二話:七

 無責任な噂話をしたところで、不意に部屋の扉が開いた。ぞろぞろと中に入って来たのは荷華仙女の護衛の男たちで、彼らは無愛想に三人を見た。

「反抗したら殺す。ついて来い」

 頭目らしい男が簡潔に言った。一体どういうことなのか訊こうと思ったが、質問を許されるような雰囲気ではない。


 剣を向けられて促され、立ち上がろうとし――暮白ムーバイとまだ手首の紐で繋がっていることを忘れていた。重みに引っ張られて座り込む。

「ちょっと、ヤン道長、これどうするんですか?」

 あっさり立ち上がっている楊汐ヤンシーに囁くと、彼女も小声で言い返してきた。

「外したら駄目ですよ。引きずったり何なり、なさってください」

「……引きずったら目覚めた時に殴られませんか?」

「では背負えば良いでしょう」

 嫌だったが、周りの男たちの目がどんどん険悪になっていくのを見て、仕方なく暮白を引っ張り起こした。微妙な長さの紐が邪魔で、楊汐に手伝ってもらって何とか暮白を背負う。


 乱れた白髪が首筋をくすぐった。弛緩した身体は冷えて呼吸も浅く、まるで死体を背負っているようだと思う。剣は楊汐が持ってくれたせいもあるが、暮白の身体は驚くほど軽かった。

 看病していた間も思ったが、彼は心配になるほど食が細いのだ。暇つぶしも兼ねて色々工夫して粥を食べさせてみたものの、あまり努力が報われたように感じられない。不健康は改善させなければと思ったが、そもそもここから生きて出られるのかが分からなかった。


 小突かれて地下牢のような部屋から出て、石段を上っていく。楊汐は傍目には落ち着いて見えたが、その顔色はさっきより白かった。

「……これ、殺されるんですかね?」

「分かりません……まだ大丈夫なようですが」

 護衛に聞こえないように囁くと、楊汐は強張った顔を見せた。

「いざとなっても助けは来ません。駄目そうだったら調査は諦めて、どうにか逃げましょう」

「どうにかする策がおありですか」

「……まあ、一応」

 その心許ない返答に、目覚めなかった方がましだったかもしれないと思った。



 石段を上った果てに、安玖アンジウたちは広い部屋に通された。磨かれた床には胡風の絨毯が敷かれ、玻璃窓から柔らかに月明かりが射し込んでいる。すでに日は暮れているようだ。安玖は自覚しているよりずっと長く目覚めなかったらしい。

 正面には荷華仙女が座っていた。彼女は剣を突き付けられながらやって来た三人を見て薄く微笑む。

「やっぱり、自力で目覚めたわね。一人起きていないようだけど」

 彼女は頬に手を当て、困ったように優美に眉をひそめた。

「あなたたち、あたしのことを探りに来たんでしょう? 度生どしょう、だったかしら」


「――知っているの」

 楊汐は虚を衝かれたのか、ただ茫然としたような声で呟いた。

「おかしい。度生司は巷間に知られていないはずなのに」

 確かに罪人を使っているなどと公言できないだろう。荷華仙女はただ微笑を湛えた。

「おかしくなんてないわ。あたしは何でも知っているし、何でも見えるもの」

「――客の誰かから聞いたのね?」

「どうかしら。楊汐、あなたは色々な呪具を作って人を呪ったり、酷いことをたくさんしたわね?」

 楊汐の顔から血の気が失せる。

 仙女は陶器のような白い腕を伸ばし、盆にあった酒杯を持ち上げた。

「そんなに酷いことをした人が許されるのに、あたしの何が駄目なのかしら。そっちで眠ったままの沈暮白も、本来は死罪だったのにまだ生かされている。――まあ、彼は自分の望んだ世界から帰ってこれないようね。当てが外れたわ」

 どうやら、楊汐の呪具で眠っているのを勘違いしているらしい。楊汐が何か言いかけたのを目線で制し、安玖は気弱な笑みを浮かべた。


「あの……当てが外れた、とは?」

 荷華仙女は初めて安玖を見た。

「あなたは――」

 彼女は少しだけ視線を彷徨わせた。

「……質問できる立場だと思う? 今すぐここであなたたちをさっきの部屋へ閉じ込めることもできるのよ」

「ではなぜここに連れて来られたんでしょう?」

 窺うように問うと、荷華仙女は余裕ある笑みを再び浮かべた。


「あたしは何も悪いことはしてないって教えてあげるため。夢を見たら分かるはずよ。みんな、なぜあたしに会いに来るのか。――みんな、あの理想の世界から帰りたくないのよ」

 だから、と彼女は酒杯を揺らす。

「望まれるから、見せているだけ。どうすればあの世界に近づけるのか聞かれるから、答えてあげる。それでもみんな、いずれ気づくの。現実を変えるより、夢の中で生きていけばそれで良いんだって」

