〈22-2〉


 たしかに、女神ティファヌンと結んだ契約的にはそうかもしれない。


 そして観測者の間で聞いた情報を思いかえす。


 まず使者である将希は、「勇者のスペア」であるということ。

 そして現勇者に問題が生じている場合、その勇者をなんらかの方法で殺した後に力を「勇者の剣」により使者に引き継がせるというのが女神代理審議会の方針。


だがそれは、勇者のつるぎがないと成し得ない。

そして現在は、アシュレオの手元にないということで実行が不可能となる。


「――ッ」


 相変わらず、伝えたい部分は話せない。

勇者の剣についてではない。

 将希から勇者の剣について口にするのは悪手。

アシュレオがもし、何の気なしに答えたらおしまいなのだ。


 言えなかったのは、ティファヌンが意図していなかったこの世界での使者の本当の意味。警戒を深めさせるのは大切であり、聞けば剣からもさらに遠ざかるだろう。

しかし、エルドラムが仕込んだ魔法印がそれを許さない。

でも逆に捉えると、何食わぬ顔で余計なことをせずに過ごせば手を出せないままになるのではとも思う。


もう帰れるまで、どんな風にこの世界で過ごすかは決めたんだ。


せっかくなら、楽しいことがしたい。


気も紛れる。


ティファヌンとした契約なんて、勉強と同じくらいどうでも良かった。


それにもう、オッパイだけではまったく釣り合わない。

現在の状況はプラスライナスゼロを超越したマイナス。

それにここは学校でもないし、叱りつけてくる美千代だっていない。


だから俺は――


 半ば強引にそう言い聞かせる。

ずっと悩むよりは前向きだ。

そして将希は、投げ遣りな笑みを口元に浮かべた。

 胸糞悪いラストは避ける。

それは今後も、気持ち良く生きていきたい自分のため。


――エルドラムは、アシュレオとの記憶を消せるとは言ったが。

あんなムカつく野郎に、頭をいじくられるのは断固拒否だ。

 もちろん帰れるなら、早々に帰りたいと願っている。


「うるせぇぞ。心配されなくても俺は、そのうち無理矢理でも帰る。テメェは自分の心配だけして隠居ヤクザしてやがれ」


 なんだか格好の付かない返事となった。


 言われたアシュレオは呆然としたままで、将希は眼を細めて溜息を吐いた。


あと考えることは、この世界のお金についてだろう。

肉屋ベコーで支払いはしたが、あの時はエルドラムとの遭遇が重なりよくわらかなかった。なにやら細かい銀貨と銅貨が混ざったという感じだ。

さらに放浪する前に、ボブをもう少し使い熟す必要がある。


 ――剣と魔法の世界、アルスペシアル。

 ならば銃であるボブは、異端な存在なのだろうか。


 不意に、ふざけたスキル「ボーイズラブ」について整理する――

 雄(男)特攻であり、さらに現在の仕様では複数いなければその効果が十分に発揮できないとされている。


て、おい!

使用できる場面が限定されすぎだろ!


