〈6〉「強制添い寝イベント発生」
夕食時のことだ。
アシュレオがゴリラのような凄まじい怪力を発揮したことにより、将希はその力に屈して懲らしめられた後、炸裂したキャロロの残骸を掃除させられていた。
バケツに泉の水を汲まされ、壁や床を丁寧に拭くように指示されようやくオレンジの暴動が片付いた。浄化の泉から汲んだ〈浄化水〉の効果なのか、拭き取った箇所からは光のエフェクトが発生していて元よりも綺麗になったかのように見える。
そしてボブは完全いじけてしまい、沈黙していた。
なので現在、肌寒く感じて羽織った学ランの右ポケットに再び収納されている。
将希は柄の長い箒と、ブリキのバケツを左右それぞれに持ちながら深い溜息を吐いた。
「あのー」
キッチンで佇んで、背を向けて洗い物をするアシュレオに声をかける。
汚れた白いシャツは新品のものに着替えられ、空の寸胴鍋を緑色のタワシで泡立てて洗っていた。ちなみに将希は、キャロロを3本も強要されてしまった。もう一生分の野菜を食べた気になっている。
「これくらいで、勘弁していただけないでしょうか」
表情を引き締めてかしこまる。
しかしアシュレオは何も言葉を返さなかった。
―――…ジャーッ。
蛇口から吐き出される水流音のみが、二人の沈黙に寄り添う。
蓄音機の外装は完全に壊れ、ラッパは歪んで、ゼンマイ式のハンドルは折れていた。
そんなこんなで、くすんだ木箱に押し込まれると玄関の真横に遺棄されている。
これは意図せぬ器物破損、そして謝罪。
「ごめん」
ゴシゴシゴシッ…
と、タワシがアシュレオを代弁した。
「―――っ美千代!」
将希はこの沈黙に堪え兼ねて、うっかり母の名を口走る。
怒り出したらしばらく口を聞いてくれないこの様子に、シンパシーを感じてしまったのだ。
「誰だよ」
母――
アシュレオが怪訝に声にし、蛇口からはようやく水が止まった。
「ごめんなさい」
二度目の謝罪、喧嘩では負け知らずであったヤンキーはプライドをへし折られ萎縮してしまっている。アシュレオは面倒臭そうに振り向き、シンクに腰を預けると寸胴鍋についた雫を白いタオルで拭きとっていく。深く息を吐いて、肩をすくめた。
「――もういいよ。あとそれ、適当な場所に置いてていいから」
青い瞳が、疲弊した将希の姿を捉えてまばたきをした。
天井に這わされたワイヤーからぶら下がるランタン達、そこに混ざるように六芒星の形をしたガラス枠に嵌め込まれた時計が中央で吊られている。アシュレオは白い文字盤に視線を走らせ、時刻を確認すると呟いた。
「もうそろそろ、寝る準備をしないと」
現在の時刻は、22:37分。
将希は玄関の扉を開けると、バケツの汚水を芝に捨てた。そして開け放したままキッチンのアシュレオに目配せする、日中は春めいた気候であったが夜は寒い。
「このコテージで寝るってことだよね」
アシュレオが尋ねた。
「外では寝たくない」
その問いに将希は頷く。
それから壁に掛けた箒と並べるようにしてバケツをその隣に放置した。
室内の家財ひとつひとつを眺めながら浮上した疑問。
「え、もしかしてソファで寝てる?」
コテージ内にあるのは――
テーブルと椅子、食器棚、ぎっしり書物の詰め込まれたダークブラウンの背の高い本棚、繊維が毛羽立った四人がけの長いソファ、暖炉、バスルーム、個室トイレ。
寝具がない。
「寝る場所はちゃんとある」
答えながら、アシュレオは将希の真横を通り過ぎると扉から外の様子を眺める。夜光虫のような光が、泉の水面をチラつくばかりで真っ暗だった。
「とりあえず歯磨きと、トイレ済ませて」
母親のような物言いだ。
そう、思いながらも将希は牽制をする。
「歯ブラシの使いまわしは絶対無理だからな」
アシュレオは首を横に振り、そして浄化の泉の方を指差した。
将希は肩を落とす、予想はしていた。げんなりした。
「どんだけだよ、それと今はトイレに用はねぇよ」
ゲロは吐きそうだった、灰汁キャロロのせいだ。
「そう」
アシュレオは素っ気ない発声をし、「フッ」と笑みをこぼすと屋内中央へ歩き出す。
将希はその背に向けて静かに中指を立てた、それからコップに泉の水を汲んでくると促される通り口を濯いだのであった。
――え、磨くよりも綺麗になった。
万能過ぎる浄化の泉に乾杯。
もちろん、飲んではいない。
「なにこれ」
将希は唖然として立ち尽くす。
室内の真ん中でアシュレオがしゃがみこんだかと思えば、円形にカットされた絨毯が床ごと
「ここが寝場所」
「―――どういうこと?」
あっけらかんと勇者は答え、ヤンキーは狼狽えた。
木製の梯子が掛けられている。
高さは四メートルぐらいだ。
薄暗い空間が広がっていて、質問を口にしながら目を凝らしていく。
そんな将希を余所に、アシュレオは持ち手が黒い鉛の輪になっているランタンを灯すとそれと共に下っていく。そして、淡い炎に照らされ露になったもの――
掘り込まれた先にあったのは石造りの壁と床、拓けた三畳スペース。
その真ん中には、ホワイトウッドで組まれたシングルサイズのベッドがあった。
「なぜそこにある」
真上から覗き込んで疑問をぶつけていく、そしてアシュレオからの返答。
「言ってもわからない」
「は?」
「早く、降りてきた方がいい」
「なんで?」
「いいから、来て」
アシュレオは下の方から視線を寄越すとランタンを持ち上げた。
明かりで頬を照らしながら、美しく微笑しているのだった。将希は顔を引き攣らせ、背筋を寒くした。徐に上着のポケットに手を突き入れ、デリンジャーのボブを指先で探った。この不穏な空気を、あのおかしなテンションで茶化して欲しいと願っていた。
「いや…そこ狭いし、俺はソファで――」
―――ビシッ…ガタッ…ガタガタッ!
