〈7〉勇者がやる気を出さない理由
カタカタッ…カタッ…。
あれはきっと、天井裏のネズミ。
将希は落ち着こうとして、自己暗示を試みる。
そんな将希の真下では、アシュレオはシャツの下から光の正体を引き上げた。
全体が硝子のように透け、鞘に納まった15㎝程の極小短剣が現れる。
首から提げた金糸の紐が、それに巻き付いている。神々しく溢れた光は、二人の表情を目映く照らした。
「そ…――」
「カシュカシュの
将希が質問する前に、察したかのようにアシュレオは語る。
「これをいつも、肌身離さず持っている。そうすれば…あの〈罪滅ぼしの闇〉から俺は見付からない」
「――だから、闇とか剣とか意味わかんねッ…ぶ」
思わず大きな声を出しそうになった将希の口が掌で塞がれた。
カシュカシュの剣は手放されると傾きながらアシュレオの胸の辺りに滑り落ちた。「しぃー」と、静寂を促すアシュレオは薄く開けた唇から息をはいて目を細める。将希は身を離そうと藻搔く。しかしそれは叶わずに、背に回された腕一本で逞しい抱擁が発揮されていた。
え、これ全然嬉しくな――
「あれは、俺を罰するための呪い」
囁かれた声に、将希はアシュレオへと視線を寄越す。
この流れから顔の造形を、改めて眺め見る事となるわけだ。
アシュレオは西洋と東洋が混在した、所謂ハーフ顔である。睫が長い、そして顔が近い。これまで将希が男の上に乗っかってやる事と言えば、拳の雨を降らせてやるという暴力。しかし自身よりも遥かに強い相手に、それはできない。
額に薄ら汗を滲ませて、「なんで?」という思いを目配せに込めた。
「勇者には、決してやってはならないことがある」
アシュレオは言いながら将希の口から手を退ける。
鼻呼吸縛りから解放された将希は、思いっきり深呼吸をした。そして声を潜めて問い掛ける。
「何をやらかした」
沈黙が流れた、上では闇が蠢いている。
アシュレオは、答えた。
「殺人」
将希は黙り込むと固唾を呑んだ、語る声に耳を澄ませる。
「それは本来、どんな奴にも言える不道徳な行為だ」
カタカタカッ…シャッ…シャッ…
…ドッ…ドドッ…ドンッ…シャッシャッ…
闇の奏でる騒音が、不穏さを掻き立てていた。
「勇者は女神に選ばれた特別な存在。求められているものは…苦しむ民を救いたいという慈愛と、自身が破滅したとしても世界を安寧に導くために突き進む鋼の精神」
それは過激な自己犠牲心、所謂ドMなのでは。
と、将希は喉から出掛かけるも押し留めた。
「だからこんな風に、禁忌を犯した勇者へは呪いが手向けられ…もしそれで死んだ場合は――」
言葉が綴られていく。
「また新たな勇者が、女神に導かれるらしい」
アシュレオは言い切ると冷淡な笑みを浮かべ、ふと尋ねる。
「どうしたの、怖い?」
バタンッ!!ガシャッ!バキッ…バタバタバタ…ッ
響き渡る振動で屋内は揺れていた。
食器棚が倒れ、陶器が床へ吐き出された。
将希はいつの間にか、浅い呼吸を繰り返している。
頭上で激しく暴れ回る存在と、異様さを放つアシュレオに恐怖を感じていた。
「俺は、この世界が怖い」
一瞬、儚げに青い瞳が揺れた。
将希はようやく、質問をする為に声を振り絞る。
「…なんで殺した?」
抱き合う形のまま、呼吸が重なった。
アシュレオは即答をした。
「それが、本来の俺だから」
「どういうこと」
「知りたい?」
「もったいぶんじゃねぇ」
聞き返され、将希は眉を顰めて怪訝な反応をみせる。
アシュレオはそれに控えめに吹き出した。
「…じゃあ、どうして魔王を倒しにいかないのか。その理由だけ教える」
「え?」
「で、諦めて欲しい」
「はあ?面倒臭い以外に、なんかあるのかよ」
「女神が倒せと言っている魔王、それは――元人間だ」
仄暗い地下の空気が張り詰めた。
「え」
「最悪な事に、それが魔王だとしても…どうやら禁忌に触れるらしい」
―――いや、おいティファヌン…こいつなんか言ってんぞ。
どうなってんだよ、お前の創った世界はよ。
将希は呆然とそれを聞きながら、さすがに気の毒に思った。
アシュレオは淡々と言葉を続ける。
「勇者が手に掛けた人間は死後、その姿を異形の闇へと変える。深い宵闇に紛れて命を奪うまで執着するんだ。そして罪滅ぼしの闇は、切り裂けもしなければ魔法も効かない」
だからこの、かくれんぼを?
