〈24-2〉「夜刻」 微笑ましいな
月と星が、深い藍色の上で浮き彫りになっていく。
いつのまにやら、夜は更けていた。
寝る前にやるべき事を全て済ませると、コテージ内に隠された昇降口から地下室へ降りていく。
当然、将希の隣にはアシュレオが寝ている。
でも、これもあと数日なのだと思えば感慨深い。
そしてご機嫌斜めなボブから出してもらった着替えであるが――
「なに、その服」
「お前、知らねぇの?ジャージだよ。すげぇ動きやすいから喧嘩も捗る、なにより寝る時が楽だぞ」
将希が支給されたのはヤンキーの定番装備、〈真白の特攻ジャージ黒!上・下〉であった。左腕には縦文字で、
そして背中には――緑の炎に巻かれたサークルの中に収まり、鋭く睨みを利かせた凶悪な…トラ猫。 開いた上着の下から確認できるのは、白い生地に墨で描いたような…猫がプリントされた半袖のTシャツ。
アシュレオは、よくわからないなりに静かにそれを見つめた。
将希は、
だがここまで猫にこだわっているという事は、かなりの愛猫家らしい。
さらにこのコスチュームには、変な制約が無いようで安堵していた。
学生服と同じで、普段着として着れるようだ。
――猫。
猫といえば。
『ショウ君、ゲーセン行こ』
ふと、元の世界で自身に懐いていた少年を思い出す。
――二個下で身長があまり伸びず、だからかずっと小さいイメージのままだ。髪は明るくて、ふわふわしていて。アシュレオが犬っぽいなら、そいつは猫っぽい。
そして途中から、将希が悪い仲間と連むようになってから顔を合わせる頻度がかなり減った。
――すごく素直で、いい奴で。
だから、変な場所には連れて行かないように気を付けていた。
元気にしていたらいいが。
なにやら難しい持病を抱え、体調が優れないという日も多かった。
最後に直接遊んだのは…
――そうだ。
美千代にガチギレされたあの日。
そして、あの日の夜。
これで最後にしようと思って、仲間と出かけるつもりでいて、でもあいつが家にやって来たからやめたんだ。
そういえば…
あいつ、なんであの時…
あんなに必死で――
「「――ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァ…ッ!!」」
上層から響いたおぞましい叫び声に、思考を中断することを余儀なくされる。
◆
家屋が破壊される騒音と共に、まるで喉を裂かれたかのように呻く闇がコテージに流れ込んできた。
その衝撃により、屋内が震えた。
目に見えない部分であるが、窓や扉はまた破壊されたのだと察する。
しかしそれは、コテージに住み着いた妖精キキーモラにより朝には元通りだ。将希は寄り添って寝転がるアシュレオと視線を合わせた。
「一人であれと初めて遭遇した時って…やっぱ、怖かったよな」
声を潜めながら、将希は言う。
アシュレオは目を逸らすことなく頷き、ゆっくり答えた。
「女神から短剣を授かるまで、一週間ぐらいは昼夜が逆転していた」
「――まさか、徹夜でかくれんぼっていうか…鬼ごっこ?」
それはまた、想像を絶する。
アシュレオは苦笑いで返した。
「…あれは特殊で、手懐けれないから」
「手懐ける?なあ、それって――」
「――俺は…ショウキの世界でいう、物騒なヤクザに近いのだろう。勇者に選ばれた理由はわからない、自分でも可笑しいと思っている。だから、秘密にするわけじゃなくて…人が聞いて反応に困るであろう身の上話しはしない」
将希はそれを聞き、表情を曇らせながら目を伏せた。
アシュレオはその顔色から胸の内を探った。
「なぜショウキは、すぐに拗ねるの」
「拗ねるって、小せぇガキみたいに言うな。俺はここに来たばかりで、気楽に話せる奴なんてボブとアシュぐらいだ…なんかつまんねぇって、そう思っただけ」
アシュレオがその回答に、可笑しそうに笑みを浮かべた。
「…ボブ、あいつの正体はなんとなくだがわかる。喋りたがらない理由も、理解できる」
