〈12〉「勇者暗殺計画」


 将希は異変に気付いた。

 いつの間にやらルメールの雑踏から、セピア色に染まる大きな図書館の中に立っていたのだ。その中央には立派に育ち切った真っ白な大樹が存在を主張し、まるで両手をいっぱい広げるようにして高い天井に葉を生い茂らせていた。葉の間からは光の雪が、木漏れ日のように降り注いでいる。


「こっちだよショウキ」


 エルドラムが優しい声で誘う、すると将希の足が一人でに動き出す。


「な…なんだよ、なにされてんだ…っ」


「これも魔法だショウキ、に連れて来られるのは予想外だったが…しかしティファヌンと連絡が取れない以上はあいつも何かと頼りにはなるはず」


 左手に持ったままになっているボブが、神妙な声でそう促す。


 将希はそんなデリンジャーを右手にスイッチした。

 撃鉄を下に押し込み、トリガーに指をかける。男に限るが、仲間がもし他にいるならスキルは有効だろう。将希はエルドラムを、好意的に思っていなかった。

 初対面であり、互いにまだよくは知らない。だがアシュレオと違い、エルドラムからは悪意を感じた。それはただ生理的に受け付けないという、個人的な嫌悪なのかもしれないが、心を許せる相手ではないという事を意味している。


 またボブから微細に伝わる不穏さを含め、そう思ってしまったのかもしれない。

 将希は胸に引っかかった事を、即座に尋ねた。


「あいつと、顔見知りなのか」


「――少しだけ」


 ボブは短く答え、そのまま黙り込んだ。

 それからエルドラムの魔法により歩行を強いられた将希は、本棚の通路を幾つも通り過ぎていく。あちこちに長い木製の梯子が掛かっているが、ほとんど使われた形跡がない。つたが巻きついて花が咲いている。


 しばらくすると木の根っこで覆われた扉が眼前に迫る、ズルズルとそこでひしめく植物が壁を這いながら後退し、アンティーク調の扉が露になると自動で開いた――


「いらっしゃい」


 踏み込んだのは部屋ではなかった、将希は絶句した。

 そこには壁がなく、辺り一面には紫紺の夜空がグラデーションがかり世界を覆っているようだった。足場になるのは真っ白い石膏で出来た、大きな円盤。真ん中では、ダイヤ型の巨大水晶が浮遊したまま停止している。その隣に、ハットを被ったエルドラムが立っていた。


「ここは観測者の間…僕と、僕が招いた者のみが入り込める特殊空間」


 つまりここは、ルメールの街とは切り離された空間という事になる。


「君も聞きたいことはたくさんあるだろうが…まずはこちらから、話をさせて欲しい」


 エルドラムが微笑してそう口にすると、将希の両足から魔法の気配はもう消えていた。しかし将希は奇妙に浮かんだ扉を背にしたまま動かなかった。トリガーに指を引っかけたまま、得体のしれない魔法使いを見据えていた。ひとまずここには、他の仲間はいないようだ。


「――わかった、話せ」


 メイド服のスカートの裾が、微かに吹いている風に揺れていた。

 エルドラムはそれを視界に収めながら、案外強気な将希に苦笑する。そして語り出だした。


「では単刀直入に言わせてもらうよ…我々、女神代理審議会はアシュレオから勇者の権限を剥奪することに決定した」


「なにを、勝手なことを言っている!」


 ボブが声を荒げて叫び、一方の将希はわけがわからずに尋ねる。


「その…女神代理審議会って、なんだよ」


 エルドラムは肩を揺らすと笑いを嚙み殺し、それから穏やかな声で説明を始めた。


 ――女神代理審議会


 女神ティファヌンに選ばれし、四人の勇者の仲間により設立された厳粛な会合であるという。基本、女神から彼らに与えられた指名は、魔王を勇者と共に討伐することである。しかし、歴代の勇者たちを辿っていくと、極まれにアシュレオのようになんらかの事情を申し立てて使命を全うしない勇者がいる。その場合、魔王が生み出すモンスターが数を増やし、世界中に混沌が病魔として蔓延していく緊急事態に見舞われてしまうのだ。


 そうなる前に、どうにかするのが女神代理審議会らしい――


 そしてエルドラムは、魔王についてもここで話した。

 この世界で朽ちた命が魂となり天へ上る時、纏わりついた不浄が片鱗として振るい落される。それは決して目には見えないが、埃のように世界に降り積もるとやがて強大な悪しき存在である〈魔王〉を生み出すのだ。


 しかし現在の魔王は、これまでとは違う。

 聞くところによると、その不浄の片鱗をなんらかの理由で体に吸収してしまった元人間なのだという。


 ――それにより勇者アシュレオが討伐を躊躇い、現在に至るという話だ。


「――でも前にも、アシュレオみたいな奴らがいたって事だろ?それにしては言うほど、この世界ってそんなに酷い?街の奴らも普通に暮らしてたし、美味い飯だって食える…まあ化け物がいるのはやべぇけど」