 将希の胸のうちで不満が爆ぜた。

しかし気を取り直し、隣に転がるアシュレオに改めて小声で語りかける。


「ヤクザ」


「その呼ばれ方は、なんか嫌だ」


「アシュレオってなげぇし」


 別にそこまで長くはない。


 アシュレオはそう思いながら目を細めた。

 それから思考すべく眉根を寄せた将希の言葉を待つ。


「じゃあ、アシュ」


 将希は考えた末、かなり普通のネーミングを得意げに提案した。

 そう呼ばれたアシュレオは一瞬、複雑な表情をした後に了承して頷く。


「あと4日は一緒に居るわけだ、だからそれまでに色々教えろ。強い必殺技とか、魔法でもいい」


 とにかく、ボブ以外の攻撃手段も得るべきだ。


しかしアシュレオはそれに、難しいという面持ちで答えた。


「必殺技って、剣術?それは短期間では無理だ。魔法はショウキに魔力が備わっているなら、基本的な事なら教えられる」


「まじか、どうすっかなぁ」


 やっぱそうだよな、とアッサリ食い下がる。

 魔法については、考えているとあの変態(不変)の魔法使いの顔がチラつく。


 そしてボブは、囁き合う二人の遣り取りに耳を傾けながらこう思っていた――


 ――ショウキ、アシュレオ…

 お前らって、なんかもう…


 二人の間にあったギスギスした殺伐感が消えてからというもの、実はずっと口を挟みたくてしょうがなかった。


 喧嘩したり。

 不意打ちでキスしたり。

 寝転がって、愛称を考えたり。


 それってさ…

――付き合ってるんじゃないか?


 しかし決して、それを口にしてはならない。

 将希をまた怒らせてしまうからだ。


 おいティファヌン、見てるか?

こいつらもう、二回もキスしたんだぜ!


 さり気なく女神に語りかけてみるが、やはり応答がない。

 

なのでデリンジャーは沈黙を選んだ。


 わざわざ波風を立てるべきではない。

 それに女神と交信ができない以上、アシュレオはこのアルスペシアルでは頼れる存在――


「片付けてくる」


 それからしばらくしてアシュレオは徐に立ち上がった。

一言告げ、シュークレの密生を抜け出していく。

将希もつられて上体を起こすが、振り返ったアシュレオから大人しくしているように指示される。


「そのままでいい、すぐに終わる」


 感情の乏しい、冷ややかな声だ。

爪先から頭まで、発生した宵闇を思わせるオーラが絡み付いていた。


 ――さっきもそれ、なんなんだよ。

 将希は異様さを凝視するが、ゾクリ、突如背筋に悪寒が走る。

なにも返せないまま素肌が粟立つと、その場で固まってしまった。


 直後に周囲から聞こえたのは、サイクロプスの断末魔と骨を叩き斬る鈍い音。


 シュークルの密生の中でボブを手にしたまま、将希は無意識に耳を塞いだ。


数分後、全身にまだらに返り血を浴びたアシュレオが戻ってきた。

気付けば辺りは雑音のない静寂に満ちていた。川のせせらぎが鮮明に聞こえ、水面が暴れる音がする。レリボーンフィッシュだ。


「魚ほしい?」


 鮮血で銀髪を朱に染めたアシュレオは、表情を変えぬまま聞いた。


この世界では強い部類であるらしいサイクロプスたちは、どうやらこの勇者に瞬殺された模様。


 その強さは一体。

これが通常のファンタジー展開であれば、世界はとっくに平和なのだろう。

 やはり、疑問はつきない。

 そんなことを考えながら将希は座り込んだままだった。

 苦笑いで言葉を返す。


「欲しいけど、全然釣れなかったぞ」


 どこぞに転がっているであろう、延べ竿への愚痴をこぼした。


 アシュレオは頷くとローブの肩口で顔の紅い湿りを拭う。

 ゴブリンの死体を踏み付けながら川岸に立つ、転がっていた砂利と血に塗れた延べ竿を拾い上げた。今から釣りを楽しむ、というわけではない。


 延べ竿を腹に添えるようにして持ち、真横に振り抜く。

 ――ビュ!!

