〈33〉影の魔獣


「――魔法使い」


 アシュレオは警戒を顕わに鋭い視線を送る。

 するとエルドラムは二人を見て、可笑しそうに言葉を連ねた。


「その顔はどうしたの?軽傷とはいえ、珍しいじゃないか――しかもそんなにくっついて、ショウキには優しいのに…僕には冷たいんだねぇ。今日は用事で来たんだ、君の命に関わる大切なこと」


 現在、将希を抱き寄せているアシュレオ。

 ほぼくっついた状態で二人は向かい合っている。

 まるで恋人同士ではないかと思うエルドラム。

 改めて指摘された将希は、ハッとして身を離した。それから「命に関わる」という部分に意識を奪われる。


「なにする気なんだよ」


 不安が、口を衝いて出ていた。

 エルドラムは優しく笑いかける。


「危害を加えに来たわけじゃない。女神が授けた、罪滅ぼしの闇から身を隠す為の加護についてなんだけど…あれはもうじき消えるらしい」


 それはカシュカシュの剣のこと。

 どちらにせよ、将希にとっては衝撃的なニュースだった。

 ボブはそれを聞き、フリルエプロンのポケットから光の塊になって飛び出すと将希の右掌に引っ付いた。そして、こう言った。


「…もしかして、ティファヌンと話をしたのか?!じゃあっ…もう歪み合いなんてやめにして、協力すべきだ!」


 将希は真面目に喋り出したデリンジャーを掌に乗せる形で、エルドラムに見せるように持ち上げる。エルドラムはそれに、首を横に振ってから答えた。


「――女神と話はしたが、それはティファヌンではない。彼女はニコティラと名乗った、そして現在はアルスペシアルの代理女神らしい。ああ、協力?するよ。それが世界のためになるならば、漠然とした女神の力に頼るのでは無く…確実に明るい未来を描けるならね」


 ボブは小さく舌打ちをしながら、首を傾げたような声を出す。


「ニコティラ?」


「女神と関わりが深い君が知らないなら、僕にも当然わからない」


 エルドラムが疲弊した様子で呟く。

 二人とも知らないらしい。ならば将希には、尚更わからない問題となるわけで。ひとまずエルドラムの口振りから感じたことは、女神代理審議会の計画に変更はないということ。それから、その加護の恩恵を直に受けているはずのアシュレオであるが――なぜか驚く様子はない。ただ溜息をつき、表情を崩さずに一言。


「そうか」


「そうか、じゃないよ。君にとっては大問題じゃないの?クールぶっちゃってさぁ」


 エルドラムは面白くなさそうに言い、唇を尖らせた。

 するとアシュレオは、淡々と述べていく。


「――女神に渡された短剣が、力を失いつつあることには気付いていた。あの闇は最初、俺の周辺で今ほど暴れていたわけじゃない…時間の経過と共に酷くなった。つまりそれは女神の力が弱まり、俺の姿が見えなくても存在を感知しているということだ」


 自身の首から提げている、シャツの下に隠し持つ15センチほどの硝子短剣を、衣服越しに押さえながら言う。エルドラムはその回答に納得したような顔で笑った。


「なるほどねぇ、だから君は…本心ではもっとショウキと一緒に居たいけど、それができないと思ったわけだ」


 将希は「え?」と声にはしないが、アシュレオの顔を思わず見た。

 視線は合わない。アシュレオの瞳は、真っ直ぐにエルドラムを見据えていた。

 そして取り乱すことはないが、見透かした言い方に苛立った様子で言葉を返す。


「そういうわけじゃない。勇者として使命を果たす気のない俺が、一緒にいる必要はないからだ」


 エルドラムは「ふふっ」と無邪気に笑い、肩を揺らした。


「強がり言って、本当は人一倍寂しがりなくせに。リュカルドたちはどうしていつも、孤独に生きようとするのか?それは――君たち一族の誰もが迎える結末が、そうさせてしまうのかもしれないね」