 将希は聞きながら区切りの良い所で、割と正論を述べた。エルドラムは肩を竦め、切れ長の目を細めて笑みを浮かべる。


「そう、そこなんだよショウキ。そんな出来損ないの勇者が居た歴史もあったのに、なぜ今世界は新たな魔王に脅かされながらも、比較的に穏やかなのか…それはだね――」


「――エルドラム、まさか」


 ボブが愕然と声を発した。

 しかしエルドラムは、何も聞こえていないような素振りで語る。


「僕ら女神代理審議会が、陰ながら堕落した勇者を葬り…勇者の権限を〈使者〉に譲渡するという涙ぐましい努力の結果なんだ」


「女神ティファヌンはお前らに、そんな事まで命じていないはずだ!」


 ボブが鋭い声をあげた。

 口元に手を添えたエルドラムは、ただ微笑して言葉を続ける。


「――我々も好きでやっているわけではない、当然心は痛む。しかし頼るべき存在である女神は、過干渉ができない決まり。ならば世界を守るためには、自分達でどうにかしなければならないというのは当然の事だろう…君だって、それはよくわかっているはずだ」


 将希の右手で、ボブの舌打ちが聞こえた。


「それにしても今回は、使者が送られてくるまで随分と長く感じた…我々が勇者を殺せる条件は使者の存在が不可欠だからね。ああ、それだけじゃダメなんだ…あの剣がないと…」


 エルドラムは途中、独り言のようだった。


「さっきから、なに言ってんだよ」


 将希は無意識に声を発していた。

 エルドラムはチラリと視線を送ると、腕組みをして語る。


「ではある程度説明はしたので本題に入ろう、君に手伝ってほしい事があるんだ」


「ショウキをそういう事に巻き込むな!」


 ボブは慌てたように口を挟むが、しかしエルドラムは言い切った。


「勇者アシュレオの、暗殺を――」


「は」


 将希は思わず気の抜けた声を洩らす。

 そのまま後ろに後ずさると扉に背をくっ付け、突然言い渡された事に戸惑っていた。ボブはもう何も喋らずに沈黙している。


「君が女神にどんな説明を受けたのかはわからない、だが使者としてこの世界に送られてきたのなら…この世界のルールに従ってもらいたい。まず異界の者が、こちらにやってくる時は決まって勇者に問題がある時。この世界が、混沌に飲まれそうになった時に現れる救世主なんだよ」


「…ティファヌンは、そんなこと言ってねぇよ。もっとシンプルで、お前らとも力を合わせて魔王を倒せって――」


「綺麗ごとだけで生きれるならばそうだ、だが世界というのはいつも優しいわけじゃない。その時は、誰かが残酷になる必要がある――…だから、異界から来た使者がこの世界に居る状態で、使えない勇者は直ぐに殺す。それだけで未来への希望が見いだせるんだ」


「いや、だから…なんで?まずはアシュレオと話し合えよ」


「――話し合い…か、そんなのは遠い昔に済んでいるよ。まず第一に、アシュレオ自体がそもそも勇者として不適合。彼は勇者に選ばれた瞬間に、あの血生臭い生業からもすぐ退くべきだったね」


「不適合って…もしかして人を殺したって部分?」


「アシュレオから、なにか聞いた口振りだね」


「少し」


 エルドラムは意外そうな表情をした直後に小さく笑い、そして言葉を綴る。


「――まあ、とにかく…使者として君が来たならば問題児のアシュレオは用済みなんだ。女神に招かれた使者なら、勇者の力が引き継がれる。これは恐らく、不慮の事故で勇者を失った際の保険だと思われるが」


「わけわかんねぇ…仲は良くないって聞いてたけど、仮にも仲間じゃないのかよ」


「そうだねぇ、そもそも我々は…互いに義務的にしか接していないから。それにしても魔王を野放しにしたまま、もう一年は過ぎているよ。ああ、すごく、すごく会いたかったよショウキ――」


 エルドラムは将希を視界に収め、興奮気味に吐息を漏らした。

 言いながら少しずつ距離を縮めると正面から体を押し付け、扉と体で将希を動けないように挟んだ。将希はエルドラムから視線を外さないまま後ろ手の左で、押し引き型のドアハンドルに手を掛けていた。しかし、ガチャッと音はするものの開く気配はない。


「ちなみに、この事はアシュレオも他の者も知らない。代々勇者の仲間として使命を受け継ぐ、我々の各一族のみが知ること」


「…我々って、他の奴らはどこにいんだよ」


「会ってみたい?ではそのうち、君に顔を見せるように伝えておくよ」


 アシュレオに付き纏う罪滅ぼしの闇に関しても、頭が痛くなるような内容だった。そして今回は、勇者の仲間である者から「アシュレオ暗殺計画」を持ちかけられている。エルドラムの言葉を聞きながら、将希の心臓は早鐘を打っていた。

 逃げ出したくなるような状況に、視線が泳いだ。しかし次第にそれは苛立ちに変化した。本人の意思関係なく、あまりにも理不尽なのだと思ったからだ。

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