッと握りしめる。衣装効果である、身体能力強化により握力も増していた。黒い鋼の肢体がミシッと軋んだ。ボブは「グエッ」と呻き、沈黙を余儀なくされる。


「キ?」


「――お前が、寝言で言ってた」


「ああ…いつの間にか寝てて、そうだったんだ」


 将希は顔を伏せながら吐き捨て、アシュレオはすんなり納得した。

 ボブは二人のやり取りを聞きながら、「初夜を過ごした初々しいカップルの会話みてぇだな!」なんて茶化したかったが、さすがにヤンキーの逆鱗に触れると判断して今回はよした。とにかく今は、肉を振舞ってくれる食事処を探しているわけだ。しかし小さな街なので、何気ない会話をしているうちに探索は呆気なく終わる。


「――あの店」


 アシュレオが視線で指し示したのは、大通りの曲がり角に佇む〈ベコーの肉屋〉と記された牛を象った大きな看板。それが入口に大きく掲げられた、ブラウンと緑を基調とした木造建築の飲食店である。厨房の窓からは白い靄のような煙と同時に、香ばしい肉の匂いが漂っていた。将希はアシュレオに、チラリと視線を送った。


「どうぞ」


 アシュレオが素っ気なく言うと、将希は笑顔をみせて観音開きの扉を意気揚々と押し開いた――


「いらっしゃせっ!」


 ワイルドな口髭を生やした店の親父が、快活な声で二人を出迎える。

 昼時なのもあり、テーブル席はほぼ埋まっていた。

 客達はハンバーグやステーキを、パンと一緒に頬張っている。

天井ではシーリングファンが回っていて、空気の循環を一生懸命に促していた。


 ボブが「あれは魔法で回してるんだ」と、将希のポケットから説明をした。なんだかステーキハウスっぽい。将希は店内を見回しながらそれに頷くが、ファミレスしか行った事がないので適当なイメージを当てはめている。それからアシュレオがカウンター席に座り、将希も流れでその隣に腰を落ち着けた。


 その位置から丸見えのオープンキッチンになっている厨房では、大きな厚い鉄板を嵌め込んだテーブルの上で、肉の塊がいくつも焼かれている。店主が鋭い目つきで、焼き加減を気にしながら塩を粉雪のように振りかけていた。こだわり抜いた調味料なのだろうか、またはあれにも魔法がかけられているのかもしれない。光の粒子のように瞬き、神秘的であった。


「ちょっと待っててね~」


 親父が二人に笑いかけた直後、厨房の奥へ振り返って「おーい!」と呼びかける。

 すると嫁らしき女性がエプロンを着用したワンピース姿で現れた。洗いたての大きなグラスに、ハーブの薫るお茶を注ぐと将希たちの目の前に並べていく。


「メニューは上の方を見てね」と愛想良く笑みを浮かべて促す。

将希は座ったまま、仰け反り気味にカウンターの上方へ視線を送った。なんとメニューは30種類以上ある。一つ一つ木札に、白いチョーク文字で名前が書かれ壁に打ち付けられていた。


 そういえばなんで俺、こっちの人間じゃないのに言葉や文字がわかるんだ――


 今更過ぎる疑問であった。

 すると周囲に配慮したボブが、脳内に直接語りかけてきた。


『そりゃあもう、オレのおかげに決まってんだろ。自動翻訳機能付きの、超優秀スキルなんだぜ!』


 ああ、なるほど――

 将希は直接声には出さず、そっか。とだけ胸の内で返す。


 それから注文したのは、けっきょく食べ慣れたハンバーグ。


 しかしただのハンバーグではない。

 甘辛いソースが絡んだ400gのアツアツの肉の上に、20㎝ほどの正方形に切られたチーズの塊がとろけながら乗っているのだ。アシュレオは食事が面倒臭いと思うタイプで、思考を止めたまま同じものを注文していた。ただ、量は少ない。肉は150gだ。将希は少しだけ勝ち誇った気分になりニヤつき、ボブはない顔で苦笑した。


「はーいっおまち!熱いから気を付けて―!」


 親父が逞しい上腕二頭筋を腕まくりしたシャツから見せつけながら、注文された〈チーズとベコベコのランチ〉を鉄板の皿に乗せて二人の前に置いた。ベコベコとは、この世界では牛の事らしい。チーズは良く知っているし、ベコベコもなんだか通じるものがある。


 ウェイトレスも担う店主の嫁が、セットになっているサラダ、スープ、パンを陶器の皿に盛って並べていく。これで全て出揃った。将希は習慣で手を合わせた、そこだけは美千代の根気強いしつけの賜物である。アシュレオがそれを目にして、首を傾げた。


 しかしその後、食事のマナーなど怒られなければ気にも留めない将希は迷わずフォークだけ握って食べ始める。すると、ボブがまた話しかけてきた。もちろん頭の中での会話だ。


 それに応じながら濃厚チーズをフォークに絡め、器用に切り分けたハンバーグと一緒に口へ運んで咀嚼する。すると熱い肉汁が溢れ、舌が少し焼けた。慌ててグラスを満たしている冷たいハーブティーを飲んで口内を冷ます。


『ショウキ、食事しながら聞いてくれ。かなり大切な話だ』


『んだよボブ、お前も食べたいの?これマジでアチィから気をつけろよ』

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