ここで将希が、咄嗟に声を出す。


「リュカルドって?」


「あれ、そこは話してないんだ。僕から話そうか?」


 エルドラムはアシュレオの顔を覗き込むように言った。

 すると太陽に照らされた地表に浮かぶアシュレオの影から、ゾロリと何かが這い出す。それは二メートル越えの、5頭の黒い狼だった。

 鋭くした青い瞳を光らせながら唸り声を上げ、牙を見せる。エルドラムの両サイドと、背後をあっという間に包囲していく。


「――それは不要だ。リュカルドは恐らく、もう俺だけだから。存在しないに等しい一族の話なんて、聞いて喜ぶのはお前くらいの物好きしかいない」


 アシュレオは暗い声で、笑いながら言う。


 質問した当の将希は、結局置いてけぼりをくらい困惑していた。

 ボブはというと――また考え込むように黙り込んでしまった。なのでひとまず、蜃気楼のような紫紺のオーラ纏う黒い狼を凝視する。アレを狼として認識するなら、将希は実物を見るのは初めてだ。なので、「狼ってデケぇ」等という呑気な関心も抱いていた。


 そしてエルドラムが「はぁ」と、大きな溜息を吐いた後に牽制を交えて話す。


「また僕を切り刻むの?駄目だよ、そんな暇は無い。じゃあシンプルに要件だけ、君のカシュカシュの剣を僕に渡してくれないか。さっき話した、女神ニコティラのお使いなんだ。ようするにそれをパワーアップさせて、今日中に返しに来ると言いたい」


 アシュレオはもちろん、怪訝な視線を向けた。

「ガウッ!ガウッワウ!!」と、エルドラムの背後に構える黒い狼が威嚇しながら吠える。


「――そんなに警戒しないでよ…僕はそもそも、勇者の仲間である魔法使いだよ?それに君にはまだ、死なれては困る」


 エルドラムは柔らかな笑みを添え、漆黒の瞳にアシュレオを映す。

 あやすように、優しい声で語りかける。

 もはや怪しさしか無い――しかし、カシュカシュの剣がティファヌンの力を失いつつあるというのは、アシュレオの言葉により真実味を帯びていた。


「今回の件に関しては信じて欲しい、それにケインシーに頼まれているんだろう?リュカルドの君にしかできない…あの状態の遺跡の浄化を含めて」


 沈黙が流れる。


 それは数十秒ほどであったが、異様に長く感じさせてしまうほどの緊迫感に場は包まれていた。


「…いいだろう、では待ち合わせは――今から行く遺跡だ。日が沈んだら俺は再びそこへ行き、お前のことを待つ」


 アシュレオは肩の力を抜きながら了承し、エルドラムは「わかったよ」と安堵した。


「じゃあ、決まりだね。そんなわけでそろそろ、君の飼ってる恐ろしい〈影の魔獣〉をしまってくれないか?僕は犬が苦手なんだ、子供の頃に散々な目に遭った」


 嘘か本当かわからないエピソードを語るエルドラムは、言い終えると片目で滑らかにウインクをしてみせる。

 将希は二人の会話を黙って聞いていた。

 ひとまず影から飛び出した黒い狼達は、影の魔獣と呼ばれているようだ。

 そしてアシュレオは、その荒ぶる獣たちに視線を送る。

 影の魔獣は合図を受け取ると、鋭い目の形が愛らしくつぶらになった。それから従順に、主人であるアシュレオの影へ溶けるように飛び込んでいく。


 一体、どんな仕組みなのか。

 将希はそれを不思議そうに目で追いながら、エルドラムへ視線を寄越す。

 傍らでは、カシュカシュの剣に括られた金糸の紐をアシュレオが首元で手繰っている。

 そうして身に付けていた硝子細工の短剣をシャツの下から取り出し、それを受け取ったエルドラムは将希と視線を絡めた。両手を体の左右で開いて、首を傾げながら言う。


「ねえ、ショウキ。もしかして君は、その格好が好きなの?」


やや半笑いで、真白のメイド服を指摘する。


「うるせぇ、黙れ」

 

 将希は目で凄み、秒で声に怒気を込めた。

 

「なぜ怒っているのかな?まあ、たしかに…初対面の僕の印象はよくないだろうけど――あれは、君を少し怖がらせたかっただけなんだ。恐怖を感じれば、すぐに帰りたくなると思ったから。でも逆効果だとは…君もアシュレオも、普通じゃないから扱い辛い」


 あの時、あれは――

 エルドラムに招かれた、特殊空間での騒動。


 セピア色に染まる図書館。

 観測者の間。


ボブが、助けてくれた。


 夕暮れと喧騒。

  そして刻まれた、魔法印――


 されるがままとなり、理不尽な要求をされ、ほぼ放心状態でルメールの大通りの真ん中で膝をついていた――それが、鮮やかに将希の脳裏に蘇る。

 過ぎたことかもしれない、だが、思い出した瞬間にカッと熱くなった。

 それは屈辱に対する、怒りの再燃。そして


 ――ボッ!


