愛憎、紅焔のパラディン〈27〉~

〈27〉物語は歩みをとめずに


「――へぇ、貴女は…女神ニコティラ。で?前の女神は」


 異世界、アルスペシアルの観測者の間にて。

 エルドラムは、石膏の円盤の中央に浮かぶ大きな翡翠のダイヤ型の水晶に問いかける。その姿は大人ではなく、小さな少年だった。

 魔機物であるスチームパンク調の歯車のゴーグルを首に提げ、襟元に黒く細身のリボン。上品なフリルとレースであしらわれたシャツの袖は長く、手は隠れてしまっている。そんな袖元を口に添え、黒い瞳をまばたきさせると返答を待った。


『…それは気にしなくても良いこと、何事もなければまた会えるはず。今から話すことは、その世界の主である女神ティファヌンからの言づてだ――』


 落ち着いた口調を崩さないまま、ニコティラは語り続けた。

 しばらくして、エルドラムが溜息混じりに口を開く。


「――勇者に授けた…闇から身を隠すあの加護が、消えるだって?」


『ああ、なので一仕事頼みたいというわけだ』


「僕があの勇者をどう思っているかは知っているでしょう」


『まあなんとなく、聞いている。しかし貴様に拒否権はない…女神の有り難いお言葉は絶対だからな』


 若干、自身への皮肉も込めているニコティラの言葉。

 エルドラムはそれに肩を竦める。


「そう…使者の安全を、第一に考えるなら致し方ないね。それにまだ、ショウキをアシュレオと切り離すという展開は僕も困る」


 エルドラムは淡々と言う。

 それと同時にニコティラの鼓膜を掠めたのは、鎖の擦れ合う音だった。


「――今回も、上手くやらなければ…世界の寿命を…もっと、延ばさなきゃ」


 ジャラッ。


「だから、僕は、そのためだったら――」


 ジャララッ…

 ジャラジャラ…ッ


 途切れ途切れの譫言うわごとと共に、エルドラムの手足に絡みついていく。

 それはどこからともなく無数に伸びる、無色透明の光を帯びた鎖。

 まるで世界そのものが意思を持ち、少年の体を縛り付けていく――


 ニコティラは翡翠の水晶を通し、女神のアトリエという各女神が所持するプライベート空間からそれを眺め――その異様さに、目を細めた。


 どうやらあれは、エルドラム本人には見えていないらしい。


『…貴様のことも、あの阿呆は気に掛けておったぞ』


 エルドラムはその言葉を耳にして、「フッ」と笑う。


「では…この現状を全部、どうにかしてくれないか」


 微笑を浮かべているが目は笑っていない、鋭い声だった。


 ニコティラは口を噤んだ。


 女神である以上、出過ぎた真似はできない。

 しかし沈黙の後にエルドラムは肩の力を抜いて頷き、了承した。


「――…なんてね、別にいいよ。それはできないというのはわかっている。とにかく、世界の為ならば協力するよ」


『がんじがらめの、鎖か』


「なに?」


『いや、こちらの話しだ。ではさっそく、仕事に取りかかってもらおう――』


 ――アルスペシアルは、私の想像を遙かに超えていた。


 ニコティラはエルドラムに指示を仰ぎながら、別のことを考える。


 元よりもこの世界は、ティファヌンの愛情により長く生き過ぎている――ティファヌンが女神の「報告書」を途中から書かなくなった理由が、はっきりとわかった。書けるはずが無い。もしありのまま書いてしまえば――


 ――創造神・プリムルールによる、強制削除デリートが待っている。


 世界はそれぞれ、自立しているわけであるが。

 しかし希に――女神と同等の力を持つようになる、〈恐奏世界グリム〉と呼ばれるものが存在する。それは他の世界にも影響を及ぼすようになると言われ、見つけ次第、抹消され続けた。


 そしてあのエルドラムに絡みつく無色透明の鎖は、女神ティファヌンの力と酷似している。


 どうやら預かる身である私も、最悪な事態に備えた覚悟が必要らしい。


 ニコティラは四季折々の花や植物が絡みつき構築された玉座に座り、肘掛けに腕を置いて頬杖をついた。ボタニカルな白いタイルが足元に広がり、足首まで水に浸かっている。青空とそこに流れる白い雲が、水鏡みずかがみの中に吸い込まれていく。まるでウユニ塩湖のように、鏡写しの浅い水域が永遠と続いていた――


