三話:九
あちこちで焚かれた篝火が道観の山門を照らしている。空の濃い闇は押しのけられ、円雲観の周囲だけ昼間のように明るかった。
鐘の音と混乱はようやく鎮まってきたものの、門弟たちは煉丹炉を襲って丹薬を奪った賊をまだ探していた。当の賊である
てっきり安玖は
「なんでこちらに残ったんですか?」
抑えた声で背後の男に問うと、優しいようにも胡散臭いようにも見える笑顔が返ってきた。
「俺たち仲間じゃないですか。こんなところに一人で置いていけませんよ」
本気でそう言っているように見える分、逆に怪しかった。
「別に……仲間ではないと思う」
「え? 悲しいなあ、同じ罪人なのに。まあ確かに俺は死罪じゃないけど」
「罪人仲間がいて嬉しいですか?」
「少なくとも俺は嬉しいですよ」
最悪だと思ったが、真面目に返答するのが面倒になった。黙っていると相手は勝手に喋り続ける。
「本当のところ、
「私は逃げたりしませんが」
「どうだか。
「……そうだとして、
「あります。あなたがいなくなったら仕事が大変になるし王靖殿に怒られる」
言って、安玖は表情を微妙に歪めた。軽薄さの裏にある暗い目つきに、彼が自分を疑っているのだと悟った。
「で、円修祖師に会える手段が何かあるんですよね? でないとさすがに、一人で残るなんて言わないでしょう」
暮白は溜息をつき、安玖から目を背ける。彼の察しの良さと計算された無神経が少し腹立たしかった。
「……確実な手段ではないし、
「逆に今まで、身の安全が保障されてた時ってありました?」
安玖は呆れたように問い返す。その態度に眉をひそめ、彼が身を隠すために被っていた浄身布を無言で剥ぎ取った。
薄闇でよく見えないが、安玖はぎょっとしたようだった。それに少し胸がすく思いがする。
「え、ちょっと、見つかるじゃないですか!」
「構いません」
焦る安玖の腕を掴み、堂々と建物の陰から出た。周囲を見渡し、すぐそばに松明を掲げた門弟の男を見つける。躊躇わずそちらへ足を向けると、安玖が狼狽したように囁いてきた。
「あの、俺やっぱり帰りたくなってきたかも……」
「今さら遅いです」
小声で言い争いながら自分の被っていた浄身布も剥ぎ取って捨てる。乱れた白髪が篝火に照らされ、門弟は暮白の異様な風貌に気づいてこちらを見た。じろじろと白髪を眺め、探るように眉をひそめる。
「――誰だ?」
松明を突き付けられ、眩しさに目を細めて足を止めた。
「……沈道長、どうするんです?」
背後で所在無さげに立っている安玖を一瞥し、自分の袖を捲った。慌てて止めようとしてくる安玖の手を振り払い、門弟に自分の腕を突き付ける。
手首の黒い刺青が露わになり、松明の炎に照らされて濃淡を変えた。手枷のようなそれはあからさまに不穏だ。
怪訝に暮白を見た門弟の男は、刺青に気づくと、徐々に驚愕と興奮を露わにした。その態度に、当たりかもしれないと胸の内で思う。
少しの間、探り合うような沈黙が落ちた。先に口火を切ったのは向こうだった。
「――あなた方は、もしや、度生司の?」
門弟の男が低く囁いた言葉に安玖が息を呑むのが分かった。暮白は平静を取り繕って口を開く。
「私は度生司の沈暮白だ。円修祖師にお会いしたい」
男は目を瞠り、忙しなく刺青と暮白を見比べた。安玖が何か言いかけたのを、脛を蹴って止める。彼に余計な口出しをされたくなかった。
「以前の……荷華仙女の誘いに乗ると、伝えてもらえれば分かるはず」
慎重に言葉を選び、暮白は刺青を見せつけたまま淡々と告げた。
「――私を、度生司から抜けさせてほしい」
九泉に沈む 陽子 @1110
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