 文字通りに燃えた。

 呼応するかのように勇者の証が、紅焔の光を放った。


「 え? 」


 怒り任せに強烈な回し蹴りを浴びせるつもりであった将希は、振り抜いた足が纏う熱気に驚いて表情が強張る。


 健脚が紅い炎を纏い、旋風を吹き荒らす。 

 草が燃え、一瞬で塵と化せば地表の一部が黒ずんだ。

 将希自体が火傷を負うことはなく、直ぐに鎮火した不思議な炎。


 エルドラムはそれを、右手に出現させた翠色帯びる光の盾で咄嗟に弾いていた。

 威力を吸収すると同時に、相手の力を奪う魔法が込められているようだ。将希はフラついた。しかし、冷静に見守っていたアシュレオがすぐ体を支える。

「あははっ」とエルドラムは笑い声を上げ、バク転した直後に宙に浮かんだ。


「ショウキが今身に付けているのは、勇者の証だね?それ自体にはなんの力も無い。だけどアシュレオがそれに、四大精霊のひとつであるサラマンダーの焔を込めたというわけだ」


 将希は状況が把握できないまま、五メートルの高さで浮遊する魔法使いを睨みながら見上げた。

 そしてアシュレオはここで声を発する。

 それは怒声ではなく、物静かな質問だった。


「なぜショウキ自体に、精霊の守護が使えない?」


 この純粋な質問に、どちらかといえば喋りたい方であるエルドラムは快く答えた。


 それはそれは長い言葉で。

将希たちは暫し、胡散臭い魔法使いの話を静聴することにした。


「――知らないのは無理もない、現代のアルスペシアルには精霊に関する詳しい文献がほとんど残っていないからね。そんなわけで、勇者の仲間と叡智の観測者という二足のわらじである僕が情報提供をしよう。この世界で精霊の加護というものは、勇者以外は多様できない。さっき遭遇したであろうソルで例える、彼は現在その勇者の証に込めた力の源…火の精霊サラマンダーに愛されし血族。そんな彼に直接、別の精霊の加護を行使すると加護同士が反発し合い使えないというわけなんだ。僕も、他の仲間も、それぞれが偉大なる精霊の加護を一身に受けている。それが、ティファヌンに導かれし勇者と共に魔王を伐つ戦士なんだ」


 これは将希に対しても、この前言いそびれた内容を添えているのだと感じる。


 ――初対面から思ってた。コイツ、すげぇ喋るわ。


 吸収魔法による、虚脱感が消えていくのを身体で感じながら将希は思う。わかりやすい説明かもしれない――しかし、疑問はまだ残ったままだ。

 具合が落ち着いた頃、体を支えてくれたアシュレオからまた一歩離れる。

 しっかり、両脚で地を踏みしめて主張する。


「俺は、精霊の世話になんてなってねぇぞ」


 与えられたのは、女神ティファヌンの加護と呼ぶに等しいスキル「ボーイズラブ」であり、デリンジャーのボブ。そんなわけで四大精霊とは、別扱いなのではという疑問だった。アシュレオは隣で怪訝に目を細め、思考した。

 しばらくしてエルドラムが、「じゃあ」と顔の前で人差し指を立てた。


「これは、答えになるかはわからない。だけど少しだけ、昔話をしようと思うけど…君たちに流れている時間は僕とは違い尊いものだ。そんなわけで、遺跡まで歩きながら聞いて欲しい――」


 エルドラムはそう言い、宙にロッキングチェアを出現させると腰掛ける。

 そうして浮いたまま、目指すべき遺跡方面へ地を歩く二人と速度を合わせながら進む。それから饒舌に、語り始めるのだった。

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巻き込まれ不良少年は勇者と共に夜を明かす 逢乙(あお) @mofumofumagic

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