 楊汐は目を細めた。

「そんなもの、幻に過ぎないわ」

「でも見ている人にとっては本物だもの。ずっと夢を見ていたい、そうしてくれって懇願されるから、あたしはその通りにしてあげる。誰も不幸になってないでしょ?」

 なるほどな、と頭の片隅で冷静に考えた。


 最初は浅く術に掛けて、その人の理想の世界を夢に見せる。やがて自然に夢から醒めるから、その後で仙女は理想に近づくための助言を授ける。彼らは仙女の不思議な術で自らの望みを見抜かれ、夢を見せられたと思っているから、助言を信じる者もいるだろう。

 だが、助言を実行しても意味は無い。やがて夢の世界が恋しくなって、彼らはまた仙女の元を訪れる。それを繰り返しながら金を搾り取り、限界まで貢がせればあとは用済みだ。現実に帰りたくなくなった彼らは夢に魂を囚われ、現実の身体は抜け殻のようになる。

 だが、あれは仙女の力ではない。安玖たちが夢を見た原因は、彼女が方術を使ったからではない。

 荷華仙女のそばの燭台に火のついていない赤い蝋燭が立てられている。おそらくあれが、証拠になるはずだ。



 しかし、仙女の奇妙な術の種が割れたところで、彼女が安玖たちを捕らえた意図も、そもそも度生司を知っていた理由も、失踪にどう関わっているかも分からない。ここからどうすれば良いか必死に考えながら、時間稼ぎのために口を開いた。

「しかし、あなたの客が失踪しているという話があります。夢に魂が囚われた者たちが失踪している。――彼らの身体はどこへ行ったんですか?」

 仙女は薄笑いで首を傾げた。

「さあ。少なくともあたしは、そんな抜け殻みたいな人間に用は無いわ。用があるのはあなた方よ」

 不意に、背中越しに暮白がわずかに身じろぎしたのが伝わってきた。それが知られないよう、安玖は意図して声を大きくした。

「俺たちに? どういう意味ですか?」

 間抜けな顔でそう言って、まじまじと仙女を見る。彼女は少し鬱陶しそうに眉を寄せた。

「あなたは別にいらないんだけど――ねえ、あなたたち、度生司から抜けたいと思わない?」


 さすがに予想外の申し出だ。楊汐が大きく目を瞠った。

 荷華仙女は紅を引いた唇で弧を描く。

「禁術なんて勝手に決めつけられて投獄されたけど、上手く使えば禁術だって立派に役に立つものよ。そう思ったことはない?」

 思うも何も、そういうものだ。禁術は人の欲望を良くも悪くも叶えるもので、役に立つからこそ無くならない。

「罪っていうけど、何が悪いのかしら。楊汐だって、依頼があったから他人を呪っただけで、自分が憎い相手を苦しめたことは無いでしょう。それは、依頼した客が悪いんであって、あなたの罪ではないわ」

「……」

 呪詛を商売にしていたということだろうか。荷華仙女の言うことは当たっているらしく、楊汐は反論せずに顔を伏せた。

「沈暮白も、ただ人を助けたかっただけよ。何の罪も無い娘が死んでしまうのが嫌だっただけ。でもあなたたちの考え方だと、死ぬのも罪の結果――だったかしら」


 ――人が死ぬのは、その人が罪を犯したからだ。

 何の罪も無い人は不老不死の仙となって天界へ上る。罪のある人は死んで、九泉よみへと下る。そして三つの悪道のどれかに堕ちて苦しむことになる。

 荷華仙女の言う通り、一時修行した道観でもそんなことを教えられた。安玖はそれが全く理解できなかった。死なない人はいないのだから、それでは全員罪人になってしまう。だからこそ仙になるために修行をするのだと説かれたが、急に馬鹿馬鹿しくなって道観を出た。



 荷華仙女は嗤っている。暮白の身体が微かに震えているのが伝わってくる。

「そんなの馬鹿らしいわよね。だから、あなたたちが禁術を犯したのは仕方ないことなのよ。度生司にいる必要なんて無い。――ねえ楊汐、あなたなら度生司の方士たちを縛る呪詛を解けるんじゃないかしら? もちろん、抜けた後はあたしが支援してあげる。悪い話じゃないと思うわ」

「……そんなこと、できない」

 楊汐は掠れた声で答えた。動揺のせいか顔を上げない彼女を見て、これはまずいかもしれないと思う。できるだけ話を聞き出したかったが、そろそろ限界だ。


 安玖も、馬鹿らしいという仙女の意見には賛成だ。そう思ったからまともに修行ができなかった。その考えは今でもあまり変わっていない。


「――でも、禁術を犯したのは仕方ないっていうのは違うな」


 呟くように言うと、仙女は怪訝にこちらを見た。

 それを見つめ、安玖は顔を歪めて笑う。

「禁術を犯したのは、俺たちがクズだったからだ。何も犠牲にしない都合の良い術なんて存在しない」

 理由はどうであれ、禁術を使うために何か犠牲にしたものがあるはずだ。だから安玖たちはれっきとした罪人で、わけも分からないまま不幸な目に遭ってしまった人とは違う。


 仙女が何か反論するより先に、大きな声で被せた。

「俺たちは度生司に縛られる必要がある。仙女様の誘いには乗れないな」

 禁術を犯した罪人は天界にも浄土にも行けない。――だから九泉じごくに落ちるしかない。

「そう言いたいんでしょう、沈道長」

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