〈26−2〉庇護欲製造機


雨は一時休戦らしい、ひたひたと小雨だけを残していた。


「なんだよ、そのチビ」


 青と白のストライプの電光看板が目印のコンビニ前で、三人の若者が屯している。

 その中の一人――無地の半袖シャツに足元のスッキリしたテーパードパンツ、スリッポンを履いてやってきた俊介が怪訝な声で尋ねる。


「ええと…絢斗、ショウの後輩みたいな?」


 裕悟は小腹を満たすべく購入した梅おにぎり食べながら困り顔で答えた。

 けっきょく絢斗を放っておけず、駅に着くなり一緒に降車させたのだ。

 そして気まずいと思いながら、俊介に連絡を入れて呼び出した。

 当然、不機嫌そうに現れたが――


「――いや…そうじゃなくて。初対面からこいつ、どんなツラしてんだよ」


 俊介は、茶髪に散らされたメッシュに最近緑を入れた。

 前髪を手で後ろに流しながら、絢斗の悲惨な姿を目にすると直ぐ哀れむような視線を向ける。それから、「色々あるんだよ」と裕悟が促しながら経緯を話す――


「わかった」

「さすシュン!」


 すると交渉の結果、俊介が絢斗を家に泊めてくれるということになった。


 裕悟の家はローンがまだ残っている一軒家で、家族と暮らしているわけだが――妹が気難しい年頃なのと、飼い猫の人見知りが激しい。さらに両親が仕事で疲れて休んでいるところに、今から連れて行くのはかなり気が引けるという躊躇いがあった。


 一方で、案外すんなり引き受けてくれた俊介の胸の内――

 やはり、将希の後輩だという部分が大きく影響していた。

 まだ罪悪感に苛まれている。


「シュンってやっぱ優しい」


 裕悟がニヤニヤしながら言う。

もちろん断られたら、自分が連れて帰ろうとは思っていた。

 俊介はそれに目を泳がせ、強めの肩パンチを食らわせた。

「いてぇっ」と裕悟から声が漏れた。

 そして、この遣り取りの間に絢斗には応急処置がなされている。


 俊介が購入した消毒液で顔の擦り傷を適当にタオルで拭かれた後、ハンカチで巻いた〈袋かき氷〉を手渡された。患部を冷やせという意味らしい。鼻に詰めたティッシュは不要になり引き抜かれている。それから途中で、そろそろ裕悟が帰るということになり2人と1人に別れて帰路に就く。



 俊介の住んでいる場所はコンビニから左に曲がって、横断歩道を渡った先にあるシックな色合いの住宅街に紛れた1LDKのマンションだ。オートロックを潜って、二人はエレベーターに乗ると五階を目指す。