唐突にボブのことを口にするアシュレオの顔を、将希はまじまじと見つめた。
「人に言って褒められるような事をしていない、だから自分を誇れないんだ」
最後まで聞き、将希は溜息をついた。
蠢く闇の音に混ざるアシュレオの言葉は、悲しい響きに似ている。
枕元に置いているデリンジャーのボブへ手を伸ばし指先でタッチした。
「もう無理矢理聞かねぇ、悪かった」
バツの悪そうな将希の声を、ボブはしっかり聞いていた。
そして、笑い混じりに答えてくれた。
「オレのことは、この旅の終わりで全部わかるさ」
「なんだよそれ」
「つまり、お預けってコト」
「うーわ、ウザってぇ」
そんな風に少しだけ言葉をかわし、デリンジャーは「おやすみ」と言い残すとまた沈黙した。
睡眠が必要なのかはさておき――
将希はアシュレオとまた視線を絡め、口を開く。
「俺だって、褒められるようなことをして生きてねぇ」
「そう」
「つまり、ここにいる奴らは似た者同士」
「え?」
「つまりは、成り行きでダチになれる」
「…なにを言っているのかわからない」
「俺もお前と同じように、この世界でしばらく楽しむことに決めたんだ」
アシュレオは黙って聞いていた。
「だからティファヌンとの約束が終わっても、たまにバーベキューするぐらいの友達にはなれるって言ってんだよ。頻繁にここまで来るのは面倒そうだし」
こうやって話していてわかったのは、ボブもアシュレオも嫌いなタイプではない。
そして、今日はなんだかんだで楽しかった。
レリボーンフィッシュも絶品だった。
次回は煮込んでも良いかもしれない。
魚料理といえば、あれを思い出す――ホイル焼き。
それは将希が祖父母の家に遊びに行くと出されていた料理だった。
アルミホイルに包んだ魚と茸をフライパンの上で蓋をして加熱し、食べ頃に開くと仕込んだ出汁が具に浸透している。それにポン酢をかけたりして食べていると、お供の米に旨味が染みこんでいき、さらにその米が美味しくなりすぎるという危険な中毒性をも兼ねているのだ。
やべぇ~
やっぱ米食いたい。
唐突に飯テロな想像を膨らませる将希は、緊迫感のないニヤけた面をしていた。
阿呆にしか見えないが、表情は豊かだ。
アシュレオはそれを視界に収めながら、将希の唇に指先で触れた。
柔らかさを確認するかのようになぞり、聞き返す。
「友達?」
「おい、いきなり触るな。べつに嫌なら、無理にとは言わねぇよ…」
「…友達は、何をして過ごす?」
この真面目な声色から、アシュレオには一度も人間の(クロエを除く)友達が居たことがなかった。そう思わざるを得ないと、将希は哀れみの念から言葉選びに困った。しかし、わかりやすく伝えていく。
「集まって遊んだり、話したり…飯食ったり」
「一緒に寝る?」
「それは…家に泊まりに行ったり、旅行に行ったりしたらあり得るけど。この距離感ではねぇよ」
改めて現在の状況について考えると、友達になるにしろアシュレオとの距離感はおかしいだろう。すると余計なことまで思い出す。そういえばこいつとは、キスをした。
「――とにかく、友達っていうのは、距離感が…その…大切だから」
所々でやはり気まずさが抜けない。
でもこれから日が過ぎていき、一人で過ごすようになればリセットされる。将希は心を静めるために深呼吸をした。それからアシュレオの青い瞳を見つめると腹立たしいほどに綺麗で、どうしてか最初よりも優しい印象を受ける。
「わかった」
アシュレオは表情を変えることなくそう答えた。
将希は安堵する。
「…よし、これで俺たちは――」
と、言ってる最中に額同士が静かに合わされた。
顔が近い。
将希は反射的に、アシュレオの唇に掌を押し付けた。
小声で話さなくてはならないからか、発した声が掠れながら震えていく。
「友達は、そういうことしねぇ。俺の世界では…それが常識…それに、お前と俺は男で――」
キスを「そういうこと」と、言い表すほどに将希は動揺していた。
男がふざけて、男にキスしただけのことだと理解しているはずだった。
