〈29〉豊穣を授かる一族
中央が御馳走の大皿で埋め尽くされた円卓を囲み、話し合いは進行していく。
しかしハイネの耳が遠い分、受け答えが滞りがちになるのでほぼ一方的でもある。
全校集会で永遠と言葉を連ねる、校長講話感が否めない。
依頼以外にも、よくわからない昔話が混ざっていく。
孫娘であるカトレアは、家事に追われているようでその場には居なかった。
将希はアシュレオの隣で、木の椀に盛られたトロみのある中華風スープをレンゲで啜った。黄金色の出汁の中には、紅白ストライプの蟹の身とフワフワと身を崩した卵が泳いでいる。鮮やかなピンクの鯛に似た大きな魚が、中央の皿の中で一番目立っていた。暖色系のランプの明かりで、艶やかな照り焼きソースが脂っぽく反射する。
「というわけでして、ひとまず勇者様には…手紙に書いていた内容に力を貸して欲しいと思っておりまして――」
ハイネがひと段落話し終え、呼吸を整えた。
語られた内容を、要点だけまとめるとこうだ。
手紙に書いていなかった部分から説明すると、村に悪さをする野盗集団に住民が怯えている。さらに特殊な栽培方法でしか育たない〈
それは近場だからというだけではなく、どうやら育たなくて困ると言われているのは病を癒やす希少な薬草だという。それを必要とする人々にとっては、命に関わる案件なのだ。ハイネは息を吸い込む。それからまた、語りはじめた。
「邪を払い、病を癒やす透命草は、本来は人が踏み入る事の出来ない聖域でしか育たぬという事はご存じかと思われますじゃ。そしてこの村で暮らす我がケインシーの一族には、豊穣の力を授かる者が必ず一人現れます。そのほとんどが女で、豊穣の巫女と呼ばれている存在なのですが…まあつまり、その奇跡の力は種さえあればどんな作物でも育てることが可能なのだという――」
ハイネが深呼吸をするタイミングで、将希が強引に視線を絡めた。
やや大きな音量で尋ねる。
「――その巫女が、今いないってこと?」
ハイネは将希の声に辛うじて反応した。
それからもう一度、「いないの?」と将希の口が動く。
唇から言葉の内容を汲むと、首を横にゆっくり振って言葉を続けた。
「――いえ、おります。お恥ずかしながら、この老いぼれがいまだに豊穣の巫女なのです。随分と長く現役でやって参りましたが、天に召される日も近いのでしょう。最近、巫女として聞こえていたはずの芽吹きの声が一切聞こえなくなり…それと同時に透命草が育たなくなりました。困り果ててはおりますが、前向きに考えると世代交代の時がようやく訪れたのだと…感慨深くも思っているのです」
ハイネはアシュレオと将希を交互に見遣り、淡々と言い切る。
将希は気まずそうに黙った。
ちなみに聞いた話の中でハイネは、今年で103歳になる。
かなり高齢だ。しかし100超えにしては、まだまだ元気そうではあるが――それにしても豊穣の巫女、ケインシーって?
『アルスペシアルの特殊な存在、その壱!ケインシー…魔法とは異なる〈奇跡〉と呼ばれる豊穣の力を授かる一族だ。本来は警戒心の強い遊牧民のはずなんだが、時代の移変わりでその一部が一カ所に留まり、村を築いて暮らすようになったんだろう。この婆さんの事は知らねぇが、別のケインシーには大昔に一度だけ会ったことがある』
――なるほど。
疑問に思う部分を、ボブが脳内でこっそり教えてくれた。
そしてアシュレオはこの世界の住民だからか、なんの疑問も抱いていないようで頷いていた。それからまだ暫く、ハイネ村長のソロ気味のトークショーは続く。
「そして私の最期は、近々でございます――時が来れば目を覚ましはしませんが…恵まれた人生でした、無事に優しい朝を迎えられそうです。恐らく、1週間も経たずにそうなりますじゃ」
「――え?」
突然の重い告白に、将希から声が洩れる。
いくら長寿のご老体といえ、簡単に死というものは受け入れられるものなのだろうか。そしてどのようにして、人生の結末を知り得たのだろう。疑問だらけだ。
「ふう」と、ハイネから色っぽい溜息が漏れた。弛んだ瞼の隙間から見える瞳が、灯りの中で煌めく。それは優しいオリーブ色に澄んでいて、どこか遠くを見据えていた。
「ショウキ、零れる」
「あ」
唖然として固まっていた将希の手元で、持っていたレンゲが傾く。
