〈17〉キスしてください
「うなされてたけど」
アシュレオは、寝落ちた後も起きていたようだ。
直ぐにそう説明してくれた。
それから将希は、自身が酷く汗ばんでいる事に気付く。
体が、火照っている。
さっきのはただの夢なのか、それとも――
「なんかアッチぃ」
暑さを覚え、自身を覆っている片側の毛布だけ剥ぐ。
それをアシュレオに重ねるように寄せた。
「は?」
そして体の異変に、唖然として青褪める。
それは――
下腹方面からの、元気なお知らせであった。
この状況で絶対に起立してはならない存在が熱を持ち、フリル装飾された可愛い下着の中で見慣れた形で主張していた。
う、嘘だろ…っおい!
驚愕し、脳が打ち震えた。
――さすがに、まずいだろ。
ていうか、え?!
まじで?嘘っ。
いや、なんで…なんでぇぇえ!
将希は血の気と共に素早く腰を引き、膝を抱えるとそのまま反対へ転がった。
頭の中では大混乱の喧騒が飛び交い、元々狭いベッドの端ギリギリまで気持ち程度の距離を開く。
「落ちるよ」
アシュレオは訝しんで声を掛ける。
カシュカシュの剣の守備範囲の狭さを危惧していた。
闇に見付かったら面倒だ。
それから将希の背中に密着し、ベッドから落ちないように胸に片腕を回す。
「今は…っ…さわんなッ――」
深呼吸を繰り返し、将希は声を振り絞った。
気付かれないように、なんとかこの場を収めたい。
もしバレでもしたら女装した挙げ句、下心のない野郎の隣で突如おっ立てた変態という不名誉な金称号を獲得するだろう。
仮にもしばらくお世話になる人物の前で、それだけはどうしても避けたい。
一方で回した腕を拒むように掴まれたアシュレオは、疑問符を浮かべる。
将希の指先から、熱と共に震えが伝わった。
それから鼻腔をつくのは魔力の、先ほどよりも強まった匂い。
微かに差し込む光を浴び、草木が香った。籠もりきった空間に積み上げられた書物の情景が流れ込む。
「ショウキ、見せて」
アシュレオは言いながら、将希の手をなんなく振り払って自身の上体を起こす。
「えぇ?」
すると間の抜けた声が洩れた。
背を向けて転がっている将希は両腕をアシュレオに掴まれ、そのまま強制的に仰向けに寝かせられたのだ。白っぽい太腿が晒される。
将希は踏ん張りたかった。
しかし、圧倒的勇者の前では無力。
なのでせめて股が開かないように両脚をぴったりくっつけ、膝を折り曲げる。そうして下半身の熱暴走を隠す事に徹した。
スカート丈が長くない真白のメイド服でこの体勢は、非常に恥ずかしい格好を強いられてしまう。
焦りが、火照る体に燃料を投下した。
悪循環だ。
「膝、痛い」
将希の膝が、アシュレオの腹にめり込むと真顔で苦言を呈される。
「み…見せるって、や…っそれ…それは無理」
将希は弱々しく発声しながら、目元を歪めた。
泣きそうだった。
プライドにかけて、下だけは見られるわけにはいかない。
「ショウキ?」
「見せて」は、もちろん
アシュレオは将希を冷静に組み敷きながら、真下の喉元を注視する。
分析すべく捉えた魔法印は、紫紺の光を巡らせていた。
夕方見た時よりもそれは濃く、仄暗い地下で鮮やかに発色している。
「苦しい?」
アシュレオが神妙な顔で尋ねる。
将希はなんと返せばいいかわからず、首を横に揺らした。
普段なら放っておけば収まる昂ぶりが、燻り続けてしまうと呼吸を乱すのだ。そして頭がぼんやりする
『――僕ね、いいこと思いついたんだ。ショウキが勇者の剣の所在を聞かなくても、そんな気がなくても、アシュレオ本人がショウキのために剣が必要だと思うようにしてあげればいいんだって。可愛い使者の為に頑張る勇者という筋書きも、なかなか悪くないよねぇ』
口振りから、直ぐに誰なのかを将希は察した。
アシュレオには聞こえてないようだ。
――エルドラム…さっき、何をした!
