〈31〉毒気を抜くメイド


「なんということでしょう…っこの村に、女神ティファヌンに導かれた戦士が使者を含め三人!このハイネ、そのようなご高名な方々にお会いでき感極まっておりますじゃっ…」


「お婆ちゃん、食べながら喋ると喉に詰まるから。よく噛んで、飲み込む前にお茶を少し口に含むのよ――」


 大広間の円卓を囲む人影が増えていた。

 しかし、将希の姿はまだそこには無い。

 ハイネは海鮮饅頭を頬張りながら涙ぐんで、全身を小刻みに震わせた。

それが痙攣してるように見え、いきなり倒れるのでは――と、付き添うカトレアに緊張が走る。独特な揺れを見せる老体を宥め、硝子のポットから湯吞みを茶で満たしていく。そしてアシュレオは、正面に座る人物へ視線を注いでいた。


「――久しぶりだな、相変わらず辛気臭いつらしてやがるぜ。しかし以前よりはマシに見える。どうした?なにかいいことでもあったか」


 青い瞳に映しているのは――ソル。

 薄ら笑みで物を言い、椅子の背に体重を預ける形でやや横柄に座っていた。

 食卓を彩る中央の大皿を挟んで2カ所に置かれたランタンの明かりが、生意気そうな翡翠の瞳を美しく煌めかせる。

 被っていた金糸の刺繍入りの紅いマントはカトレアから預かられており、その下に着ていたのはシャツと――クラシカルなベストにスラックス。装いはアシュレオと大差ない。騎士だと判別出来る装備は、リズアルジャーノの紋章が彫られた左腕部の肩当から始まる白銀の籠手、後は脚部を守る鉄靴のグリーブ装甲ぐらいだ。


「どうして戦事を担う騎士団、カーマインに所属するお前がここにいる。野盗如きの騒動は、本来ならば民間問題を受け持つ騎士団の仕事に含まれているはず――」


 訝し気に言うアシュレオは、王都の内情に詳しかった。

 カトレアは聞き耳を立てているが素知らぬ顔で、ハイネの背中を摩りながら固唾を呑んで二人を見守っている。ソルは怠そうな表情で肩を竦め、それから息を吐くように小さく笑うと諸事情を連ねた。


「俺がここに来た理由だと?とうの昔に国を出ているお前には、もう関係の無い話になるが――王都は今荒れている。どこぞの無法者が勇者になったせいで、倒すに倒せない魔王以前に大きな問題が起きようとしているんだ。そんなわけで、単純に人手不足。手が回ってないんだよ、勇者様」


 言い終えたソルは右手で湯吞みを持ち、茶を嗜みながらアシュレオを見据えた。


「カレンタヴィア――」


 アシュレオが思い出したかのように呟いたのは、ソルの名字。

 ソルは怪訝に眉を潜め、鋭く睨み付けて凄んだ。


「――ソルでいいって言ってんだろ、このボケが!カレンタヴィアは一族を含め何人居ると思ってやがる」


「正確な人数はわからない、だけどまあ…大変そうなのは理解した。でも俺にとってはやはり、どうでもいいことだ」


 微笑を浮かべながら、冷たくもあるアシュレオの発言。

 すると、パチッと炉で薪が弾けるような音が聞こえた。

 ソルの橙色の髪が紅焔の光を宿して燃えるように揺らめき、周囲を炎の色が明るく染めていく――「ヒッ」とハイネがその目映さに両手で顔を覆った。カトレアがさすがに、ここで勢い良く口を挟んだ。


「騎士様!ここで喧嘩はおやめください!」


 その時。


「――おいアシュ、見ろよこれ…タコだ。お前、食ったことあるか?」


 このタイミングで、将希が帰還した。


 アシュレオの目の前に、紫と黄色のマーブル模様をした動かないグッタリ蛸が差し出される。弛緩しきった軟体生物から、独特な磯臭さが漂った。そしてこの瞬間、勇者以外の者は表情に戸惑いの色を見せる。


「あのぉ…さきほどこちらに座られてた、ショウキ様でしょうか」


 カトレアが恐る恐る声を掛けた。

 将希は口許だけでぎこちなく笑い、その問いに頷く。


「凄い音だったけど、なにしてたの」


 アシュレオは物静かに蛸を手の甲で押し戻し、呆れた面持ちで尋ねた。

 どうやら蛸にボブをぶっ放した騒音については、その場でフォローを入れてくれていたようだ。


「――皆さん、よく聞いて下さい。これは俺の戦士のころもであって、決して女装をしているというわけではありません」


 将希は平然としているようであるが、現在の自身の格好について心穏やかでは無かった。アシュレオの声など、耳には届いていないのだ。

 拒絶された蛸を大切そうに両腕で抱き締め、唇を微かに震わせて丁寧に言葉を紡いでいた。ボブが新たに用意してくれたのは、ホワイトブリムを被った身体能力を超強化する〈真白のメイド服〉セットであり、また高身長な金髪ポニーテールのメイドとなってしまったのだった。