「一人暮らし?」


 上昇していくエレベーターの中で、絢斗は俊介の真横に立っていた。

 身長差から、見上げる形で話しかける。腫れを冷やす為に与えられた、イチゴ味のかき氷はビニール包装の中でほとんど溶けていた。俊介は問いに頷き、口を開いた。


「かき氷、好きにしていいから」


 それを聞いた絢斗は口許に笑みを浮かべる。

 袋の上の方を1カ所噛みちぎると、冷たくて甘いシロップを啜った。


「未成年でも一人で暮らせるん?それに、ここ高そう」


「あ~…ここは親父の…知り合いの賃貸で、保証人とか適当に用意するだけで余裕で申請が通った」


俊介は視線を宙へ向けると曖昧に回答をした。


「いいな、俺も一人暮らししたい」

「なんで…親と仲悪いのか?」


「仲悪いっていうか――」


 絢斗は言い掛けるが、それよりも先にエレベーターの扉が開いた。

 そして、透明の赤いシロップとなったかき氷をあっという間に飲み干した。

俊介が「開」ボタンを押しながら、それをハンカチごと奪い取る。


 それから、艶消しされたブラウンタイルに囲まれた通路を歩いて行く。

 天井には照明がボタンのように突き出し、暖色系の輝きが周囲を照らし点々と続いていた。金色プレートの504号室の前で立ち止まる。

 表札はないが、ここが俊介の住まいらしい。


「おじゃまします」


 鍵を開けられ、絢斗は行儀良く挨拶をして踏み込む。

 当然、誰からも声は返らない。

 玄関を入ってすぐ横には、洒落たダークブラウンのシューズクローゼットが設置されていた。絢斗がそこへ、無造作に猫のキャラクターのサンダルを押し込んだ。


「そのキャラクター」


 それを視界に捉えた俊介が、玄関の戸締まりをしながら絢斗に尋ねる。

 そのキャラクターの見た目というのが――まず白い毛並みをした黒ブチ猫だ。まんまるい黒目をして、赤い海老を大事そうにいつも抱えている。

 絢斗は振り向きながら答えた。


「ミギャスケ、可愛いから好き」


 俊介は納得して頷いた。

 絢斗同様に、ミギャスケが好きだった。

 柔らかな笑みを浮かべ、「わかる」と声に親近感を込める。


「あと、俺になんか似とるし」


 俊介は玄関手前に置いてあるスチール製のスリッパラックから、綿素材のスリッパを二つ手に取るとそれを床に配置する。それから絢斗の発言に吹き出して笑った。


 ――なんか、あざといなコイツ。

 たしかに絢斗は――

 現在は顔が半分腫れているものの、全体のバランスを見ると端整な顔立ちをして愛くるしさも纏っている。身長は、恐らく160もない。

線が細くて中性的。

 黄白色の明るい髪を眺めながら、俊介はなんとなく興味本位で尋ねた。


「その髪、親とか学校はなにも言わねぇの?あとピアス」


 絢斗は「ああ~」と言った直後に語り出す。


「――髪は生まれつきこの色、あと迷惑さえかけなければ…誰もなんも言わんから。ピアスは、学校にいる時は外しとるし…それに親じゃなくて、もう何年も親戚んちで暮らしとる」


 絢斗は曇った様子もなくあっけらかんと言った。

 この部分を聞いただけで、複雑な家庭事情だというのがわかる。俊介は静かに頷く、痣を作った横顔が物憂げに映り込んだ。


 玄関から電気をつけながら短い廊下を進み、棚に置いてあるリモコンで即クーラーを入れた。それから俊介は、カウンターキッチンの奥に配置してある冷蔵庫を開いた。


「なんか食う?」


 と、ゆるい感じで聞いてみる。

 キッチンの位置から見えるリビングのテーブル席で寛いでいる絢斗は、パッと表情を明るくすると嬉しそうに聞き返した。


「いいの?」


「冷凍かチルドになるけど」


「食べる、ありがとう」


 そして絢斗は基本、敬語を使わない主義。

 だがとても素直な受け答えをするので、初対面であるが俊介は不思議と嫌な気はしなかった。向けられた屈託無い笑みは、庇護欲の掻き立てる小動物を思わせる。


 これが、あの灰島将希の後輩?

 俊介は苦笑を浮かべた。

 出会う前の将希のことは、実は聞かずとも知っていた。

 同じ界隈の目立つ人物の噂というのは不意に舞い込むものだ。

 裕悟も謙二も、言わないだけでわかっている。


 だけど、四人は直ぐに仲良くなれた。

将希は悪い噂のイメージと違い、アホで憎めない奴だったから――


「あ、飯食う前にシャワー浴びろ。服とそのきたねぇタオル二枚は洗濯機に突っ込んどけ。着替えはチビには全部大きいだろうけど、着れそうなのを貸してやるから」


 あえて素っ気ない感じで、俊介は言った。

 しかしそんなわかりやすい優しさに、絢斗は浮かべた笑みに感謝を込める。


「俊介っていいやつ。ありがとう」


「いきなり呼び捨てすんな」


「シュン君」


「――正直、呼び方は問題じゃねぇ…だがお前の今後のために言っておく。「くん」は敬称じゃないからな」


「シュン」

「もう好きにしろ」


 面倒になり、俊介は遣り取りを放棄する。


 シャワーを浴びた絢斗に着せられたのは下着類の他に、ミギャスケが胸にプリントされた薄手のパーカーと、ウェストを紐で調整できるルームウェアのズボン。どれも色は黒で統一されていた。


