〈8〉腐女神サマの事情
ティファヌンは肩を落として、正座をしていた。
現在、世界中から集めたBL漫画と小説が収納された自身の秘蔵書庫にいる。
ここは、彼女のプライベートな隔離空間だ。
大量の本棚に囲まれて中央にあるのは、赤いリクライニングチェア。
そこに足を組んで鎮座しているのは珊瑚色の艶やかなツインテールに、パステルカラーを取り入れた夢かわいいミニフリルワンピースを着用した筋骨隆々な逆三角形ボディの男。凜々しい太眉に角張った強面、くっきりとしたマリーゴールドの愛らしい瞳がティファヌンの姿を映しながら何度もまばたきを繰り返す。
「月一で報告するようにと、私は言っていたはずだが」
地鳴りのように低く、厚みのある声が発せられたこの瞬間――
ティファヌンの背中に重力の圧が舞い降りた。前屈みに両手を絨毯について土下座が強要される、ミシッ。後頭部で結われた藤紫色の長い三つ編み、それが露出度の高いドレスから見える素肌へ手痛くめりこんだ。
「もっ…申し訳ございませんプリムルール様」
―――創造神・プリムルール。
多種多様、増え続けていく異世界。それを生み出し続ける全女神達の頂点に君臨する存在、そして父なる存在である。
ティファヌンは顔をあげられぬまま苦しげに声をあげた。
プリムルールはアームレストに頬杖をついて表情を飾らず、
ツインテールが揺れ、足を組み直す。短いワンピースの裾から見え隠れしている雄々しく発達した大腿四頭筋、それが白いニーハイソックスにムッチリと包まれていた。
「話はこれだけではない、貴様…また過干渉をしているな?我々神が創造した世界は人の子とは違い誕生した瞬間すでに「自立」しているのだ。過剰な世話焼きなど…言語道断であるぞぉ!!」
ゴォ!!
怒号と共に、プリムルールの大きな口から凄まじい衝撃波が放たれる。それは伏せたままのティファヌン真上を豪速で掠めて奥の方で爆ぜた、とばっちりを
「…ヒッ…まさか…っそんなぁ!…あああッ!」
ティファヌンの絶叫。
しかし間髪入れずに、マリーゴールドの瞳から容赦なく閃光が瞬いた。
ピッ―――双眼から極太レーザービームを放出し、首をゆっくり360度回転させていく。これは神だからこそ、為せる
「うそっ…いやっ…龍花崎くん!真白くん!!やめっもう…やめてよぉ!!お願いしますぅ!ごめんなさいっごめんなさいぃぃ!!」
重力の捕縛により身動きは許されない、それを目にせずとも煙たさに悲痛な声をあげるティファヌン。まるで大切な家族を人質に取られた挙げ句、一人ずつ丹念に焼き殺されていくかのような喪失感に陥っていく。創造神プリムルールは心を鬼にしていた。この堕落しきった女神に、愛情深いお仕置きをしているのだ。
パチンッ。
プリムルールは深い溜息を吐いた、涙ながらの懇願に親指と中指を打ち鳴らす。すると炎が鎮火し、ティファヌンを支配していた重力が解かれる。しかし書庫内はほとんどが焼け焦げていて、尊い男達のラブロマンスは夢の跡。黒々と炭化した、残骸のみが凄惨さを物語っていた。
「――良いかティファヌン、今後についてだ…他の女神らと同じように自身の創り出した世界についての現状を細かくレポートにまとめる事。そして、月一で提出する事。最後に、許可するまでのしばらくは…人間達への接触を一切禁止とする」
ティファヌンは虚脱した様子でへたり込んだまま、プリムルールの声を聞いていた。話半分で、ただ遠くを見つめて小さく頷いている。
「全部燃えた…ワールドワイドにかき集めたボーイズラブ…ましろ君、りゅう…がさき君も…っわらしの…ありったけの、夢…」
プリムルールに聞こえないほどの音量で唇がわなないた。
「うむ、事の重大さは理解できているようだな――…では来月はこのような事がないように。女神として、人間達の良い手本となるよう努めていくのだ…良いな」
バリトンボイスで釘を刺すと、プリムルールは柔らかに微笑した。そしてパッ、とリクライニングチェアから光と共にその姿を消し去る。ティファヌンはそれを見送り、鼻を啜りながら空いた座席に座り込んだ。
ゆったり背を預け、天井を見上げ――そこには〈鬼畜優等生くんはヤンキーくんを泣かせたい〉の最新刊購入時に100名様限定でついてきた、A5サイズのレアポスターが貼られていた。
真白くんは相変わらず龍花崎くんに辱められていて、文化祭でメイド服を着せられてしまいそのまま体育館倉庫で―――ティファヌンはその光景に目頭を熱くした。愛おしさが込み上げ「おうっ」と嗚咽が漏れる。
ああ、良かった。
これは無事だったんだ。
「...いかんっ!将希達は今どうなっている!」
ハッとして、とても重要な事を思い出す。
額に人差し指を押しあて瞼を閉ざした、先程プリムルールが言っていた事を全無視すると神通力を発動する。テレパシーの通信先は―――
――ボブ。
『…ボブ、ボブ!応答するのだ』
少し遅れて、ボブがテレパシーに応えた。
『―――なんだよ』
愛想の無い声が跳ね返ってきた。
『なんだよ、ではない。将希の事を報告してもらおうか』
ボブは「くあ」と、欠伸混じりの腑抜けた声でゆっくり喋り始める。
『あの…アシュレオにこびりついてる〈罪滅ぼしの闇〉がやってきた、だがこれは予想していたはず。ショウキがあいつと一緒に居るのは危険なんだって』
『…もちろん、しかし大丈夫であると判断したのだ。以前、プリム様を欺いて渡しておいた守護の力を込めた〈カシュカシュの剣〉が大活躍したはず』
『ああ、なんかよくわかんねぇけど…二人とも抱き合って災厄の夜は乗り越えたぜ。もう朝だ』
―――ガタッ!