「面倒なことに、巻き込みおって」


 不安に気圧され呟いたものの、ニコティラはかなり肝が据わっていた。

 観測者の間と同じ、巨大な翡翠の水晶を目の前に浮かべ眺める口許にはもう、楽しげな笑みが浮かんでいた。


「そろそろいいかなぁ、僕も忙しいんだ」


 エルドラムが水晶越しに怪訝な声で語りかける。


『ああ…すまんな、ひとまず今伝えたいことは以上だ。早急に頼む』


 こうして一旦、通信を終えた。

 ニコティラからやるべきことを告げられたエルドラムは、頭に魔機物のゴーグルを掛けたハットを被ると大人の姿になった。それから観測者の間を飛び出し、雨降りのアルスペシアルの世界に溶け込んでいく。行き先はもちろん、将希たちのもと。


 ニュオリンズ村――

 導きかどうかはわからない、だがあそこにはたしか…

 王都から守人として派遣されている仲間の一人が滞在している。

 将希に会いに行かせる手間は省けるが、問題はあの男はかなり気性が荒い。


 仲間として、正直扱い辛さもある。

 ――もしかしたら、アシュレオと一悶着起こすかもしれない。


 だから、そうならないように見張って――

 今はまだ、穏便に事が運ぶように阻止しなくては。


 ああ、面倒だなぁ。


「――英雄か」


 ニコティラから言われた言葉を口にする。


「しかしこの世界では、もう誰も覚えていないことだ」


 エルドラムの独り言は、雨に一瞬で掻き消された。


 ◆


 ――ザァァァア…


 将希の予想通り、あれから雨脚は強くなっていた。

 暗雲から降り注ぐ雫の放射線に、木々が視界の端で霞みながら消えていく――クロエの背に乗ったアシュレオと将希は、デコボコ道の丘を時折揺られながら越えて行く。


 防水装備である、紺色に水玉模様の雨露マントは体を雨に濡らすこともなく、風で体を冷やすこともさせない。ハタハタと雨粒に叩かれながら走るクロエは、今朝、将希からキャロロを与えられたことによりご機嫌だった。なので普段よりも超速で、頑丈な御御足で長距離を駆けていく。目指すはニュオリンズ――


「…なんだか、クロエの調子がいい。予定よりも早く着きそうだ」


「それは多分…ショウキが今朝、キャ――」

「――おいボブ、てめぇわかってんだろうな」


 アシュレオがクロエのハイペースさに驚嘆を洩らす中、ボブが雨露マントの下から「キャロロ無断消費」について告げようとする。しかし将希がそれを許さずに凄んだ声をあげ制止する。アシュレオは顔だけ軽く向け、背中から抱きつく形になっている将希と視線が合う。


 将希は「なんだよ」という、怪訝な表情を浮かべた。

 水を弾く、雨露マントのフードに顔を陰らせながら見つめ返す。

 この背中から自ら抱きついている姿勢に関しての疑問は一切ない。自転車やバイクでもよくある2ケツなのだ。それが馬になっただけであるという認識だった。

 毎度ながら、将希にはアシュレオの心は読めない。

 しかしなんとなく、満足した様子で笑ったような気がしていた。


 それからアシュレオが静かに前へ向き直り、声を発した。


「――海の匂い」


 つられるように、将希も視線を正面の景色へ伸ばす。


 思わず深く、息を吸った。


 いつのまにか雨に混じり、潮の香りが満ちていた。


 悪天候に彩られた灰色の世界に、建造物の影がポツポツと浮かんでくる。

 クロエが泥水を蹴飛ばしながら快速で、〈ニュオリンズ村〉と木に括り付けられ表記された木製看板を通り過ぎていく。


「着いた」


 アシュレオの声と一緒に潮騒が耳まで届いた。


 ――ザーンッ…ザーーッ…


 ニュオリンズ村は、内海にある岬から広がる大きな漁村だった。

 海沿いがズラリと船着き場になっていて、その中で一際目立つ白い塔のようなものが建っているが、あれは「灯台」の役目を担っているものだろう。天辺に白い輪が幾重にもなり交差し、その中央に光り輝く大きな宝玉が回転している。少し付け加えれば、輪が複数になり絡まった土星のオブジェにも見えた。


