三話:四

 暮白ムーバイの言った通り、円雲観には治病の祈願に来る者が多いらしく、参拝客にも老人や病人らしい者が目立った。

 拝礼の順番待ちの間、安玖アンジウが周りの参拝客から聞いたところによると、ここでは特別な丹薬が買えるのだという。


「なかなか手に入らないらしいんだけど……その薬は、どんな病でも治してくれるし、不老の効果もあるらしいの。本当かしらね」

 三人の後ろに並んでいた女はそう言って、かたわらの幼い娘の肩を抱いた。

「この子は少し身体が弱いから、とりあえず丈夫になりますようにって祈願しに来たのよ。当代の円修祖師は神医だって評判だし……」

 円修門のまとめ役は代々円修祖師を名乗るのだという。神医というと何百年も前の伝説上の医者だが、当代の円修祖師はそれに例えられるような名医らしい。


「あなたたちも祈願に来たの?」

 女に問われ、安玖は「ええ」と朗らかに頷いた。

「母の足が悪いので、兄弟だけで来たんです。ここは足にも効きますかね」

「孝行なのねえ。きっと効くわよ」

 勝手に兄弟にされた暮白と文雨ウェンユーは、白布の下で顔をしかめていた。



「どんな病でも治せる、不老の効果のある丹薬か……そんなもの無いと思うけどな」

 参拝客から聞いた話を反芻し、安玖は首をひねった。

 丹薬は二年前、円修門が円雲観を借りて活動を始めた時期に売り出したのだという。その評判もあって信者が急増したのだ。だが、そんな薬が本当に存在するのだろうか。

大夫だいふも似たようなものを売っていたのでは?」

「俺は治病が主であって丹薬を売ったのはついでですよ。不老とか凄い効果は無かったし……まあ漢方だから健康にはなっただろうけど」


 ただの漢方を不老長寿の丹薬だと銘打ったのは、単にその方が売れると思ったからだ。宣伝は多少派手な方が目につきやすいし覚えてもらえる。そう言うと、「姑息だ」と文雨が素直な感想を零した。

「詐欺師は姑息で卑怯なもんですよ。そもそも、不老の効果のある薬なんて胡散臭いでしょう」

「でも実際、ここは信者が増えています。効果の無い薬でそうなるだろうか」

 暮白が怪訝そうな視線を向けてきたので、安玖は困って顎を擦る。


「……俺の場合、これでも治病の方はまあ、一応ちゃんとやっていたんです。だから、ついでに高い丹薬を売りつけても、実際に病が治ってるもんだから騙されて買ってくれる人も多かった。ただここは丹薬が主みたいなので、他の何かに便乗して売ってる風ではありませんね」

「あなたの治病は禁術では?」

「そこは一旦置いて……ともかく、その円修祖師がよほど口が上手いのか、あるいはちゃんと何かの薬効があるんでしょう。できればその丹薬を実際に見たいけど」

「無理だよ。その薬って手に入りにくいんでしょ? 絶対高価なんだよ。度生司にそんな予算無いって」

「でも、もし仮に本当に不老なんていう薬効があったら、まずいと思うけどな」

 文雨が困惑したように沈黙したので、安玖は抑えた声で説明した。

「……そんなものを作れるのは、ほら、何か良くない術でも使ってるんじゃないかな、と」

「――禁術ってこと!?」


「声が大きい」

 暮白が不機嫌に口を挟んで、じろりと布の下から安玖をねめつけた。

「あなたも不用意なことを言わないでください」

「すみません。で、どうします? 丹薬の実物を手に入れた方が良いですよね?」

 少し間が空いて、「仕方ない」という呟きが聞こえた。

「買うのは無理です。……貰って行こう」

 安玖は思わず笑った。文雨は考えるように首をひねった後、今度は小声で呆れたように言った。

「それ盗むって意味?」

「……貰って行く」

「いやどう言い換えたって犯罪でしょ。買うのが無理なら諦めようってならないの? これだから嫌なんだよ、罪人って……」

 暮白は文雨の愚痴に全く反論できないらしい。それを見て声を押し殺して笑っていたら、容赦なく脛を蹴られた。




 それからしばらく並んでようやく本殿の中へと入り、線香を手に跪いて拝礼した。殿内には誦経の声が朗々と響き、巨大な神像の前に置かれた儀卓の上には供物が置かれ、射し込む陽に香炉に嵌まった瑪瑙が輝いている。

 ――儲かってるな。

 敬虔に祈るわけでもなく不遜にそんなことを考え、財源はどこだろうと疑問に思った。丹薬の売り上げや信者の寄付金だけでこれを維持しているのなら、安玖の想像以上に円修門は規模が大きいのかもしれない。

 そもそも円雲観を買い取った人物は、なぜ円修門にこの道観を貸したのだろう。順当に考えれば、その人物も円修門の信者なのだろうが、王靖は円雲観を買い取った人物については濁したままだった。


 安玖は拝礼を終えて立ち上がった。熱心に参拝する人々の様子に特に怪しいところは無い。周囲を見回し、近くにいた円修門の門弟らしい道服の男に声を掛けた。

「すみません、こちらで丹薬が作られているとお聞きしましたが」

「丹薬をお求めの方ですか」

 門弟は安玖たち三人を眺め、丁寧に答えた。

「丹薬は円修祖師と面会なさった方にのみお渡ししております」

「なら、どうすれば面会できます?」

「でしたらあちらの殿で受け付けております。希望者が多いのでかなりお待たせすることになってしまいますが……」

 詳しく聞くと、円修祖師の面会予定は一年先まで埋まっているらしい。どうやら、丹薬が手に入りにくいのは薬自体が高価だからではなく、その順番を入れ替えてもらうための賄賂を渡さなければならないからだった。



「――病人はそう長く待ってはいられない。丹薬を早く手に入れるために、金持ちは賄賂を渡して順番を早めてもらう……」

「良い方法ですね。薬自体は大したことない値段だから貧しい人でも縋れるし、その分順番待ちも伸びて、賄賂も増える」

「ええ、最低だね……」

 正殿の脇、目立たない場所で三人は顔を見合わせた。

「僕たちには時間も金も無いよ。丹薬がどこかにまとめて売り出されてるわけでもないみたいだし、それだと盗めない……どうする?」

 文雨の不安げな言葉に、安玖は一つ頷いた。

「でも煉丹炉の場所なら分かります。あの煙が見えるでしょう」

 本殿から少し離れた場所に白い煙がいくつか上がっている場所があった。おそらくあそこに丹薬をるための炉がある。


「川もそばに流れているみたいだし、たぶんそうです。あそこで騒ぎを起こせば、丹薬も手に入るし、大勢を引きつけられる」

 暮白も仏頂面で頷いた。

「私もそれが一番良いと思います」

「え……本当に? もっとよく考えたらもっと良い案が出るんじゃない? もうちょっと頑張ってよ」

 文雨は引き攣った顔でそう言ったが、暮白はすでに背の包みを解いて剣を取り出していた。


リー道長、頼りにしてますよ」

 半笑いで肩を叩くと、文雨は渋い表情で安玖を睨む。それでも結局彼は懐から金古紙を出した。金古紙とは大抵、神々の召請に使われるものだ。

「本当に嫌なんだけど……まあ、仕方ないか……」

 金古紙を見つめ、文雨はゆっくり溜息をついた。

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