〈21〉「傷つけるつもりはない」


 7つあった影から滑らかに首が切断され、無造作に地表へと転がっていく。


 雌のゴブリンたちは鈍い転倒音を響かせ、紅い霧雨を束の間だけ降らせた。白と緑の配色の隙間からそれを目にした将希は、「うわ」とつい出そうになった声を口を手で覆い黙らせる。そのまま動けなかった。


 片膝を付いた中腰の状態で、現在シュークルの甘い香りに包まれ潜伏しているわけであるが。しばらくして「ショウキ」と、ボブではない者から名を呼ばれた。呼び主は迷うことなく場所を特定し、咲き乱れた花の壁を掻き分ける。


「さすが勇者様!!助かったぜ」


 ボブが真っ先に声をあげた。

 顔を覗かせたアシュレオは、将希を静かに見下ろしていた。


「よお」


 将希は気まずそうに返し、視線を合わせないまま立ち上がる。

 それからシュークルの密生から抜け出し、川岸の光景を改めて視界に入れると唖然とした。


「これ…お前が全部やったの?」


 ゴブリン達は無残に首を転がしなら、所々身を重ねるようにして倒れていた。

 岩と泥は真っ赤に染まり泥濘んでいて、濃い灰色のフードを被ったローブ姿のアシュレオは尋ねられたことに頷いて見せる。素っ気なく答えた。


「――女神との約束が終わるまで、あと4日だ」


「アシュレオ、それなんだが。女神の方でトラブルが発生して、だから連絡が取れるようになるまではもう少し――」


 ボブが場を取りなそうと、交渉をする。

 しかし将希が鋭い声で遮った。それには苛立ちが込められている。


「んなのわざわざ言われなくても、わかってんだよ」


「…そうか、ならいい。じゃあそれまで、無断で拠点から出てこんな風に森を彷徨うろつくな。ショウキにはなぜか、精霊の守りが付与できない。女神との約束を終える前に、使者である存在に勝手に死なれたりしては困る」


 淡々とした物言いだった。

 昨晩の出来事について触れてこない部分には優しさを感じる。しかし、腫れ物に触るような空気が居たたまれない。将希は八つ当たり気味であるが、ここ数日の間に少しずつ溜め込んでいた怒りが加熱した。意に反していつの間にか声にすると、そこからは止まらずに勢いが増していく。


 ――なんかスゲェ、苛々する。


「うろつくなって、なんだよその言い方。俺はべつに、迷惑かけたいわけじゃない…ずっとダセェ感じで、野郎の世話になるつもりもねぇ!そもそもこんな変な場所っ…異世界になんて…ッ好きで来たわけじゃないんだ!」


「ショウキ!」


 ボブの制止も聞かずに将希は言葉を連ねた。

上着の左ポケットにしまっていた金貨の巾着袋を掴むとアシュレオに投げつける。


ガチャンッ。


 それは眼前で、掌でしっかりと受け止められた。

 中身の金貨が擦れ合い、金属音を奏でる。

 さらに将希は、アシュレオに醒めた視線を向けて言った。


らん、かえす」

「なぜ?」

「…帰るから」

「どこへ」


 落ち着き払い、呆れたような声が跳ね返ったことに将希はさらにムキになる。


「――元の世界にっ…決まってんだろ!!」


 将希は勢い任せに叫んだものの、ハッとした。

自身が発した言葉は、悲痛であり滑稽なものだった。

帰るって、どうやって?


困惑めいた感情に足元がすくわれていく。

 思考はまとまらず、宙ぶらりんだった。


ええと、ティファヌンとまた話ができるまで…それまではボブとなんとかやっていくって話で――


 なに言ってんだ俺。


将希は前向きに考えてみたものの、実際は不安だらけの空元気だ。


 もう引っ込みがつかない。状況を覆すような強い言葉は見付からなかった。

そしてナイフを右手に持ったまま、アシュレオの横を通り抜けて走り去ろうとするが。


「い…ッ」


 アシュレオから右腕を掴まれ引き留められる。

それには強い握力が籠められていて、将希は顔を顰めた。

加減のない力に痛みが走る。


「…ッ…さわんな!」

「――ナイフ、使えるの?」


 苦痛に歪む表情をアシュレオは覗き込むと声をかける。

 それから将希の腕を持ち直し、体の向きを素早く川の方へ回転させ背後から動けないように抱き締める。将希は再び、熱を失ったゴブリンのむくろ達と対面を果たした。その奥の方には変わらず、美しい川が流れている。