ティファヌンは目を閉じたまま、リクライニングチェアから起立した。
『おい』
ボブから怪訝な声があがる。
『すまん、さきほど不幸ごとがあって…しかし報われたよ。今は、心がとても晴れやかだ』
アシュレオと将希が身を寄せ合う映像、それを脳内再生余裕で補完する。ティファヌンは爽快な笑みを浮かべた――が…しかし、ナマモノとして観れなかったという事に落胆した。感情のジェットコースターである。
『なあ…おい、最初にあんたがオレに言った事…あれは信じていいんだよな』
ボブの神妙な問い掛けにティファヌンは表情を引き締め、そして座り直すと生真面目な様子で答えた。
『嘘などつかぬ、私は女神ティファヌンだぞ?今はとにかく将希と共に善行を積むのだ、そして守ってやって欲しい。そうすればきっと、お前の未来も明るくなるさ―――』
ボブはその言葉を黙って聞き終え一呼吸置いた、そして「ああ」と声にして頷いた。
◆
闇の脅威は去り、森は神々しい朝日に包まれていた。
将希はアシュレオよりも真っ先に目を覚ますと、緩んでいた腕のホールドを鬱陶しそうに掻い潜る。ベッドの端に転がっていたボブを拾い上げ、上着のポケットに収納した。サイドに腰掛けてアシュレオへと振り向く。
こいつと、抱き合う形で寝てしまったわけだが―――。
しかしそれにより互いの下半身が化学反応を起こす、等というそのような怪奇は起きなかった。これは、つまり。
―――連れションのようなもの。
将希はそう思う事にした。
「なんもねぇしノーカンだろ」
居直ると前を向いた。
あの短剣はもう光っておらず、今はただの硝子細工のようにアシュレオの胸元からシーツへこぼれている。梯子から昇降口を目指し、丸く刳り抜かれている床板を押し上げた。柔らかな陽光が瞳に飛び込んできた、上に這い出して待ち受けていたのは「驚愕」の一言。
「なんで」
罪滅ぼしの闇が、どんな姿なのかはわからない。
ただ昨晩の騒音からして、屋内はかなり荒れているだろうと予想していた。
なのにこれは一体―――まるで何事もなかったかのように片付いていたのだ。割れたはずの窓ガラスも、破壊されたであろう家具も、どこにも異常は見当たらなかった。
「キキーモラ」
真後ろから声がした。
さっきまで寝ていたはずのアシュレオが、涼しい顔をして佇んでいる。
頭頂部に寝癖が跳ねていた。
こいつ、気配を…
――思考しながらも将希は怪訝に尋ねた。
「いきなり背後に立つんじゃねぇよ、なんだよそれ」
「ここに棲み着いてる妖精…家全体を一番綺麗な状態で形状記憶する。だから荒らされても、朝になれば元通りになる」
「まじで」
え、便利。
将希は素直に感嘆した。
そして疑問も浮かんだ。
「え?じゃあ俺、昨日あそこまで念入りに掃除する必要なかったんじゃ――」
アシュレオは将希を無視すると真横を通り過ぎる。
「シカトすんな」
完全にスルー。
そして玄関から表へと出て行った。
―――ドポンッ
何かが浄化の泉でスプラッシュした、まあなんでもない。
アシュレオに決まっているのだ。将希は窓から外を覗いた、水面で光の粒子を発生させながら揺蕩っている姿を確認する。
「ぐっもーにんショウキ!今日も良い天気だなぁ!」
「―――…っあ、ボブてめぇ!!
学ランのポケットから快活な声があがった、即反応を示すと気分屋のデリンジャーを引き摺り出す。
「ショウキ、昨日のことはちゃんと謝って欲しい」
スン、とした声音でキャロロ事変を咎められる。
将希はバツの悪そうな顔をするが、改めて謝罪を口にした。
「…悪かった、ごめん」
「50点ぐらいの謝罪だが、まあ許してやるよ」
――は?
「おい、今なんて」
「さーて!今日も元気いっぱい頑張ろうぜっ!目指せ魔王討伐!」
将希はボブの事を訝しげに思うも、今はとにかく、魔王やアシュレオの事をティファヌンとゆっくり話したい。柄にもなく真面目な顔をしてそう考えるのであった。
そして、素早くトイレへ駆け込むと見慣れた白い洋式便所とご対面を果たす――
ふう、危なかった。
この異世界は、何が起きるかわからねぇ。
トイレは行ける時に素直に行こう。
小窓から注ぐ穏やかな陽光を浴びながら、そう肝に銘じるのであった。
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