お断りしようとしたその刹那、コテージ全体が何者かに揺さぶられて震え出す。
窓ガラスや壁が軋んで、棚から本が何冊か床へこぼれ落ちた。
地震!?ここが通常の世界であるならば、誰もがきっとそう思う。
「…これはやべぇぜショウキ、アシュレオの言う通りにしろ!」
ポケットの中からボブが叫び声をあげた。
将希は素早く顔の高さまで引っ張り出す。
「どうなってんだよ!!」
激しい家鳴りの
ボブは二連バレルから一呼吸置くと言葉を返した。
「…折角だからアシュレオ本人から聞け、これに関してはオレから説明する事では無い」
―――?
ボブは出会い頭の情緒のおかしいテンションを忘れ去ったかのような、落ち着き払った様子で促した。唐突な温度差に「誰だよお前」という遣る瀬なさが将希を蝕んだ。
「「アシュレオォ…どこにいるぅ…アシュレオォ!!」」
「「己ぇ…口惜し…許さん…許さんぞォ」」
しかし、ツッコミを入れる間も無く鼓膜に纏わり付いたのは、身の毛のよだつような二重音。低く唸りながらも、地獄の底から這いずり出してきたかのような禍々しさを含んだ声だった。
「早く」
これはアシュレオの声だ。
――ピシッ…パァン!
窓ガラスが割れ、破片が飛び散り床に散乱した。
生暖かい風がコテージ内へ侵入すると、ランタンの灯りが全て消えた。
暗闇が全てを支配した。
ただ足元で、青い仄かな光源が二つ。
それが将希を静かに見据えていた。
「…っえ」
将希は声にして、それから片脚を掴まれるとそのまま下へと落下した。
エレベーター下降時に訪れる、あの特有の浮遊感を得た直後に体が弾んだ。
着地点は、見下ろしていたであろうベッドの上。しかし感触がおかしい。そして、自身の背中に回されているのは、腕だ――
正面から、抱き締められている。
視界が明るんでいく。
ランタンが床に置かれ、暖色系の明かりが周囲に広がっていた。
至近距離にある青い瞳、そして炎以外の光源にも気付く。アシュレオのはだけたシャツの胸元からこぼれる白い光。首沿いを視線でなぞっていく。
よく見るとそれは、金糸を束ねて編んだ紐に結われて下へと続いていた。
首からアクセサリーのように提げられているようだ。
「説明しろ」
平然を装いながら問い掛ける。
将希はアシュレオに片腕で背を抱き込まれ、上から体を重ねているという状態になっていた。そしてボブはまた喋らない。右手にはただ、無機質な鋼の感触だけが主張していた。
「罪滅ぼしの闇」
アシュレオはそう答えた。
片手には、真上から垂れ下がる縄が握られていた。
この窮屈な寝室を塞ぐための昇降口に結ばれて繋がっている。それが引っ張られ、真上が物音一つで閉ざされた。閉所により酸素が薄まったかのような気分を味わう将希は、身を強張らせると息を潜める。
カタカタカタッ…ミシッ…ミシッ…バタバタッ…
「「喰う…血すら残さず…貪ってやる…」」
明かされた侵入者の名前は、罪滅ぼしの闇――
得体の知れないそれらが、殺意を滲ませ囁いた。
まるでムカデが這っているかのようにも聞こえる、小刻みに打ち鳴らされる無数の足音。飛んだ、跳ねた、転がった。そんな騒音を掻き立てながらアシュレオの姿を執拗に探している。
――おっ…おいティファヌン、マジでふざけんなよ。
突然の急展開に、どうにか落ち着こうとしている将希は柔らかなゴッドボインの感触を必死に思い出そうとしていた。
とにかく上にいるあれは、アシュレオの事を食べたいらしい。
それがどうしてなのかは、まだわからない――
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