一話:二
結局寺院に入るしかなくなり、
割れた石畳を踏みしめると、乾いた空気に硬質な音が響いた。冬も終わるが、まだこの辺りは肌寒い。
先を歩く暮白の背は痩せていた。身長も安玖より少し低く、全体的に血の気の無い見た目はあまり凶悪そうには見えない。しかし、彼も何か禁術を犯した罪人のはずなのだ。一体何をやったのだろうと思ったが、あまり触れてはいけないような気がして訊けなかった。
だが罪人にしろ何にしろ、これから同僚になるのだ。せめて表面だけでも円滑に仕事をしたいと思い、安玖は敢えて明るく問い掛けた。
「
道長とは道士の尊称だ。ちらりと振り返った暮白は、すぐに視線を逸らした。
「
全く友好的ではない素っ気ない返答に怯まず、重ねて問いかける。
「あの、俺は度生司についてほとんど何も知らないのですが。まず俺たちの他にどんな人がいるんですか?」
暮白は少し沈黙を挟み、言いにくそうに答えた。
「……本当は今日、もう一人、方士が来る予定でした」
「え、そうなんですか? その人は一体――」
「逃亡を企て、血を吐いて倒れました。今は貧血で寝込んでいるはず」
「は? 逃げたんですか?」
「気にしないでください。彼は調査に出るのが嫌で、わざと逃亡を図って寝込んでいるだけで――よくあることです」
「……その人、いる意味あるんですか?」
「ごく稀に役に立ちます」
ごく稀、と復唱し、安玖は憂鬱に眉をひそめた。――やはり、妙な人間が多いのだろうか。
自分を棚に上げてそう思うかたわら、暮白は説明を続けた。
「あとは
へえ、と呟いて黙り込む。なぜいなくなったかを問う勇気は無かった。
話すうちに正面の大殿に辿り着く。左手には鐘楼の屋根が見え、右手には経典を収めた蔵があった。見上げると、黒い甍に陽射しが照り返して網膜に影が焼きつく。
どこも荒んだ有様で、まだ建っているのが不思議なほどだった。入ったら死ぬという噂が無くともあまり入りたくはないなと思う。暮白はあの噂をどう思っているのか、怯みも恐れも無くただ殿堂を見つめていた。
大殿に続く石段に足をかけた暮白は、不意に安玖を振り返った。
「――
彼は言いながら、背負った長剣の包みを解いた。中身は予想通り七星剣らしい。鞘に優美な装飾があしらわれた宝剣のような見た目で、罪人には不釣り合いなほど良い代物に見えた。
「しかし、来たからには油断しないように。私はあなたが危ない目に遭っても助けるほど親切ではない」
冷えた声音は明らかに冗談ではなく、彼が本気でそう思っているのだと分かる。面食らった安玖に構わず、彼はさっさと石段を登っていった。
――つまり、自分の身は自分で守れということか。
もう少し言い方があるだろうと思いながら、安玖は肩をすくめて後に続いた。
***
大殿の中は饐えた臭いが漂っていた。正面にあったはずの仏像は盗まれたのだろう。代わりに誰かが投げ入れたらしい
無遠慮に上がり込むと、薄く積もった埃の上に足跡が残る。しばらく見回しても不審なところは無く、ただの廃寺にしか見えなかった。
「これで俺たち、数日後に死ぬことになるんですか?」
「さあ。……でも、こんな場所に浮浪者が棲みついていないのは妙です」
確かにそうだった。雨風を凌げる屋根があり、敷地も広いのに誰も棲みついていない。浮浪者の間でもあの噂が信じられているのだろうか。
いくら元・道医といっても、祟りや呪いに詳しいわけでも馴染みがあるわけでもない。多くの道士は本物の妖魔邪祟には遭遇せずに一生を終えるだろうし、そもそも本当に駆邪の力を持つ同業者はほとんど見たことが無かった。
禁術を犯して捕まったはずの暮白はおそらく本物なのだろうが、どうしても疑いが先に立つ。大体、この寺院の噂もどこまで本当か分からない。不幸な偶然が連続して人が寄りつかなかっただけとも思えるからだ。
形だけ廃墟の中を探索しながら、床に積まれたがらくたを漁っている暮白に声を掛けた。
「直近で、ここに入ってすぐ亡くなった人はいるんですか?」
「……いや、ここ数年はほとんど誰も近づいていないし、風邪で死んだとしても怪しむ人はいないだろうから、把握できていません。ただ五年前、ここを取り壊そうとして具合が悪くなった
「どのような症状ですか」
「熱と寒気、咳とかで、まあ風邪だろうと……ただ、雇われた役夫の大半が半日で寝込んでしまったので、疫病で全滅した僧侶の祟りじゃないかと噂が立ちました」
暮白は資料を諳んじるように淡々と答えた。
「それ以来、何度か取り壊そうとしても同じようなことが起きるそうです。……あと関係あるか分かりませんが、役夫の中には、寺院には鳥が棲みついているようだと言う者もいたと」
「鳥?」
脈絡のない単語を聞き返すと、彼はこちらを振り返った。
「妙に大きな鳥がいるとか。顔が疫病で死んだ坊主だったとか鳴き声が恨み言だったとか、よく分からない噂もあります」
そんな鳥がいたら確かに印象に残るだろうが、あくまで噂の域を出ない。寺に棲みついた野生動物を見間違えでもしたのだろうか。
怪訝に首を傾げた安玖に対し、暮白はふと身を屈めて床から何か拾い上げた。
「――確かに、どこかにいるようだ」
独り言のように呟いた暮白が拾い上げたものを見て、安玖は瞠目した。
彼が手にしていたのは、真っ白な鳥の羽根だった。
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