〈32〉勇者の証に、焔を宿して


 ハイネと軽く言葉を交わした後、二人は外へ向かう。

孫娘のカトレアは忙しそうに、屋内と庭を奔走していた。

 室内に干していたであろうシーツや衣類を詰め込んだ籠をいくつも並べ、それを横一列に長い物干し竿に丁寧に皴を伸ばしながら干している。その周辺では玉鶏がくちばしで地面をほじくり、蚯蚓みみずをついばんでいるという長閑さが彼女の日常として広がっていた。


 そういえばソルに、リズアルジャーノについて聞きそびれてしまった。

 だけどそういう雰囲気ではなかったし、ノリで啖呵まで切った。そんな事を、将希はぼんやり思考しているが――まあ、いいか。悩む前に、楽観して頭を切り替える。


 太陽を浴びたアシュレオの銀髪が、青空の下で光の糸のように煌めいていた。

 さきほど暗いところにいた分、明順応をする際に瞳に微かな痛みが走る。将希は隣を歩くアシュレオを視界に入れながら、刺すような陽光に目を細めた。


 とりあえず、これからやるべき事。

 アシュレオがそれについて話しをはじめた。


「暗くなる前に、芽吹の雫を村に持ち帰る」


「…自信ありげに言うけど、どこにあるとかわかってる感じ?」


「ショウキが遊んでいる間に、村長から聞いた」


 なんだか棘のある言い方に、将希は眉根を寄せて黙った。

 そのままの足で、二人は村の入り口を目指す。

 芽吹の雫の在処は、村から南の方角にある遺跡群にあるという。クロエに乗って行かないのかと聞くと、距離的に近いし、そこには連れて行けない理由があるとのこと。


「――お!遺跡かぁ!他に宝があるかもしれねぇな!オレのサーチスキルが役立つ時が来たようだぜ!」


 現在、真白のメイド服を纏う将希の前掛け風フリルエプロンのポケットから、嬉しそうにボブが声を上げた。本当はあのままハイネの宅で待機してても良かったのであるが、元気になったボブに急き立てられ同行しているというわけだ。

 それにしても「宝」と聞くと、わくわくしてしまうのは何故だろう。

 アシュレオは浮ついた将希たちの様子に小さく息をつき、それから言葉を返す。


「あまり荒らさなければ、好きにすればいいと思う…ただ、そこには簡単に立ち入れない問題が発生していて…それがケインシーが芽吹の雫を取りに行けない原因になっている。そしてなんの因果か、それは俺にしか解決できない」


「問題?」と、将希が声にしながらアシュレオの方を見た。


「どう伝えればいいかわからない、とにかく見たらわかる――としか今は言えない」


 その判然としない返しを聞きながら、将希は項垂れた。


「そっか、ていうかさぁ…俺やっぱ…あの村で留守番してたいんだけど――」


 店も色々あるようだし、カトレアに娯楽スポットについて聞いて散策したい気分でもあった。それから程よい日向でも探し、下が乾いているなら昼寝でもしようかとさえ思っていたのだが――


「――駄目だショウキ、オレの為に働いてくれ。ついでにモンスター(雄)の群れを見かけたら、村に危害を及ぼす前に沈静化しようぜ。な?」


 ボブが、それを許さず。


 潔くお願いをしているようであるが、言い方に圧を感じる。

 真白のメイド服を着せたのは、できるだけ身の安全を確保せねばという親切心からかもしれないが――将希は一応、相棒と認めてはいるものの、やはり不気味さの拭えない目敏いデリンジャーに変わりはなかった。


 そして、「スキルとして進化する必要がある」という蛸騒動の前に言っていた言葉を思い出す。じゃあ、もっとお前のことを俺に教えろ。将希はそんな複雑な思いで舌打ちをした。


「…まあ、いいや。ていうか、その芽吹の雫ってアシュが来なければ手に入らなかったってことだよな?それ含めて、最初からわかってた?」


「――いや、偶然だ。単純になんとなく、ここに来なければならないと思ったから」


 そんな会話を展開しながら、小さな店が建ち並ぶ通りを歩く。

 陽を浴びて活気づいた村には、喧騒が溢れて賑わっていた。

 これから近海に赴いて漁をする者もいるようで、鞘に納めた大きな鉈をベルトに引っ提げ、網や空箱を沿岸の船着き場へ運んでいく漁師の姿が窺えた。


 アシュレオが言っていたように、ここは村にしては規模が大きい。

 風情ある建造物が、住宅地エリアとして密集している。

 これはハイネが話していたことであるが――最初は小さな村だったのが、流れ着いてそのまま住み着く者とケインシーが混ざり合い拡大していったのだと言う。


 ではあの、惑星のオブジェのようなオシャレな灯台は、流れ者の中にいた専門知識のある技術者によるものかもしれない。

 二人は横並びになりながら、出入り口の木造アーチを潜ると外へ踏み出す。警備を任されていたモルの姿はもうなかった。さすがに休憩くらいは取るだろうと、気にせずに目的地を目指す。