 さらにはソルとカトレアの、沈黙と言う素直なリアクションに深く傷ついた。

 ハイネは将希が帰ってきたことに気付いておらず、口を動かして咀嚼している。よく食べるということもまた、長寿の秘訣なのかもしれない。


 ボブと軽い喧嘩になりながら、将希はここにどう戻ろうか悩んでいた――しかし良いアイデアなど即興で浮かばず。装いはともかく、男らしく堂々と戻ってきたというわけだ。そして――


 ――この世界には、俺の尊厳は存在しないのかもしれない。


 胸の裡で、静かに呟く。

 ソルの事を生気のない顔で一瞥し、メイド将希は大人しくアシュレオの隣に腰を落ち着けるのであった。


 ◆


 あまりにも場違いなメイドの登場に、ソルは毒気を抜かれてしまい感情は凪いでいた。全身から溢れた目映い紅焔を収め、口を噤むと将希を見ている。

ハイネは薄暗さを取り戻したことにも安堵し、ようやく将希に気付いた。そして「初めまして、村長のハイネでございます」と、改めて自己紹介をする。


「――ああ、ショウキ様でしたか。失礼致しました、知らない女性が勝手に入ってきたのかと思って…それにすごくお可愛いので、驚いてしまって」


 正直者のカトレアの発言に嘘偽りはない。

 花のような愛らしい顔に微笑を浮かべ、率直に述べている。

 だが将希はまったく喜べず、「ははっ」と乾いた笑いを洩らす。

 カトレアはその流れで傍まで歩み寄ると「預かりますね」と将希から蛸を受け取り、さらに興味を示して――


「もしかして王都の方で、男性がそのように着るのが流行っているのですか?あと髪は…魔法でそのように?キラキラと光っていて、すごく綺麗だわ」


 カトレアは天真爛漫に、悪意の無い質問を口にする。

 将希は困った笑みを浮かべるが、真面目な声音でこう返した。


「俺より、お姉さんが着た方が似合うよ」


 突然言われたことに、カトレアは目を丸くした。


「え?」


「きっと、すごく可愛い」


 将希は座ったまま、カトレアの瞳を甘えるように見つめて言う。

 瞳の色は、ハイネと同じく艶やかなオリーブ色をしていた。年齢は21歳であるとさり気なく聞かされていて、そして年上のお姉さんという部分を意識しているわけではないが、将希は無自覚に年下オーラを放ち母性に訴える。口説き落とそうとしているわけではない――