それなのに。
浴室で勢い良く流れたお湯のように、昨晩のことも、昼間のことまでもが頭の中のバスタブに溜まり続ける。掌の向こうには自身とは異なる体温が存在し、目の離せない間近にある青い瞳が細められていく。
それから将希は、妙な感触を得て我に返った。
素早く手を引っ込める。
「――は、今」
アシュレオが、掌を舐めた。
「ここはショウキの居た世界じゃない」
ハッキリ言われ、なぜか納得してしまった将希は言葉に詰まる。
だが負けじと、涼しげなアシュレオに言い返す。
「とりあえず、手を舐めるんじゃねぇ。犬かおまえっ。もういい、今の話しは無し。絶交だ」
呆気ない友情。
将希は苛立って背を向けた。
もはやこれは、揶揄われているに等しい。
それを証拠にアシュレオはいつも平然としているではないか。
それなのに自分だけが無様に取り乱し、物事の意味について考え、過剰に反応を示すのは馬鹿げている。そして普段から、この勇者はこういう奴なのだと理解すればカッと熱くなったものが頭の中で静かに冷えていく。
しかし。
「そういうの、しなくても大丈夫だっただろ。昨日、わかったんだし」
無意識なのかわざとなのか、アシュレオは畳みかけてくる。
背中から抱き締められてしまい、体温が重なった。
強気で物申す将希であるが、ここで不可抗力に「昨晩」のことが脳内でセルフに蒸し返される。するとアシュレオが冷静な声で語った――
「だけど、ショウキはすごく寝相が悪い。女神との約束もあるしで…諦めてあえて言わなかったけど、ベッドから転げ落ちそうだった。俺のことも何度も蹴るから、昨晩も途中からこうしていた」
告げられたことにより、明らかとなった真実の物語。
将希はそれに唖然として口籠もる。
「――えっ…ウソ…っまじ?」
そして、そのことを聞いて思い出したことがあった。
一人っ子であり、一人で寝ることが多かった為にあまり意識をしていなかったこと。
考えれば、朝起きると体の位置が夜とは逆になっていることが多かった。
さらに小さい頃から、いくらベッドをせがんでも美千代が頑なに購入したがらなかった理由がここで判明。
「よく眠ってた」
「あ、ああ」
「今朝、本当は一言告げて出かけるつもりだったけど…気持ちよさそうに寝息をたてていたから。そのままにした」
「ごめんなさい」
なんだか申し訳ない気持ちになり、将希は素直に謝った。
アシュレオは変わってはいるが、本人なりに気遣いはしてくれていたのだ。既に和解はしているが、一人で苛々していた事を思い出すと恥ずかしい。
それからボブのように寝たフリをしながら、眠りこけようと企んだ。意識をそのように集中していると、嗅ぎ覚えのある香りがした。
綿菓子のように甘い芳香、これはシュークルの花の――
全身を清めたにも関わらず、二人の体からそれは香っているようだ。
アシュレオが、将希の後ろ頭に鼻を押し付けた。
それから目を閉ざし、深呼吸をする。
「嗅ぐな」
寝たはずである将希、しかしやむを得ずに指摘する。
しかしそれはもう、アシュレオの耳には届いてないようだ。
砂糖菓子にまぎれたような、将希の匂い。
そして心臓の鼓動。
それらに包まれながら、優しい眠りに手を引かれおちていく――
――スー…。
え、もう寝た?
聞こえはじめた穏やかな寝息。
将希はもう、どうにでもなれという気分になっていく。
「微笑ましいな」
ここでやはり狸寝入りだったボブが、優しい声音で囁いた。
「それ以上、なにか言ったらシバく」
ひやかしてきそうな枕元のデリンジャーに、将希は静かなる牽制をかける。
「オレは野暮なこたぁ言わねぇナイスガイだぜ?任せとけって」
くそ、こいつ――
目があればウインクでもしてきそうなボブの言い回しに、将希なんだか疲労感を覚えた。
それから自然と心地良い微睡みが訪れ、朝になるまでそれに浸った。
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