 メイドイン女神の衣装効果により長くなった将希の髪は、一つに結われて海風になびいている。咄嗟に翻りそうになる、レースの装飾された膝上丈の黒いスカートを押さえた。それに煩わしさを感じながら口を開く。


「問題が解決するまでは、この村に居るってことか?婆さんが言ってた、儀式が終わるまで」


 この問いにアシュレオは頷いた。

 ということは、あと3日で終了する勇者と女神の短期契約――「約束をした、だから一緒に居る」という奇妙な関係も、ニュオリンズにいる間に解消されそうだ。

 スタート時の「やる気を出させる」というミッションはクリア出来ず仕舞いである。

しかしそれは、度重なる理不尽のせいでそもそも無理だった。

 寧ろ無駄に頑張ると、エルドラムの思惑通り「世界は平和になったが、巻き込まれた俺は胸糞です」というバンドエンドが確定してしまうことが明らかになったからだ。


なので与えられた使命など放棄して反抗し、好き勝手に過ごす。


 そんな風に将希は、アシュレオの返答を待ちながら頭にこれまでのことを色々思い浮かべていた。


「――今回の件は、夕方までには終わるものと考えていたから予想外だった。とりあえずショウキは、村長の家に泊めてもらうといい。それについての話も既にしてある。日が沈んでも、あの男もいるから安全だ。守るべきものを奪われる心配もない。あっちも、しばらく滞在すると言っていた」


 あの男とは、ソルのことだ。

 騎士と勇者の関係性についても、かなり気がかりではあるが――そしてアシュレオの荷物は「予想外」と口にしていたこともあり少ない。

 荷はハイネ宅に置かせてもらっているが、その中身は貴重品を除いて僅かな携行食とナイフが数本、タオル類、1回分の着替えだけである。

 将希は衣服に関してはボブ任せであり、唯一持っているものと言えばそのデリンジャーであるボブと、アシュレオから渡された金貨の袋をポケットに突っ込んでいるくらいだ――しかし、そろそろ手頃な鞄やボブを差し込めるホルスター的な物が欲しくなる。


これからこの世界を、本格的に冒険をすることになるのだから。



 色々考えなければならないことは、山積みであった。

 しかしそれよりも真っ先に、違和感が疑問として口から飛び出していた。


「…て、あれ?泊まるって俺だけ?」


「俺が村の中で寝泊まりするのは、無理がある」


 そう言われて直ぐに納得した理由は、深夜に律儀に訪問してくる罪滅ぼしの闇の存在。


「…いや、でも」


「とにかくそれは、気にしなくていい」


 ――いや普通に、気になる。テメェは一体どこで寝る気だよ。

 あっさりその話題を終わらせるアシュレオに、将希はそう言いたかった。

 しかし溜息をついて、「そういえば」と別の話題を持ちかける。


「闇にとり憑かれてる勇者ってこと…他の奴は知ってんのか?」


 喋りながら、雨に打たれたことにより柔らかくなった道を行く。

 二人が歩いている場所は、濃い深緑の森だった。

 木々を揺らす風が力強く、二人の間を吹き抜けていく。


 真白のメイド服はパフスリーブの半袖、しかもスカートの丈も長いわけではないので股座まで寒い。生地も薄いことから、無駄に通気性に優れていた。

 しかしアルスペシアルは現在、冬を越えてようやく春が訪れたという具合で気温は不安定。雨露マントを、羽織ってくるべきだったか――将希は身震いし、ボブに恨み言を脳内でぶつけつつ無意識に自身を両腕で抱き締めた。


「あの存在については、おおやけにされていない。事情を知らない者がうっかり目にしたとしても、きっとモンスターだと思う。知っているのは女神に導かれる一族…そして一部の王族だけ」


 言いながらアシュレオは、黒のアンクルパンツのポケットから太陽の紋章が刻まれた紅い宝石を取り出した――これは、村の警備を任されていたモルに見せた勇者の証のネックレス。それを徐に掌で握り込む。すると、指の隙間から炎のように揺らぐ紅い光が溢れだした。それを横で不思議そうに将希は眺め、声をかける。