さっきとは、夢の中の事だ。
そしてこれは確実に何かをされている。
言葉に出来ない分、唇を噛み締め、烈火の如く怒りがこみ上げた。
感情がすぐ顔に出る将希は、屈辱に苛まれた表情で真上にいるアシュレオを睨む形となっている。アシュレオはそれを視界に収めながら、ただ生真面目に思考していた。
エルドラムは将希の頭の中でクスクスと笑う。
『怒らないでよ、僕は君にきっかけを与えようとしているだけだ』
抜かしてんじゃねぇ。
なにもするなって言ってんだよ!
『まあとにかく、その状態から脱するには――』
?
『アシュレオにお願いするしかない』
なにを。
『キスしてもらうんだ』
――は?
『夢の中で僕が君にかけたのは、大した魔法じゃない。解くのも簡単だ。アシュレオにどこでもいいから、キスしてもらうこと。そしたらすぐ楽になる』
それを聞いた直後、思考が停止する。そして。
――お前らまじで、俺にこの世界で何させてぇんだよ!!
ごもっともな、心の叫びを表明してみせた。
それから息を震わせながら、アシュレオを静かに見つめた。
闇達は音を掻き立て、時折呻きながらまだ上層で蠢いている。しかしそれが気にならないほどの急場を、現在迎えているわけで。
『お願いするだけだよ、しないならずっとその状態。じゃあ、がんばってねぇ』
言い切ったエルドラムの声が遠ざかっていく。
将希はここでついに涙を流した。
薄い茶色の瞳が水の膜で揺蕩い、溢れてしまうと頬に雫がつたい落ちる。
アシュレオはそれに困惑し、「え?」と声を洩らす。
「――今すぐ、俺の横に寝転がってください。真上からは、絶対に見られたくないのです」
意を決した将希は、なぜか敬語だった。
それに戸惑いながらもアシュレオは、先程の定位置に体を横たえる。
将希は立てた膝を崩して伸ばすと、どけた毛布の端を力任せに引っ張り自身の体を覆い隠す。仰向けのまま言葉を続けた。
「俺からお前に、お願いがあります」
この様子のおかしい将希を、アシュレオは固唾を呑んで見守った。
「き…キスして…ください」
「――っえ、なんで」
薄暗い地下に、アシュレオの声が彷徨った。
それは微かに、震えていた――
「…っ」
――まあ、そうだろう。
この反応は予想できていた。
将希は静かに目を閉じる。
あまりにも耐え難い。
俺は男に向かって、何を言っている。
同性にこんなこと言うのは、もちろん初めて。
アシュレオの顔が、もう直視できない。目を閉じてしまったから尚更わからない。ただ明らかに、ひいている人間が示すであろう反応に傷ついた。
不甲斐なさに、目頭が熱くなっていく。
体は火照ったまま、無駄なオプションで肌の感覚は極限まで研ぎ澄まされていた。今は何かに触れるだけで、擽ったさに骨盤辺りからゾクゾクと震えが這い上る。熱っぽい半身は、意に反して歓喜したまま。エルドラムはとんでもない変態だ。将希は、そんな怒りと羞恥の狭間で悶えた。
もうこれ、セルフでコッソリ抜くしか――
将希は血の気の引いた顔で、無謀な選択肢を取ろうとするがすぐに却下した。
この距離でそれは確実にバレる、同じ男ならばすぐに察する。
そもそも出会って間もない奴が真隣で、いきなりそんな事をしてみろ。
「うわ、キッツ…」
将希は声にすると鼻を啜り、イメージすら拒んだ。
ならば一択。
アシュレオに頼むことでしか、尊厳は守れない。
「誤解すんじゃねぇ…っこれは魔法印絡みであって…ッ…変な意味じゃなくて…今は全部話せないから…っこう言うしかないだけであって」
嗚咽しながら、たどたどしく弁明する。
将希は気付くとまた泣いていた。
いや、正確にはエルドラムに泣かされた事になるだろう。
「ショウキ」
アシュレオが間を置いて名を呼んだ。
将希は「はい」と、潮らしく返事をした。