「これって、もしかして…っ抽選でしか当たらなかった…超レアなやつ?」


 ミギャスケのパーカーについて聞く絢斗の声は若干震えていた。

 俊介は得意げな顔をして答える。


「当たった後は観賞用としてずっと保管していた…のを、さっき思い出した。まあそれはサイズも小さかったし、お前にくれてやるよ」


「――え…うそ、マジで?すげぇ嬉しい…え?本当に?」


 そんな会話をしながら――

 さきほど体だけはしっかり拭いて浴室から出てきた絢斗。

 しかし髪はしっとりと濡れたままであり、風邪を引くことを危惧した俊介が洗面所に押し戻してドライヤーで強制的に乾かしている最中でもあった。

 明るい毛束が、力強い温風と一緒に踊っていた。

 絢斗は受け答えの途中で、背後に立って洗面所の鏡に映り込む俊介の顔をまじまじと眺めた。


「トイレ行きたいのか」


 俊介が尋ねる。

 絢斗は首を横にゆるく振った。


「シュンって美人やね」


「ミギャスケのお礼で言ってんなら不要だぞ」


「――違う、そうじゃなくて。ウゴ君にコンビニに連れてかれて、そんでシュンが来た時からおもっとったこと」


 ここで飛び出したウゴ君は、裕悟のこと。

 なぜか裕悟だけ個性的なニックネームが与えられてしまった。


「俺のお母さんに似てる」


「は?」


 最後まで聞いたものの、俊介は困惑を露わにした。

 とりあえず髪が乾き終えたのでドライヤーのスイッチを切る。

 絢斗の貓毛が、ふわふわとしていた。

 しかし突然、男が男に「おまえ、俺の母ちゃんに似てるわ」なんてことはあまり言わないだろう。まあ冗談で言うことは、あるかもしれないが――


 しかし絢斗にふざけている様子はない。

 言い放った顔は、至って真面目。

 それに気圧された俊介は、普段ならしない身の上話が口からついこぼれてしまった。


「母親は、小さい頃に出て行ったから。写真もないし、顔も覚えてねぇよ」


「…そうなんだ」

「お前のかあちゃんは?」


 絢斗は自分から変なことを言っておいて泣きそうな顔をした。

 だが即、笑みを固める。


「俺が弱っちいから置いてかれた。だから、ミギャスケと同じ。自然界は厳しいっちテレビでも言いよった」


 親戚の家に住んでいるという時点で、父親については聞くまでもないだろう。

 俊介はそれ以上追求はしなかった。

 それにしても絢斗は、なんだか変な言い回しで喋る。


「なんだよそれ」

「わからん、だだ悲しい」


「元気出せ」

「うん。俺、心は強い」


「…あとそれ、内出血。保冷剤を台所に置いとくから…ちゃんと冷やせよ」


 絢斗の左眼の周りは、鮮やかな痣の花が咲いたままだ。

目の見え方に、問題はないようだが――

 病院に行くか?と尋ねたが、凄い勢いで拒否られた。

 そんな絢斗は、鏡越しの俊介を邪気のない笑みで見つめてくる。

 俊介は溜息をつき、洗面所の壁に掛けてある四角いデジタル時計へ視線を逸らした。〈23時15分〉と表示されている。

 湿度もあり、体が衣服越しに汗ばんでいた。

 呼び出される前に、シャワーを浴びたはずなのに。


 蒸し暑さに嫌気が差した。


 その後リビングに戻り、絢斗に食事を与える。

 コンビニで買ったチルド弁当の〈魯肉飯ルーローハン〉だ。

 台湾フェアをやっていたので、今朝なんとなく購入したものだった。

 白い四角の容器に入っていて、透明のプラスチックの蓋越しに一口サイズに切られた大量の角煮がピリ辛い飴色の甘ダレに絡まり、半分に切られた煮卵と小松菜が添えられているのが確認できる。

 美味しそうな彩りだ。

 俊介は冷静にそれを見つめながらレンジに押し込む。

 表記された時間をセットして温める。

 ――5分。

 それから弁当と同時に冷蔵庫から取り出していた、冷えた500ミリリットルの烏龍茶のペットボトルを持って絢斗の元へ歩み寄る。


「――え、それ」


 俊介は呆気に取られた。

 リビングのテーブルに、身を乗り出すように肘を置いて寛いでいる絢斗の手に握られていたのは将希のスマホだった。ひとまず、結露した烏龍茶を目の前に置いた。


「これショウ君のおばちゃんが、警察から返してもらったって。だけど仕事が忙しいけん、もし急に連絡があっても見る暇がないってことで俺が預かっとる。なんか持ってたら逆に落ち着かんらしい」


 ここで魯肉飯が温まるまで、絢斗と将希の関係に触れた話題となった。

 絢斗が現在お世話になっている親戚の家が、将希の自宅の近くで小学校からの付き合いらしい。俊介がそれを聞きながら噛み砕いて分析したところ、絢斗が将希にべったりなのだということがわかった。先輩というよりは、兄のように慕っている。


 兎に角、これだけ懐かれている将希は、意外に面倒見が良いということ。


 ピッピッ。

 魯肉飯が、電子レンジで十分に温まった事を主張する。

 俊介からそれを与えられた絢斗は、付属されていたプラスチックのスプーンを使いながら美味しそうに食べ始めた。独特で甘ったるい、スパイシーな八角の香りが部屋に漂う。絢斗は好き嫌いがないようで、「おいしぃ」と声を洩らし完食した。


「ああ、そうだ。洗面所に新しい歯ブラシ出しとくから、後でちゃんと磨け。俺は今から、お前の寝床を作っておくから」


 俊介は、なんだか絢斗にほだされていると思いながらもその様子を微笑ましく思う。そう言葉で促し、一人寝室へと向かった。

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