「あれはそのまんま、灯台だな。漁師たちが海で迷子にならないようにする為の目印だぜ」


 ボブが得意げに説明をする。


 距離がなくなり、近づくにつれてクロエが並足になっていく。

 ニュオリンズ村はモンスター対策であろう、個性的な塀に囲まれていた。

 有刺鉄線のような鋭さを持つ黒い茨が、ポツポツと白い花を咲かせながら6メートルの丸太の杭に巻き付けられ、それが村を守るように隈無く整列している。まだまだ喋り足りないデリンジャーの解説によると、巻き付いている植物は〈白死花はくしか〉と呼ばれ、棘には毒を含み、モンスターの淀んだ血を好む吸血草の一種。

 さらに吸血行為により、純白の花弁は朱に染まるという。

 花の見た目は薔薇というよりも彼岸花に近い。


「ああ、とりあえずさわらんどくわ」

 将希は真顔で肝に銘じた。

 以上、アルスペシアルに生息している奇妙な植物講座――


 そんな物々しい塀を横目に通り過ぎ、一行はクロエの背から降りると地に足を付ける。アシュレオに手綱を引かれながら、黒い体を湿らせたクロエはまだまだ元気な足取りで闊歩していく。村の入り口に辿り着くと、板金の鎧兜を着込んだ男が一人立っていた。


 アシュレオが雨露マントの下から、ネックレスを取り出す。

 鎖の部分を手で持ち、男の目の高さまで上げて見せた。

 正方形にカットされた紅い宝石の中には、光を滲ませた太陽の紋章が刻まれていた。

 コテージで今朝見せられた、魔送袋に刺繍されていたものと同じ。


「それは…世界を救う、選ばれし者に与えられる勇者の証。お待ちしておりました、村長のハイネが大喜びで腰を抜かすかもしれません」


 甲冑の中で籠もる男の声は安堵していた。

 肩に担ぐようにして持つ、物騒な戦斧せんぷを振るうことなく済んだのだ。

 聞くところによると、最近では野盗もモンスター同様に増え続けて治安が悪化しているのだという。そして男は兵士ではなく、このニュオリンズの漁師らしい。

 顔は見えないままだが、「モル」と名乗った。

 こうして将希たちは、見張りのモルに会釈すると木造のアーチをくぐっていく。

 雨で霞がかった視界の中、ランダムな石畳を踏みしめて歩いた。


「あ、これ」


 アシュレオとクロエの後ろを歩く将希は、両脇に目を配ると声を洩らす。

 甘い香りがした。

 浄化の森で見た、シュークルの花が咲いていた。

 意図的に植えられているようで、人工的な花畑のように整地され管理されている。さらには所々に焦げ茶色の煉瓦で造られたサイロが建ち並び、海崖かいがい沿いに見えたのは暖色系に塗られた石造りの洋風建築たち。


「――なあ…俺は用事が終わるまで、別行動でオッケーなんだよな?」


 将希が早足で、アシュレオの横に並ぶと顔を覗き込んで尋ねる。

 視線を絡ませたアシュレオは物静かに返した。


「…状況が少し変わった、俺のそばから離れないで欲しい」


 そのまま、将希の手を掴むと振りほどけないように力が込められる。


「ッ…お前、娯楽を楽しめとか言っといてざけんなよ。もうわかったから離せっイテェし」


 雨露マント越しに眉間を歪めた将希の顔を眺め、アシュレオは小さく頷いた。

 しかし左側でクロエの手綱を握りこんだまま、右には将希を捕まえたまま村の中を歩いて行く。将希はスッと虚ろな目になり、ポケットのボブは「へへっ」と他人事のように笑った。


 そのまま民家ばかりの大通りを歩いて行く。

 時折小さな商店のようなものが間に入っているのが目に付いた。

 

そしてその手前――何も植えられていない帯状に続いた田畑の前では、ニュオリンズの住民であろう人々が雨具を纏い項垂れている姿が視界に入り込む。


「……」


 アシュレオは黙ってそれを一瞥し、大きな平屋建てのうまやにクロエを預けた。



 ◆次回予告

 ここから新たな章。

 

勇者の仲間、二人目が登場。

 ――紅焔のパラディン。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る