 メイドと巨乳。


 そんな素晴らしい芸術作品を、ぜひ拝んでみたいと思っているだけであった。


 メイド服を披露するのは二度目、しかし立ち直りは驚くほどに早かった。

 見舞われた環境に即適応するというのも、ある種の才能である。

 将希は何気なく、隣に座るアシュレオをチラリと見遣った。

直ぐ、冷たい視線が跳ね返る。


『こら、ショウキ』


 さらに悪癖の片鱗を見出したボブが、脳内に鋭い声を響かせる。

 ここで将希は、諦めにも似た溜息をつくと俯いた。


「蛸は下処理をした後…冷やして、保管しておきますので」


 漁村ニュオリンズに、軟派な台詞を吐く男などいない。

 カトレアは顔を真っ赤にすると、その場から逃げるように蛸と共に去って行く。


「お前が、魔法使いの言っていた使者か」


 落ち着いた様子で、ソルが将希に話しかけた。


 フリルエプロンのポケットに潜むボブが、『こいつがソルだ』と将希だけに囁く。そして、将希は顔を上げた。自身を見据える、円卓の騎士に挑むような目でこう返す。


「――てめぇがソルか、喧嘩吹っ掛けに来たんなら今はよせ。俺たちは忙しい」


 ソルは「フッ」と笑って、瞳を細めた。

 それから将希とアシュレオを交互に見遣って呟く。


「なるほど、そういうことか。アシュが随分と楽しそうにしていたのは」


「…アシュ?」


 将希はその呼び方に違和感を覚える。

 隣に座るアシュレオの方を見て、直ぐに尋ねた。


「全員に嫌われてるって言ってたけど、こいつとは…そうでもないとか?」


 アシュレオは少し間を置くが、素っ気なく答えた。


「――好かれていないのは、事実だ」


 不機嫌そうな顔でソルは二人の遣り取りを聞き、傍らで置物のように固まっているハイネの様子に気付く。

そして言おうとした苛立ちの言葉を心に留め、他の物に置き換えた。


「遠い昔話なんて、今更どうでもいいか。これから先で何が起きようと、テメェを哀れんでやる義理もない。今は精々、その使者と戯れていろ」


 皮肉を浴びせながら、ソルは椅子から立ち上がる。

 両脚の装甲が擦れ、無機質な金属音が小さく鳴った。


「それと使者、名はショウキだったな」


 ソルはそのまま、正面から見下ろす形で将希に語りかける。

 台所から戻ってきたカトレアは立ち上がっているソルの様子から察して、預かっていた紅いマントを壁際の棚から持ち出すと羽織らせる。将希はそれを眺め、「ああ」と気のない声を返す。


「お前のことはあの魔法使いから聞いていたが――正直、驚いている。俺の予想では、もう既に別行動をしていると思っていた。いくら女神と約束をしていようが…最悪の場合そいつは、人間を殺すか、無責任に捨てる。約束されていた平穏を自ら壊し、その身を奈落に投じた大馬鹿野郎だ」


 ソルは上品な顔をして口が悪く、物騒なことを言う。

 アシュレオは暗い瞳でソルを見た。

 ――ガタンッ。

 卓上に手をつき、椅子を揺らしながら勢い良く立ち上がった。

 振動で机上のランタンの明かりが揺れ、壁側へ投影された影が大きく生物のように波打ちながら異様な蠢きを見せる。


「黙れ、カレンタヴィア。これ以上余計なことを喋るなら、今すぐに殺す」


「へぇ、ここで殺し合いか?俺は別に構わねぇけどな。ただ――俺以外の骸が、何体仕上がるかは楽しみだ」


 一触即発を醸す、騎士と勇者。

 しかし一方で、告げられた将希本人は一切動じておらず。

物怖じせず、割り込むように口を挟んだ。


「――なに言ってんだテメェ、アシュが物騒なヤクザであることはもう知ってんだよ。それによく考えれば、俺の世界にもヤベェ奴は沢山いた。武器なしとハッタリをかまし、土壇場で隠し持っていた凶器を使う卑怯者。タイマンと言い張ったくせに、待ち構えていたのはそいつ含めた舎弟と、助っ人で呼ばれたいかつい先輩」


 将希は、表情を引き締めて語り出す。

 ソルは徐に自身の口を片手で覆い、「お前は一体なんの話をしている?」という不可解な視線を向け、アシュレオは将希の声にハッとすると我に返った。


「理不尽に半殺しにされる日もあったが、俺は命ある限りそいつらに拳で報復して黙らせた。つまり何が言いたいかっていうと、てめぇが何者であってもその姿勢は変わらねぇ。だから、あんまし舐めた口聞いてんじゃねぇぞ。こっちには進化し続ける、わけわかんねぇトチ狂った相棒までついてんだよ!」


 将希はメイド姿のまま、覇気を宿して啖呵を切る。

 魔法使いと勇者には物理的に屈していることになるが、喧嘩としての敗北まで認めてはいない。そして相棒とは、デリンジャーのボブのこと。ボブはそれを聞くやいなや、笑い交じりに思わず声を出した。


「口が悪すぎる、誰が狂人だ」


 どこからともなく聞こえた知らぬ声に、カトレアとソルは周囲をサッと見回す。ハイネは一人の世界に浸っており、揚げ海老をまたチュウチュウ音を立てて吸っていた。それからソルの大きな溜息が零れる。


「ああクソ、なんなんだお前。そもそも使者は男と聞いていたはずで…なのに…そんな、ふざけた恰好で現れやがって。興醒めだ。そもそも俺には、くだらん喧嘩に割く時間はない」


 と、述べるソルは複雑な心持ちであった。

 将希はこれまで聞かされていた、どの使者の像とも異なっている。

 小さな頃、母が寝る前におとぎ話のように使者について話してくれたことを思い返す。それは「世界を救うために異界からやってきた、心優しい救世主なの」であり――


 なんだこの、粗暴でふざけきった男は。

 という、モヤモヤに苛まれている。


 さらに女装なのだと分かっていても、喋らなければ将希は麗人ような空気さえ纏っていて――ああ、なんかもう…頭イテェ。

 

目頭を揉みながら、我に返ったソルは溜息を吐いて踵を返す。

 カトレアに付き添われ、扉を開かれると玄関から表へと出て行った。

 それと同時に、あたたかな太陽の光が道筋のように玄関から差し込んでくる。


「気持ちよく晴れましたね」


 戸を開け放したまま、庭先に出たカトレアが嬉しそうに空を見上げた。

 

それは冷たい雨の、終わりを告げていた。

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