一話:三

「うわっ……触って平気ですか、それ」

 暮白ムーバイは羽根を摘まんでしばらく黙り、「たぶん」と曖昧に頷いた。神経質そうなわりに衛生は気にしないのか、と内心意外に思う。

 かたわらから彼の手元を覗き込み、安玖アンジウは訊いた。

「何の鳥か分かります? 俺は詳しくないけど」

「私も分かりません。かなり大きいようだ」

 白い羽根の長さから想像するに、鶴ほどの大きさはありそうだ。空き家に動物が棲みつくのはそうおかしなことではないが、巨鳥が棲みつくというのはあまり聞かない気がする。

「どこかに巣があるのか……」

 あったとしても、果たして例の噂に関係あるのか分からない。そう思ったが、暮白は何か気掛かりなのか殿内を見渡した。

大夫だいふ、他にこういう羽根を見ましたか?」

「いえ。それが何か関係が?」

「まだ分かりません」

 素っ気ない返答に会話の接ぎ穂を見失う。暮白はろくに説明せず、勝手に床に積まれたがらくたを漁り始めた。


 おそらく鳥の羽根を探しているのだと見当をつけたものの、なぜ探しているのかが分からない。とりあえず手伝ってがらくたを漁ると、すぐに白い羽根を見つけた。

シェン道長、こっちにいくつかありますよ」

 白い羽根はがらくたと塵芥ごみの間を道標のように落ちていた。埃にまみれて見つけづらいが、大雑把に一直線を描いていると気づけば楽に見つかる。暮白はすぐにそれを辿って歩き始めた。

「……何だろう。扉があります」

 唐突に立ち止まった暮白は、壁を指差してこちらを見た。安玖アンジウが釣られて視線を向けると、確かに小さな扉がある。奥の部屋へ続く扉かと思ったが、それにしてはずいぶん分かりづらい位置にあった。

「普段は緞帳で隠してあったのかもしれない」

 暮白は頭上を示す。中途半端な長さで裂けた緞帳の布がぶら下がっている。劣化して破れたか盗人に破られたかして、この扉も露わになったのだろう。


 白い羽根は扉の前で途切れていた。この奥に鳥が棲みついたのだろうか。暮白は扉を開けようと押したり引いたりしていたが、一向に開かなかった。それを特に手助けするわけでもなく眺め、安玖は気が乗らないまま声を掛ける。

「……あのー、これって奥に行かなきゃ駄目ですか?」

「はい?」

「野生動物が棲みついただけでしょう。病だとかああいう噂に関係ありますか?」

 暮白は手を止めると、無表情で安玖を見つめた。

「疫病というのは動物と関係が深いです」

 しばらく考え、ああ、と納得した。

 確かに動物から病が発生することもある。寺に棲みついた動物から病を移された僧侶が全滅し、役夫にも感染したとすれば説明がつくだろう。しかし、安玖は首を傾げた。


「でも動物の駆除をするならもっと違う役人の領分では? 俺たち何の用意も無いのに」

「私が言いたいのはそういうことではなく」

 暮白はちらりと扉の奥へ目を遣った。

「――病は動物、特に鳥が運んでくるという考え方があります。疫癘は祟りとも関係がある」

「……へえ?」

「分かりませんか」

 真っ直ぐに見つめられ、曖昧に目を伏せた。


 本当は何が言いたいのかは分かっていたが、答えたくなかったのだ。腕を組んで黙り込む安玖を見て、暮白はわずかに表情を変化させた。――往生際の悪さを蔑むような顔だ。

「……俺には全然分かりません。普通の鳥じゃないかなあ」

 同意を求めて笑ってみせたが、暮白はそれを無視して抑えた声で告げた。

「この寺院の奥に棲みついたのは、だと思います。――鳥は疫病の象徴だ。げき、と呼ぶこともある。ご存じでしょう」


 しばらく無言で暮白を見つめたが、やがて沈黙に耐え切れなくなった。安玖は溜息まじりに問う。

「つまり疫病神が棲みついたから坊主も死んだし役夫も体調が悪くなったと?」

「そうです」

「じゃあその羽根は?」

「疫神のものかもしれない」

「普通に鳥じゃないかな……」

 安玖の言葉は無視し、彼は扉を指差した。

「何にせよ、この先を見れば羽根の持ち主も分かる。奥へ行きましょう」

 逃げてみようかと一瞬思ったが、脅すように手首の刺青を見せられるとやる気は失せた。本当に吐血して倒れるのかは分からないが、わざわざ試してみようとは思えない。――大体、逃げたらまず暮白に斬られるような気がした。



 建付けの悪い扉はなかなか開かず、暮白は結局強引に蹴り開けた。途端、濛々と埃が巻き上がって視界が霞む。袖で口元を覆って埃を追い払ってみると、扉の奥には下に降りる階段が続いていた。隧道のように狭い通路からは生温い風が吹きあがってくる。

「地下に部屋が……?」

 埃のせいで咳き込んでいた暮白は、涙の滲んだ目で階段を覗き込んだ。

「羽根が落ちている。この先です」

「でも明かりが無いし……」

「さっき拾いました」

 がらくたの中にあったのか、暮白は燭台を持っていた。彼は慣れた様子で火鎌で火を点けている。

 もう言い訳が思いつかず、諦めて地下に降りることにした。階段には生温さと冷気が同時に淀んで、その気持ち悪い温度に安玖はうんざりと顔をしかめる。先を行く暮白は剣の柄に手を掛けていつでも抜けるようにしていた。


 やがて長い階段が終わった。壁に据え付けられた松明に火を移すと視界がわずかに明るくなる。饐えた臭いの漂う地下の空間は案外広いようで、明かりの外は濃く闇が蟠って先が見えなかった。

「……なんだこれ」

 ふと、照らされた視界に見えたものに虚を衝かれ、思わず茫然と呟いた。暮白もさすがに驚いたのか、軽く目をみはっている。

 地下の空間にはずらりと背の高い棚が立ち並んでいた。四方の壁にも棚が据え付けられている。


 ――そこにはぎっしりと仏像がひしめいていた。


 蝋燭の明かりに揺らぎ、淡い笑みの形に彫られた仏の口元が闇に浮かぶ。大きさは手のひらに収まるほどのものから小さな子どもほどのものまで様々あるが、共通しているのは素材が木であることだった。夥しい数の仏像が並んでいるのは壮観だが、虚ろな笑みが宙に向けられている様子はひどく不気味だ。

 一体どれだけの労力をかければこれほどの数を作れるのだろう。その途方も無さと異様さに言葉を失って、飾られた仏像を仰ぎ見る。


 揺れる炎の加減か、仏像の笑みはどこか嘲笑のように歪み、安玖たちを見下ろしていた。

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