第一話 廃寺の仏

一話:一

 珂泉かせん桂昌けいしょうの外城、無計画に拡大された王都の外れは破落戸と花子ものごいの吹き溜まりになっている。その北端、二十年前に廃れた寺院が閑地の中にぽつんと佇んでいた。


 安玖アンジウは門前に落ちた瓦の破片を足先で転がしながら、薄闇の巣食う寺院とその門を見上げる。見た目には単なる廃墟だが、ここに入った者は皆死ぬという不吉な噂があった。

 そんな場所に入りたくはないが、仕事だから仕方ない。度生どしょうに配属されて三日、早速任務が下ったのだ。

 正直度生司については今でも理解していないことの方が多いが、王靖ワンジンに命じられたことは簡単だった。――寺院の噂の真偽を確かめ、本当なら原因を見つけ、解決すること。



 牢獄で面会した後、王靖は本当に安玖の身柄を牢獄から出し、桂昌にある古い道観に連れて行った。そこを改築して度生司の官署やくしょとして使っているそうで、所属する方士は皆牢房じみた狭い部屋をあてがわれて住んでいるという。住むというより、収容されている、という言葉の方が合っていた。

 安玖を度生司の官吏として雇うためには煩雑な手続きが必要なようで、それから二日は部屋に閉じ込められて王靖の持ってくる書状にひたすら署名し続けた。それがようやく終わったと思えば妙な寺院に行ってこいと言われ、ろくな説明もされないまま馬車に押し込まれて外城まで連れ出された。馬車の揺れは酷く、今も身体が揺れているような心地がして気分が悪い。


 しかし単なる噂を、仮にも国の官署が調査するとは奇妙なことだ。しかも調査を行うのは流刑や死刑になるはずだった大罪人の方士ばかり。果たして上手くやっていけるのだろうかと憂鬱になるのは、同行人のせいもあった。


 基本的に度生司の方士は二人以上で任務に当たるらしい。今回、安玖と共に寺院を訪れた方士は度生司に五年いるという男で、今は隣でぼんやりと寺院の様子を眺めていた。

 安玖よりは年上に見えるが、三十にもなっていないだろう。彼は長剣を背負って姿勢良く立っている。王靖以上に表情の無い顔が異様だが、何より目立つのは髪の白さだった。――彼の結い上げられた髪は、老人のような総白髪だったのだ。


 寺院に辿り着くまで一言も喋らなかった相手に対し、その髪は生まれつきか何かの病か訊いていいものか迷っていると、彼の方から安玖に声を掛けてきた。

アン大夫だいふ、で合っていますか?」

「あ――ええ、はい。安玖です」

 大夫いしゃと呼ぶのは嫌味なのかと思ったが、相手は何のこだわりも無さそうだった。

「私はシェンです。シェン暮白ムーバイ

 無愛想に名乗った彼は、特に興味は無さそうに安玖を一瞥し、目を逸らした。

「あなたは度生司に配属されたばかりと聞いたので、簡単に説明します。まずこの寺院の噂はご存じですか」

「一応……入った者が死ぬ、ということだけ。でも普通の廃墟に見えますね」

 暮白はわずかに眉をひそめると、寺院へ視線を向けた。


「この寺院に入ったら死ぬ――二十年前に僧侶が全員寺院の中で死んでいるのが発見されて以来、そういう噂があるそうです。ここに入った者は大抵、個人差はあるものの数日以内に風邪のような症状が現れて死んでしまう。ただ、入っても死ななかった人はいるので偶然の可能性もありますが」

「坊主が祟り殺してるんですかね?」

 安玖の冗談は黙殺された。場を和ませようとしたが裏目に出たらしい。暮白は冷めた表情で淡々と話を続ける。

「僧侶の死因は疫病のようです。狭い空間で感染し、助けを呼べないまま全滅してしまったと。……なので、入った者が死ぬのは僧侶の恨みのせいではないかという噂も確かにある」

 どうやら真面目に受け取られたようで、それもそれで気まずかった。安玖は咳払いして質問する。

「単に取り壊しては駄目ですか? 噂が本当にしろ嘘にしろ、この寺を潰してしまえば関係無いでしょう」

「取り壊そうとした人も皆具合が悪くなって頓挫しました。土地を買い取る人もいないので、結局放置することにしたそうです」

 確かに、本当にそんなことがあれば不気味ではある。祟りかもしれないと思うのも無理はない。――本物の祟りや呪詛だとすれば、嫌だなと思う。


「あなたはどうお考えですか? 病で死んだ僧侶が祟っていると思います?」

 訊いてみると、暮白はしばらく沈黙し、やがてかぶりを振った。

「まだ分かりません。祟りかもしれないし、偶然かもしれないし、がいるのかもしれない。何にせよ、警戒すべきだ」

「でも警戒といっても、俺にできることなんてほとんど無いですよ」

 安玖は、頼りなく見えると自覚している笑みを浮かべた。

「ご存じかもしれませんけど、俺は偽物の丹薬を売って捕まったような詐欺師です。治病の儀礼なら多少はできますが、祟りとか化け物をどうこうできるほど強くないというか、そんな能力は無いというか……」

 ちらりと暮白の背に目を遣る。――彼の背負う長剣はおそらく道士が破邪に使う七星剣しちせいけんだ。度生司、という名称からも想像していたが、やはり〈駆邪〉が主な仕事内容ではないだろうか。


 度生どしょうとは、主に祭典や祈福、そして駆邪を指す言葉だった。反対に度死どしという言葉もあり、それは葬儀などの死者儀礼を示している。

 安玖が行っていた治病の術は度生に入るが、妖魔邪祟を祓う駆邪はあまり得意ではなかった。理由は簡単で、疲れるからだ。それに剣を振るったら力が足りずに落とすか自分の足を斬りつけると思う。


 だからそんなに期待しないでほしいという意味を込めて暮白を窺ったが、彼は死んだような無表情で見つめてきた。

「いくら詐欺師でも、度生司に配属されたならある程度は方術を使えるはずですが」

「それは……まあ……」

「護身もできるはず。それともここに入りたくないんですか?」

 当然入りたくないに決まっている、と思ったが、さすがに声に出しはしなかった。ただ曖昧に笑って目を伏せる。

 安玖のことを足手まといになると思って外に置いて行ってくれないかと思ったが、そう上手くはいかないらしい。その思惑を察したのか、暮白は無表情で自分の手首を指差した。


 彼の両手首には手枷のように黒い文字がぐるりと刻まれていた。安玖にも同じ刺青が彫られている。度生司に配属されると正式に決まったあとで彫られたものだ。

 刺青は昔から罪人の証だ。おそらくそういう意図で刻まれたのだろうと思っていたが、暮白は真顔のままとんでもないことを言った。


「これは呪詛のろいです。逃亡しようとすると倒れるまで血を吐いて動けなくなる」


「……はい?」

 茫然と聞き返した安玖は、慌てて自分の手首を見た。

 まさかこれは呪句だったのだろうか。見たことのないものなので気づかなかった。

 暮白は軽く文字を撫でる。

「命じられたことに従わなければ逃亡と見なされる時もあります。試してみたいなら止めませんが、あまり勧めません」

 彼は死体のように淀んだ目で安玖を見た。


「最悪――これで死ぬこともあるので」

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