しなり、神速な風切り音が鳴った。

居合い斬りのような太刀筋を受けた水面が数秒だけ、一時停止したかのように裂けて透けた断面図を見せつけた。

それが元通り収まる頃、将希をおちょくっていたレリボーンフィッシュが4匹ほど血で水面を濁らせながら白い腹を見せ浮上する。


「その使い方は絶対おかしいだろ」


 ようやく立ち上がってシュークルの密生から抜け出した将希が、虚ろげに指摘した。

アシュレオは風魔法を延べ竿に宿しもう一振りする。

お星様になったレリボーンフィッシュたちが水から巻き上げられ、将希の足元に叩き付けられた。


「…って、間近で見たらけっこうでけぇ。ボブ見てみろ、お前の分もあるぞ」


「そのノリ、そろそろ本気で怒るからな」


 アシュレオは黙って振り返ると、ボブと将希の遣り取りを視界に収めた。


 ――ショウキって、やっぱり変だ。


「どうやってさばくんだ」

「水で注ぎながら、まず鱗を簡単に取ってだ…でもってはらわたを――」


 魚籠びくが川に流され手元にない将希は、学生服の上着を脱いでいた。

それを両手で広げて受け皿のようにし、表面がぬめっている淡水魚たちをドッサリ乗せている。ボブはズボンのポケットに引っ越して質疑応答中。


「…ショウキ、先に帰って。今日はここに来るまで駆除もした。だからしばらく、こいつらに遭遇することもない」


 アシュレオは言いながら、手一杯である将希に延べ竿を無理矢理持たせた。その後ゴブリンの死体を三回に分けて、川から歩いて直ぐの雑木林へ引き摺っていく。


「アシュ」


 それを黙って観察していた将希が、後ろからやってくると声をかける。

さっそく、さきほど考えた愛称で気さくに呼んでいた。

 アシュレオはそれに、視線だけ向ける。


「お前って、どんな味が好き?」


聞かれたのは魚の味付けについてだ。


「なんでもいい」


 素っ気なく返され、将希は眉根を寄せた。

その表情をアシュレオは盗み見る。


面白いほど何を考え、何を感じているのかが手に取るようにわかる。


今は少しだけ怒っているようだ。


「おい、真面目に答えろ」

「好きにしたらいい」


「――いま、言いやがったな。お任せは一番危険だということを思い知る、今日はそんなテメェの記念日だ」


 将希は、今度はニヤついた。

 これは完全に悪巧みをしている顔だ。


アシュレオは相手にすることはなく、ひとまず頷いてあしらった。

それから意気揚々と、コテージを目指して駆けていく将希の背中を見送った。


 雑木林の奥まった場所へ赴いてあるのは、細切れになったサイクロプス達の死体と他種族が混ざり合い出来た死肉の山。さらにそこへ、胴と首が切断されたゴブリンの死体を放り投げて加えていく。手を血で汚しながら、ようやく一カ所に集め終えた。


 周辺でなぎ倒された木を、アシュレオは椅子代わりにして腰掛けると成果を眺める。


「臭い」


 狡猾なモンスターの血肉ほど、より早く腐敗していく。

生命活動を止めた肉の集合体に、ありのままの感想を述べた。


暗い雑木林の中には、太陽の光がまっすぐ道筋を示すかのように差し込んでいる。

それを背にしたアシュレオから伸びた黒い影が、血染めの肉塊を覆っていく。


「片付けろ」


 命じる言葉と共に、影のシルエットが変貌した。


大きな三角の耳が2つ生え、突き出した口が開かれると牙を見せつける。

そんな影絵の狼が、立体的に浮かびあがると縦に大きく膨らんだ。

長くて太い両腕を広げ、積まれたモンスターのむくろにしがみつく。


 ――バリッバリッ…ボリッ…クチャッ。


 それから間もなくして、美味しそうに死肉を貪る音が聞こえはじめる。

 アシュレオは青い瞳の水晶体を魔力で仄かに光らせ、その光景を見守っていた。


それから無意識に名を口にする。


「ショウキ」


 お前はいきなり現れた、すごく変な奴だ。


バリボリッ…グチャッグチャッ――

 

だけど。


一緒にいると、心が安らぐ。


 考えながら、影の浅ましい食べっぷりを視界に収め続ける。

アシュレオは軽い吐き気を催して表情を歪めた。


 しかしまた将希のことを想い、微睡むような心地良さを得る。

表情に浮かんだ険しさが、自然と和らいでいく――


――が、これは本人にとっては不可解なことだ。

理解するには、まだ時間がかかる。


よくわからない。


だけど、あたたかい。

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