顔に手が伸び、乱れた長い金色の髪が手櫛で上へ流される。こうして顔全体が露わにされるが、将希は目を閉じたまま何を言われるのか息を殺して待った。
しかし言葉は返らず、毛布ごと強く抱擁された。
ここで目を開ける。体は向かい合い、アシュレオの美しい面立ちが迫っていた。
だが困った顔をしている。思いつめた表情をして、聡明な青い瞳がまばたきをした。将希は唇を震わせ、声にする。
「…変なこと頼んで…っごめん」
一度泣くと、人間の涙腺はしばらくぶっ壊れる。
際限なく涙が湧いてきた。
どちらかと言えば、将希は小さい頃よく泣いてた。
あまり覚えてはいないが、仕事が忙しい美千代によく纏わり付いて困らせていた。悪い事をする前から、親の手を煩わせていたようだ。情けない気持ちに拍車が掛かる。
血の巡りが、目許から耳を紅潮させていく。
なんだかおかしい。自己省察なんて、普段なら絶対にしない。異世界に来てしまってからだ。色んな感情が
まばたきをすると同時に、また涙がこぼれる。
「ごめん」
将希はもう一度、気持ちを言い表す。
しかし返ってきたのは、声ではない。
「え…そこ、く――」
触れ合っていたのは、唇だった。
塞がれたことにより声は途切れ、抱き締められたことにより体は過剰に反応を示して脳が痺れていく。
「別に…っ口じゃ、なくて」
唇の狭間で、将希は声を漏らした。
しかしそれは、柔らかな重なりに即遮られる。
神経は腹立たしいほど鋭敏で、魔法印が容赦無く快楽的な揺さぶりをかけた。
局部はもう、痛い程に張り詰めていた。アシュレオの抱き締める腕が一層強くなり、密着を余儀なくされた今、毛布越しである事だけが将希は救いだった。が、下腹部への圧迫が刺激となり、切ない焦燥感を募らせていく。
青い視線が絡み、将希は急いで目を閉じる。
そして自身から溢れる、色付いた吐息に赤面した。
これは深くもなく、浅くもない。
ただの長いキスだ。
なのに訪れたのは、高みに登り詰める
爪先が痙攣し、虚脱感に見舞われそうになった瞬間。ここで我に返った。
「――もういいっ」
将希は慌てて顔を背けて声を振り絞る。
毛布から手を出すとアシュレオの胸を押した。
反動でアシュレオの首から提げている硝子短剣がシャツから零れ、それが将希の表情を淡く照らしあげる。視線を奪われた。
悩ましく眉を歪め、涙で頬を濡らしていた。
そんな将希は「もう、たぶん大丈夫」と唇を柔らかに動かす。その表情がアシュレオには扇情的に映り込むと、人知れず脳に焼き付いた。
すると眼前で光が瞬く。
火照りの魔法は解けたようだ。
しかし心臓が、暴れ回る闇よりもうるさく感じた。
「寝る」
魔法印の刻まれた喉に触れながら、将希は目を泳がせる。悪態もつけなかった。
まるで何事もなかったかのように収束した熱に安堵し、そのまま背中を向ける。
「…わかった」
アシュレオの表情は固く、一言だけ返すと同じ様に寝返りをうつ。
二人はかろうじて、背中だけをくっつけた。寝相が悪くない限りは多分、これで大丈夫。
――危なかった。
絶頂を迎える寸前で、将希は踏み止まれた。
吐く息を震わせ、涙を肩で拭う。
男と普通に、キスをした。
さらには快楽とは別の安らぎを感じ、あのまま流されそうだった。
頭は酷く混乱していた。これは全部魔法の所為なのだと、自身に言い聞かせて落ち着ける。
気まず過ぎる。
いや、落ち着け。明日はボブがいる。
そうだ気晴らしに、まず森中のモンスターの繁殖制限を行う。
身勝手過ぎる人間様の御都合となるが、エルドラムには啖呵を切っている。
エルドラム、あいつ。
次会ったらぶっ飛ばす!
将希は、どうにか正当化を試みる。
そうやって眠くなるまで、胸の
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