「これでできることは、果物を切る以外にも沢山ある」


 アシュレオは冷静に言いながら、刃物を握る右手を捻る。

 将希の掌が、痛みにより開いた。

 果物ナイフはあっさり奪われ、温もりのないその刃の側面が首筋に当てられる。アシュレオの語りかける声の冷たさと、鋼の感触に将希は胴震いをした。


「――おい、笑えねぇ!そういう真似はよせ!!」


 上着のポケットに収納されたままボブが叫ぶ。

 表情を変えずに、アシュレオは穏やかに答えた。


「傷つけるつもりはない」


 背中伝いに、ただ音を感じていた。


 それは恐怖で早鐘を打つ、将希の心音だった。


 そんなアシュレオに狂気じみた様子はない、むしろ心穏やかだ。

 逆にそれが不可解で、将希はさらに怯えを滲ませる。


ボブは黙り込んだまま注意深く、二人の遣り取りを静観することにした。

本人が言うように、悪意はないと判断したのだ。


 カシャンッ。


 ナイフが手元から落ち、石に衝突しながら泥と砂利に埋もれていく。

 アシュレオはその空いた手で、将希の顎を掴むと横に傾けた。


「――え」


 それは将希にとって、予想外の行動だった。

 されたのは、唇の触れ合う口付けだった。

 

昨晩の情景がフラッシュバックし、羞恥を含んだ紅潮が肌に浮かぶ。

だがその行為自体、ものの数秒で直ぐに解かれた。

アシュレオの思考がまったく読めない。

将希の頭の中は、もう滅茶苦茶だった。


「…な…なんで…」


 狼狽えながら声を発し、まだ唇が触れ合いそうな距離にあるアシュレオの涼しげな表情を震える視線でなぞっていた。するとアシュレオが、逆に聞き返す。


「――なぜ、ショウキは」


「…え?」


「ただのキスで、興奮していたんだろうって――」


 青い瞳を細めながら微笑した。

 将希はそれから全てを悟り、言葉を失う。

 一生懸命隠し通していたつもりが、バレていたのだ。


「ちが…っあれは――」


 取り繕おうとする声が震えてしまい、収拾が付かない。


「答えなくてもいい、理由なんてどうでもいいんだ。魔法印を含めて、大体のことはわかっている」


 この冷静なアシュレオの様子が屈辱的だった。

将希はなんだか悔しくなり、唇を噛んで睨み付ける。


「とにかくあと4日。それまでは、俺のそばから離れるな」


 毅然とした、命令口調でそう言い放たれる。しかし。


「――は?」


 一方的に突き付けてくるような物言いに、将希はいきなり我に返った。

全てのできごとをひっくるめ、怒りが最高潮に達してしまう。ブチ切れ寸前、10秒前だ。

 

さっきから、なんなんだよ。


 ティファヌンにしても、エルドラムにしても――


 俺は差し出された壮大なおっぱいを鷲掴んだ対価として、命の危険すら感じる面倒くせぇことに巻き込まれてしまい今に至る。

 この世界に来るまで脳内再生余裕だったはずの、デフォルトおっぱいすら頭の中で上手くイメージできなくなりつつある。


 湧き起こったのは、激しい憤り。


 さらに自身が着用している、学生服のモチーフになっているであろう人物について考えていく。


 ティファヌンの愛読書、鬼畜きちヤン(略)の主人公である真白。

 オラオラ系の不良なのに、龍花崎という謎のモヤシに蹂躙された挙げ句に雌堕ちした男――


 ――俺はお前とは違う!!

 辱めを受けながら、頬を染めるような野郎にはならねぇ!


 若干斜め上ではあるが、そんな怒りをも露わにする。


 母である美千代の超激怒ちょうげきおこにより、連んでいた仲間と距離を置いていた。そしていつの間にか、丸くなっていた。

 いい意味でいうとそれは、大人になろうとしていたのだ。

 しかしそれにより、備わっていた衝動的な闘志は知らぬ間に削がれていた。以前は相手との力の差を意識し、喧嘩をするべきかどうかなんて頭を悩ますことはなかった。絡んできて、ムカついたから降参するまで殴り続ける。それだけだったはず――


「――ッ偉そうに…俺に…命令ばっかしてくんじゃねぇ!!」


 突然大声をあげた将希は、アシュレオのブーツを履いた足を思いっ切り踵で踏み付けた。


 アシュレオはこの変則的な動きに意表を突かれ、避け損ねた足に顔を顰める。

 捕縛していた腕の力が数秒緩んだ。将希はそれを見逃さず、滑るように身を屈ませてすり抜ける。背を向けたままアシュレオの片腕を掴み、力任せに前方へ放り投げた。この一連の動きは、合気道の護身術に近い。しかし将希に真っ当な武術の心得はない。全て、喧嘩で学んだこと。


 いきなり宙へ放られてしまったアシュレオは、このままではゴブリンの死体に落下して悲惨な目に合うだろう。


 しかし結果は、そうはならない。

 逆に面を食らったのは将希だった。


 有り得ない光景を、目の当たりにしたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る