二話:六
「――
揺すぶられる感覚で目が覚めた。
意識が戻った途端に腹部や頬に痛みを覚え、呻きながら身を起こす。手を貸してくれた
「……あちこち痛いです。腫れてるし……」
「意識の無い人を殴るのは、私は反対したんですよ。でもこのままだと
彼女の言い訳と説明を聞き流しながら周囲を見ると、そこは荷華仙女と対面した部屋ではなく、薄暗い石壁に囲まれた空間だった。――まるで地下牢だ。
「……ここ、どこですか?」
「分かりません。目が覚めた時にはここに入れられていました」
まだ頭の芯が鈍く痛んでいる。視線を巡らせると、すぐ隣に暮白の身体が横たわっていた。眠っているのか、蒼白な顔は死人のようだ。
ぎょっとして身を引こうとしたが、抵抗を感じた。――自分と彼の手首が奇妙な細い紐で繋がっている。
「あ、その紐は無理に解かないで!」
楊汐は慌てたように言った。
「それはあなたの夢に入るために使った呪具です。
「……は?」
わけが分からなかった。遅れて、暮白が夢の中で何をしたのか思い出す。顔をしかめた安玖に気づかず、楊汐は鬱陶しそうに簪を引き抜いていた。
「私たち、荷華仙女の術に嵌まってしまったみたいです。元から怪しまれていたのかもしれませんね。気づいたらここに閉じ込められているし、あなたは全然目覚めないし」
「俺は……そうだ、あなたも沈道長に起こされたんですか?」
問うと、彼女はかぶりを振った。
「いえ、私は念のため術除けの護符を持っていたので大丈夫でした。ただ香の煙に何か仕込んであったのか、二人と同じように気絶してしまって」
身体が怠く痺れているのは、術というより煙に仕込まれていた毒か何かのせいらしい。
「……というか、そんな護符あるなら俺たちにもくれれば良かったのに」
「駄目ですよ、術の正体が知りたいんだから、お二人には犠牲、いえ、貢献してもらわないと。それで、浄土だとか理想だとかは見えました?」
答える気も失せて溜息をつく。まだ生温い液体に触れた指先の感覚を覚えていた。
「まあ、夢は見ましたが……」
詳しく夢の内容を説明するのは嫌で、話を変えた。
「じゃあ沈道長は、あなたに起こされたんですか?」
「いや、彼は自力で起きたみたいです。次に私が起きて、最後があなたです。でもあなただけ全然目が覚めないから、私の呪具を使って起こそうということになって……あら、怒ってらっしゃる?」
「いえ、別に」
自力で起きた――安玖よりも術の効き目が薄かったのか、あるいは、と思ったところで考えるのをやめた。
こうして目覚めると、暮白は何も間違ったことは言っていなかったと分かる。夢への執着が強くて目覚めないのなら、執着する原因を消せば良い。だが、それが分かったところで実行できるか否かは別の話だ。
しかし、彼に助けられたのは事実だった。あのまま目覚めずに死んでいたらと思うと恐ろしい。掃き溜めでも何でも、幻に囚われるよりはまだましだ。――そのはずだ。
それでも素直に感謝する気になれず、複雑な気分で隣に横たわる暮白を見た。
「――自力で起きられるなんて、凄いですよね」
安玖の思考を読んだかのように、楊汐が嫌な笑いを浮かべてそう言った。
「自分の理想の世界からすぐ目を覚ますなんて、私だったら無理だもの。だから
容赦なく安玖の養母と兄を斬った暮白の姿を思い出す。彼も自分の執着や未練を、ああやって斬り捨てて目覚めたのだろうか。
「彼はいつ目が覚めるんですか?」
「分かりません」
楊汐はあっさり答えた。
「その呪具は完成させる前に投獄されたのでまだ試作だったし、夢に入った人が目覚めずに衰弱死する不幸な事故も時々起きてました。三割くらいの確率で」
「まあまあ高いな……」
荷華仙女の術よりずっと悪質なのではないか。楊汐が投獄された一因かもしれないと思う。
「どうせ度生司なんて使い捨てなのに、沈道長が、
「仲は――別に良くないですが」
多少は打ち解けたが、彼の人柄はよく分からないままだ。どんな罪を犯したのかも、見当すらつかなかった。
ただ、幻とはいえ、あれほど躊躇なく人を斬れるのは異常な気がした。
「沈道長は、人を殺したことでもあるのか……」
「え?」
思わず呟いて、失言に気づいて口を噤む。
楊汐は奇妙な表情をした。困惑と可笑しさが入り混じったような顔だ。
「彼がなぜ捕まったのか、ご存じないのね?」
「……死刑のはずだったとは聞きました」
「まあ、私も噂程度でしか知りません。あまりご自分の話をしないので」
彼女はまだ目覚めない暮白に視線を向けた。
「でも確かに、度生司でも死罪相当の方士は珍しいですね。人を殺していてもおかしくない」
世間話のように軽く言うことではない。困惑と忌避を露わにした安玖に対し、楊汐は声を潜めて言った。
「これは噂なので真に受けないで欲しいのですが」
楊汐はそう前置きし、いっそう低い声で囁く。
「沈道長はさる高貴なご令嬢を盗んだそうです」
「……は?」
あまりにも予想外な話に虚を衝かれて目を見開く。盗んだ、という言葉に、楊汐の作り上げた茶番を思い出した。常に仏頂面で愛想も無い男だが、恋人でもいたのだろうか。
「――まさか、駆け落ちとか?」
その問いに、いいえ、と楊汐は薄っすら笑った。
「正確には、ご令嬢の死体を盗んだとか」
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