「そして魔王にトドメを刺せるのは勇者だけ…世界は平和になるだろう。だが俺はその後、今よりもさらに強大なアレを抱える事になるわけだ」
言い切ったかのようなアシュレオは、埃臭い地下の酸素を深く吸った。
この非現実的なワードの羅列を将希はただぼんやりと頭に入れ込んでいて、背から伝わる微かな震えに感情の一部を読み解いた。幾度かまばたきをし、そして思いつきを述べていく。
「もう全部、ティファヌンにどうにかしてもらお――」
声が遮られる。
「すでに話した」
「じゃあ」
「それで渡されたのがこの短剣」
「ま、まじか」
「均衡を保つために、過剰な干渉はできないと言われた。この世界の形が、崩れてしまわないように。だから、闇を受け入れる覚悟を持って勇者を全うするしかないんだ」
「あ、じゃあ先に不老不死の最強の肉体もらえば?」
「そんな提案されたけど、いらない。永遠を生きるというのも苦痛だ。俺は今のままがいいんだ」
均衡、なんかよくわからない話に織り交ぜられて言われたような。
将希はやり取りをしながら記憶を手繰る、そしてアシュレオに異論を唱えた。
「とりあえずこの体勢は、どうにかしたい」
「いいけど…今離れたら、見付かって切り刻まれる。あれは俺の周囲をも巻き込む…そもそもこの短剣は一人用だ。効果範囲も狭い」
将希は言葉を失った。
なんだかオッパイだけじゃ割に合わなかったなぁ――
そう、今更ながらに後悔をし始める。
「痛いのが好きなら、どうぞご自由に」
「そんな変態趣味ねぇよ」
しかし、あの女神は俺に安全性を約束してくれたはず。
『君はゲストだ』からの、見守っている宣言。
だがそれすらも怪しい。疑心が募った。
「じゃあ――」
溜息と同時に将希の視界が左にブレた。
体温よりも低いベッドシーツに側面が押し付けられる。
体はまだくっついたまま、視線は絡んでいた。
左右に並べて完成する、レリーフのように二人は向き合う形で寝転んでいる。驚いた拍子に、あどけなさ滲ます将希の表情をアシュレオは静かに眺め見る。宥めるかのように微笑した。
「これでいい?」
「――いや、状況変わってねぇじゃん。まさか、朝までこれとか言わないよな」
将希は震えながら尋ねる。
カシュカシュの剣は、相変わらずアシュレオの胸元で煌々と光を灯していた。
「まあ、とにかくそういうわけだから…諦めて」
言い放たれた言葉の意味はおそらく二つ。
朝までこのままコース。
元の世界への帰還は諦めてください。
絶句。
「勇者をもしやめれるなら…いつでも、やめてやる」
まるで
「んな、やる気だしようのねぇ事実を教えられた俺は…一体どうしたらいいんだよ」
この返しに、アシュレオは小さく笑った。
突然告げられたヘビー過ぎる内容に将希は狼狽え、軽めの舌打ちをする。
「…なんだろう、今日はよく眠れそう」
言いながらアシュレオは、将希の心音に耳を澄ませていた。
ドクンドクン、動揺した事により早鐘を打っている。
訪れた眠気により聴覚がゆっくりと痺れ、誰かが傍にいるのだという安堵に身を委ねていく。
深夜になると必ず頭上では闇が暴れ、それから見つからない様に身を隠す。
まるで冷たい土の中に、埋葬されているかのような。
そんな憂鬱な気分にも苛まれていた。
だけど今夜は不思議と、そうではない。
「…クロエ、どこ」
ぼやけていく思考の末に囁き、将希を腕でさらに抱き寄せた。
もう距離がほとんど無く、額同士が擦れ合う。
金と銀の髪が、短剣からこぼれる光を帯びながらじゃれついた。
将希は絶句したまま俯く、唇の接触を避けた。
「――なにこれ」
青褪める
ガチで寝やがった。
ていうか、クロエって誰だよ。
それはもう、寝てしまったアシュレオにしかわからない。
「「……アシュレオォ…」」
闇は直ぐ真上の昇降口に佇んでいた、複数体いるようだ。
将希は息を殺し、咄嗟にアシュレオの鎖骨へ顔を埋める。
そして――
これは違う!不可抗力!!
等と言い聞かせるよう思考を荒らすが、鼻腔を擽る心地良い香りに意識を奪われた。澄んだ朝の森を丸々瓶に詰め込んだかのような、爽やかなグリーン系。もしやこれは浄化の泉の…――。
そう思いながら、カシュカシュの剣の目映さにゆっくりと瞼を閉ざす。
真夜中に、禁忌を犯した勇者を喰らう為に罪滅ぼしの闇は嗅ぎ回る。
ボブは言葉を濁すばかりでなんだか使えないし、ちょっとおかしい。いや、かなりおかしい。
だから、今度はふざけないで…あの女神と真面目に話を――
――そもそも、最初に聞いた「危険性」の部分がだいぶ変わってくる。
はあ~、なんかもうウザってぇ。
じゃあさ…魔王を殺さずにヤキ入れるだけにしたらよくね?
魔王を殺さずに済む方法――
『誰も傷つけずに、勝つ!』
意味わかんねぇよ。
ゴブリンの沼地で、ボブが言っていた言葉の断片を将希は拾い上げた。
あー…ボブ…スキル…ボーイズラブ…
右手で頑なに沈黙するデリンジャーについては、色々思うところがある。
そして、手汗をかいている事でさらに得る不快感。イラついた。手放すとベッドの端へどうにか追いやる。一定の距離であるなら手放せるようだった。
ボブのくせにすかしやがって…そうだ…寝る前に話を――
しかし、将希はここで完全にオーバーヒートした。
眠気がピークを迎えたのだ。
元の世界からこちらに来て、もはや何時間起きているのかがわからない。
変な女神に、変なスキル。
そしてアシュレオ、殺人ってお前。
他にもいるらしい仲間、そいつらもそんな感じだったらどうしよう――
気怠い微睡みの中で、男と抱き合っているというこの奇妙な感覚もあまり気にならなくなっていた。
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