「なにしてんだ?」


「これは四大精霊の加護の一つ、サラマンダーのほむら――止まって」


 アシュレオはそう促し、それに従う将希は足を止めるとアシュレオの方を向いた。


「――これって」


 二人は向かい合う。

 アシュレオの両腕が将希へ伸び、不思議な光の粒子で満ちた勇者の証が首に掛けられた。その直後に得たのは、全身が春の陽気に浸かるような心地良い熱伝導。海風により冷えた体が、ぬくもりに包まれ癒えていく。胸元で光る、その宝石を徐に握る――あったけぇ。ああ、これホッカイロだ。


「ショウキには精霊の加護が使えない…ならば魔力の宿りやすい、鉱石を媒介にすればどうだろうと今試した。永遠に続くものではないけど、身に付けていたら寒さも気にならないし…実用的なお守りになる」


 チェーンに巻き込まれた将希の結われた金色の髪、それをアシュレオが潜らせるように項から後頭部を優しく撫で上げる。束ねた髪は、輝きながら跳ねて風に舞った。将希は目を大きくしながら、アシュレオを黙ったまま見つめていた。この時こみ上げていた感情は二つ。心遣いへの感謝と、「勇者の証」を自身に渡したということによる動揺だった。


「や…ありがてぇけど、でもこれは後で直ぐ…返すから」


 平静を装うも、表情は堅いものにしかならない。

 アシュレオは将希の顔をジッと観察し、視線をパーツごとに降下させていく。

 目、鼻、唇、喉には――幾何学文字や図形が混ざり合った紺色の光を滲ます魔法印。柔らかに微笑した。


「この魔法印は、最後まで俺に秘密を隠し通すだろう」


「それは――」


 将希が咄嗟に声を出そうとする。

 しかし魔法印よりも先に、アシュレオは将希の腰を抱き寄せると鼻と口をもう片方の手で塞いだ。酸素を取り入れられないことに、急激な息苦しさに見舞われた将希は懸命に藻掻いた。


「――な…にっ…やめろ!」


 すると振り回した片肘が、なんとアシュレオの頬を弾いた。

「ボンッ」と肌のぶつかる鈍い音がした。

 顔から手が退く。

 将希は酸素を思い切り吸い込んで、声を震わせた。


「お前が…っ急にふざけるから、殴っちまった」


 傾いたアシュレオの横顔を、将希は見つめる。

 殴るつもりはなかった。なので、いたたまれない。

 するとアシュレオは、ポツリとこう言った。


「非礼を詫びたい、これで許して欲しい」


「…え?」


「森で酷いことをした、謝るタイミングがわからなくて。だから――」


 アシュレオは言いながら顔を上げ、真っ直ぐに将希を見た。


「…森でって、あ」


 ――川辺でナイフを、押し付けてきたこと?

 それともキスの、ことだろうか。


 しかし、なんのことだ?なんて、今更聞けるはずもなかった。

 終わった事を、また蒸し返すことになる。

 アシュレオの唇の端は少し切れ、血が滲んでいた。


「急に、なんなんだよ。そんなの、忘れてたし…もういい――てっいうかウゼェ、ワザと殴られたのかよ」


 将希のクリティカルヒットは偶然でも、自身の実力でもない。

 そこはちょっと、残念に思う。

 それからアシュレオの少し赤らんだ右頬に指先を添えた。

 真白のメイド服による打撃を喰らったのだ。

 威力を逃すように当たっていたとしても、これは痣になるのだろうか。自身も喧嘩でだが、顔を盛大に腫らしたことがあった。そんな事を考えながら、指を3本ほど使って押してみる。


「けっこう痛かっただろ。口、切れてる」


 と、将希は赤らんだ箇所を見つめながら冷静に聞いた。

 アシュレオは指摘され、舌で唇の端を一度舐める。

それから涼しい顔をして答えた。


「べつに」


 少しだけ、ムカついた。


 なので将希は、そのまま頬を摘まんで引っ張る。

 さすがにそれにはアシュレオの眉間が険しくなった。


「よし、いいぞ。これで許してやる」


 と、言う将希であるが――許す、許さないなんてどうでも良いことだ。

 ただ頬を引っ張られたアシュレオが間抜けを晒している。

 それを面白く思うとニヤニヤと笑っていた。


「――やっぱり、使者と勇者だね。ほら、少し意識させるだけですぐに仲良くなった。普通だと、そうはならないから」


 吹いていた風がやむと同時に、二人のすぐ真横から飄々とした声で男が語りかけてきた。


「エルドラム」


 そう、いの一番に声にしたのはボブ。


 アシュレオは静かに、頬を摘まむ将希の手を掴んでやめさせる。

 そして、いつの間にか傍らに佇んでいたエルドラムへ視線を寄越した。

 スチームパンク調のゴーグルを引っ掛けたハットを被り、ジャケットコーデに身を包んだ大人の出で立ち――そんな装いで二人を眺め、不敵な笑みを浮かべていた。

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