ハタッ、と狭い面積で揺蕩っていたスープが一滴零れ落ちた。アシュレオに指摘された将希は、それを素早く水平にして口に運んだ。一瞬過ぎて、味がわからない。
とにかくハイネは悟りを開き、死を恐れていないという姿勢である。「メメントモリってやつだな」、ボブが控えめに呟いた。
「――では…何が必要で、何を守ればいい」
アシュレオが気まずい沈黙を破る。
青い瞳の水晶体は光を帯び、問いかける声は洞窟で反響するかのような独特な揺らぎを感じた。きっと魔法だ。神秘さを醸すアシュレオの発声は、耳の遠いハイネにすんなり届く。すると直ぐ、声が返ってきた。
「ここ最近姿を見せる賊の狙いですが…それは、次世代を担う豊穣の巫女かと思われます。それが私の孫娘のカトレアなのです。先日、継承を知らせる痣が見られました。守って欲しいのは、カトレア。そして必要な物は継承の儀で使う、芽吹の雫――」
理解を深めたアシュレオは、「なるほど」と声にする。
ハイネの耳朶にぶら下がる、涙型のイヤリングを静かに指差した。
――それが、芽吹の雫。
ハイネは深く頷いた後に、「さあさあ、お食べ下さい」とほっそりした手首から繋がる掌を上に向けて大皿を示し、二人に食事を勧めるのであった。
全体的に海鮮中華、と呼びたくなる料理が並ぶ大皿に盛られていた。
その中の一品である、丸ごと素揚げされた海老には赤い色彩の甘辛いソースと、刻まれた緑の香草がネギのように絡まっていた。20センチ近い、大ぶりの海老だった。ハイネがそれをダイレクトに手掴みをした後に口に含み、頭から吸引する。「チューチュー」、と気遣い無く音を立てた。海老味噌を味わっているのだろうか。
――ひとまずその光景から察するに、この村は
そして将希は元々、作法に頓着していないのでこれに戸惑うことはない。
それから各自、傍らには銀のボウルが置かれて湯が注がれている。白い布が「おしぼり」のように畳まれ、横に添えられていた。
ボールに顔を近付けて湯を嗅ぐ。
香ったのは仄かな檸檬――これは元の世界でも存在する、西洋文化でいうところのフィンガーボウル。ボブの脳内アシストでそれを知る。ニュオリンズには色んな食文化が混在しているようだ。
とりあえず、食べながらこれで手指を清めて下さいということらしい。空腹な将希はハイネに倣い、カトレアがさきほど「殻ごと食べれますよ」とも説明してくれた揚げ海老を摘むと頭から齧り付く。パキッ、香ばしい音と共に海老の風味とソースが口の中ではじけた。
「うわ、バリうめぇ」
心身から感嘆がもれる。
その声は、ハイネには届いていないだろう。
しかし将希の綻んだ表情を眺め、笑顔で数回頷いていた。
アシュレオはスープばかり口にして、世間話を交えたハイネの声に耳を傾ける。それは時折、隣で美味しそうに食べている将希を観察しながら――海老の次は、魚と根菜のミンチを小麦で包んで蒸したであろう、ふっくらした饅頭を食べていた。
それぞれマイペースに食を楽しむ中、ハイネが思い出したかのようにまた喋り始める。
「ああ、そうだ。とても頼もしいことに、現在この村にはリズアルジャーノから騎士様も来られていまして。賊に関しての書状を送っていたりはしていたのですが…ただ、まさか…騎士団の中で随一と称されるカーマイン所属の方が来るなんて。名前はたしか――ソル様」
――ソル。
その名を聞いた途端、アシュレオが眉を潜めた。
「すごく面倒臭い」と形容できる表情を浮かべ、溜息をつく。
将希はその話を聞きながら、陶器の湯吞みに入ったぬるい烏龍風味の茶を一気に飲み干す。それから唐突に席を立ち、ハイネに歩み寄ると体を屈ませる。よく聞こえるよう、耳に唇を寄せて話しかけた。
「なあ婆さん、トイレどこにある?」
ハイネは、ハッとした顔で将希を見た。
将希は阿呆であるが、顔面偏差値だけはやたら高い。
幾度か瞳をまばたきさせたハイネは、乙女心から頬を染めると咳払いをして――
「玄関通路の、左の扉から廊下を真っ直ぐ歩かれて下さい」
と、答えた。
「わかった、じゃあ――ちょっと行ってくる」
将希は笑みを浮かべ、頷く。
さきほどからあまり食べていない、食わず嫌いのアシュレオを残すとその場を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます