三話:三

 三人は準備を終えて数日後、円雲観のそばにある寂れた茶屋に集まった。茶屋というより円雲観を訪れる参拝客の休憩所といった趣で、ちらほら道服姿の人も見える。

「ああ、嫌だなあ……化け物って何なんだよ? 僕も化け物になっちゃったらどうしよう……というか、なんで二人とも平気そうな顔なの? 普通怖くない?」

 文雨は朝からずっと愚痴しか言っていない。いい加減黙ってほしいと思った時、暮白が「黙れ」と素気なく言った。


「真偽の分からないことで悩んでも仕方ないだろう」

「沈道長は剣が使えるから、僕みたいに弱い人間の不安が分からないんだよ……」

「だったらあなたも練習すればいい」

「無理だって。疲れそうだし……ああ、もう帰りたい……」

 文雨はぐったりと卓に突っ伏した。額に青筋を浮かべた暮白を見て、「まあまあ」と安玖は苦笑いで仲裁に入る。

「化け物がいると決まったわけでもないし、あまりに危険だったら王靖殿が兵を送ってくれると言っていたし、大丈夫ですよ」

「兵が来る頃には僕たちみんな死んでるな……どうせ度生司の方士なんてすぐ見捨てられるんだから……僕は何も悪いことしてないのに……」

 何を言っても仕方ないと悟ったのか、暮白はすとんと表情を失くした。


「――李道長は置いておいて、円雲観へ入る方法を説明します」

 言って、彼は卓の上に白い布を置いた。

「円雲観を訪れる人は皆白い布を纏うらしいので、二人もどうぞ。浄身布と呼ぶそうです」

 陽が落ちる少し前だが、申し訳程度に整備された道にはなおも行き交う人がいた。彼らは揃って長く白い布を纏い、赤い夕陽の中をのろのろと進んでいる。茶屋にも同じ白布を被っている参拝客がいて、湯呑を手に俯いている様子がどこか薄気味悪かった。


「これさえ被れば道観に入れるんですか?」

「たぶん。ただ、参拝客はおそらく奥までは入れない。でも逃げ出した元信者が化け物を見たのは道観の深奥なので、」

「忍び込む気? 無茶だよ。僕は嫌だからね」

 文雨はまくし立てるように言って安玖を見る。加勢しろという目配せに、安玖は白い布を受け取って苦笑した。

「……行ってみないことには何とも。俺も無茶はしたくないけど、逃げてもこの枷があるし……」

 袖に隠れた刺青を擦ると、文雨は眉を下げた。

大夫だいふ、刺青を消す方法とか知らない? 多少肉が削げてもいいから消してよ」

「馬鹿なことを言わず、ちゃんと被りなさい」

 暮白は愚図る文雨の手に白い布――浄身布を押しつけた。付き合いの長さか性格故か、暮白は文雨に対してはあまり遠慮しないらしい。わずかに疎外感を覚えた自分が意外だった。

「沈道長、大夫だいふには優しいんだね」

 文雨は違う風に捉えたようで、不満顔でそう言った。暮白は少しの間固まり、それから冷めきった口調で話を戻す。


「――奥まで忍び込むのは、基本的に大夫だいふにやってもらおうと思う」

「俺ですか?」

 ぎょっとして問い返すと、相手は平然と頷いた。

「私と李道長で騒ぎを起こすので、その隙に行ってもらいたいです」

「はい?」

「僕が?」

 揃って青ざめ、二人は顔を見合わせた。暮白だけは淡々と説明を続ける。


「李道長は派手な騒ぎを起こすのが得意だし、乱闘になったら大夫より私がいた方が良い。なら忍び込むのは大夫の役割になります」

「いや、その勘違いなに? 僕のことそんな風に思ってたの? なんで? 僕は派手な騒ぎなんて起こせないし起こしたくもないって!」

「それに乱闘になったらって……だいぶ物騒ですね? 何やる気ですか? てか、俺も一人で忍び込むのは嫌だし怖いです」

 暮白はあからさまに面倒な顔をした。

「では他に案は?」

「……穏便に人目を盗んで忍び込むとか?」

 できると思いますかと真顔で問われ、安玖は肩をすくめて口を閉じた。



 ***



 円雲観の背後には伸し掛かるように山が聳えている。道観の建造物は山肌に張りつくように点在しており、木々の隙間から黒い甍が覗いていた。

 山門を潜った三人はそれを見上げて規模の大きさに呆気に取られた。

「……一体どれが、化け物がいた場所ですか」

「よく見てください」

 暮白は潜めた声で言った。

「主要な建物は全て回廊で繋がっている。それを辿って、一番右端の洞穴です」

 遠くてよく見えないが、木々の間に洞穴らしいものが微かに見えた。洞の入り口には石門があり、赤い陽射しに照らされて輝いている。

「その頭のおかしくなった元信者がそう言ったの? 信用できる?」

 文雨は憂鬱そうに頭から被った浄身布を持ち上げ、洞穴を見つめる。

「それ以外手掛かりが無い。――石門に見張りはいないし、隙をついて中に入るだけなら何とかなると思う」

「あの、中に入った後、俺はどうなるんですか?」

「そこは――頑張ってください」

「雑だなあ。大夫が戻ってこなかったらどうするの?」

 暮白はそれには答えない。文雨が同情したように見てくるのが辛かった。



 山門を潜った先は円雲観の本殿まで目抜き通りが伸びていて、小さな街のようになっていた。行き交う者が白い布を被っているのは異様だが、思ったよりも賑わいがある。どうやら、道観に住む信者とは別に通いの在家信者も多いようで、簡素な宿まで建てられていた。


 信者と同じように白い浄身布を被った三人は、誰に見咎められることもなく本殿の前まで辿り着く。拝礼の順番を待つ間、文雨は不安そうに周囲を見た。

「そもそも、なんでこんな布被るんだろ。不気味じゃない?」

「それは信者に病人が多いからだ」

「病人? 何の関係が?」

「円修門は元々、治病で有名になった方士が作った教団らしい。だから信者は病人がほとんどで、病のせいで身体を隠そうとする者も多かった。だったら皆同じように隠してしまえば目立たずに済むといって誰かが始めたという」

「はあ、なるほどね。優しさってわけだ」

 文雨はうんざりしたように呟き、安玖を見た。

「治病ってことは、大夫と同じ?」

「確かにそうですね。俺も教団とか作れば良かったかな」

 良い考えかもしれないと思ったが、暮白に睨まれ、「冗談です」とすぐ撤回した。


「大夫がこの調査に呼ばれる理由は分かったけど、僕はなんでだろう……役に立たないのに……」

 ぶつぶつ言う文雨を横目で見て、彼に聞こえないよう暮白にこっそり訊ねた。

「あのー、前に李道長は禁術を犯していないと言っていたんですが」

「……それは禁術、の意味にも拠ります」

 暮白は目を合わせずに答えた。

「禁術とは、方士の信仰に背いた外道の術だという。だが、李道長はそもそもの信仰が違った」

「……なるほど?」

 首を傾げた安玖に対し、暮白は淡々と続けた。


「私や楊道長は道観である程度修行しています。あなたも見る限り、一応修行はなさったようだ」

「本当に一応ですけどね」

「でも、道観で管理される修行者とは別に、この国には様々な信仰があります。例えば寺院もそうだし、交易で異国の信仰も混じって、民が信じるものは混沌としている。――李道長もそうです。彼は、ある土地で祭祀者として生きていた一族の一人だった」

「じゃあ方士ではない?」

「いえ、その土地に流れ着いた方士が一族の始まりらしいので、根本は私たちと同じです。でも彼らの祀る神は邪神だとされ、一族の祭祀者は皆死んだ。生き残った李道長は二年前に保護されて度生司の方士になりました」

「うわ、凄惨……」


「そうなんだよ。可哀想でしょ」

 聞こえていたのか、文雨は振り返ってそう言った。

「一方的に邪神だとか危険だとか言われてさ、みんな死んじゃうし、僕は極悪人に囲まれて変な仕事ばっかさせられるし……」

 極悪人と言われ、安玖は苦笑した。暮白は一切表情を変えずにかぶりを振る。

「実際危険だった。あなたの神は生贄を求めただろう」

「そういうものなんだから仕方ないのにさあ……」

「それに禁教令にも従わなかった。再三警告したのに」

「だってやめろって言われてすぐやめられると思う? 横暴なんだよな、いちいち。円修門の人たちも可哀想かも……」

 文雨が投獄された意味をなんとなく理解し、徐々に先行きが不安になってきた。


「……沈道長、度生司の方士って今まで何人くらい死んでます?」

 暮白はちらりと安玖を見て、ゆっくり首を横に振った。

「知らない方が良い。ただ、十年前、度生司が作られた当初にいた方士は誰も残っていません」

「……あの、俺が死んだら供養は頼みます」

 半ば本気でそう言うと、暮白はなぜか少しだけ表情を緩めた。

「あなたはあまり死ななそうだから大丈夫」

「それは……え、俺が図太いって意味ですか?」

 その問いには返事をせず、暮白は背負った剣を軽く叩いた。

「いざとなったら私が何とかする。二人はとにかく、騒ぎを起こすまでは目立たないように気をつけてください」

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