第二話 荷華仙女

二話:一

 安玖アンジウは全く予想していなかったことだが、度生司というのは案外忙しいらしい。

 暮白ムーバイの体調が恢復し、安玖が看病から解放されると同時に、次の任務が長官の王靖ワンジンから言い渡された。



「もうちょっとこう……休暇とか無いんですかね? 許可取らないと外出もできないし、その許可自体全然取れないし……」

「我々は本来囚人です」

 愚痴を零す安玖に対し、呆れたように暮白は答えた。

「休みなど無いし、火急の用が無ければ外出は許されない。当たり前だと思う」

 看病する間に多少は打ち解けたが、それで分かったのは暮白が呆れるほど生真面目だということだった。少しくらい娯楽があっても良いんじゃないかと思ったが、否定されるのは目に見えていたので適当に頷いた。

「言ってみただけです。でも、任務があった方が外に出られて良いかもな……俺、久しぶりに大通りを見ました」

 二人が現在歩いているのは、桂昌けいしょうの中心にある大通りだった。多くの店が軒を連ねたひる近くの通りは活気に溢れている。馬車を用意されなかったということは官署から近いのかと思っていたが、まさか桂昌の街中に化け物が出たのだろうか。


「あの……まさかと思いますが、また変な疫病神とか出て来ませんよね? 俺、ああいうの向いてないです」

「それは――大丈夫だと思う」

 暮白は軽く首を傾げた。

「今回、私たちは先に調査を行っていた方士の補佐です。ずっと調べている案件が、どうも埒が明かないらしい」

「方士? 誰ですか?」

 ろくに部屋から出られないので、安玖はまだ暮白以外の方士を知らなかった。暮白は説明に困ったように眉をひそめる。

「……楊汐ヤンシーという方です。度生司に入って六年になる。彼女は荒事には向かないので、一人で事前調査を行うことが多い。普段は、例えば――前に行った廃寺の噂のようなものを聞き集めて、どれが度生司で対処すべき案件か精査しています」

「なるほど」

 そういう役割の方士も確かに必要だろう。

「仕事柄、いつも出歩いているので、あまり官署やくしょでは姿を見ません。気難しい方ではないが……」

 暮白は言い淀む。何か問題でもあるのだろうかと思い、そもそも問題ある罪人でなければ度生司にいるはずがないと思い至って少し苦笑した。

「……まあ、変わった方です。でも有能だ」

 誤魔化すように言って、暮白は手首の刺青を指差した。

「彼女以上に呪詛に詳しい方士はいないと思う。――この呪詛のろいも、彼女が考案したものです」



 ***



 二人が辿り着いたのは桂昌の東、酒楼や賭場の集まる瓦市がしと呼ばれる歓楽街だった。

 まだ日暮れ前にも関わらず、管弦の音や酔漢の囃し立てる声があちこちから響いている。猥雑な喧騒に暮白ムーバイは呆気に取られ、安玖アンジウは微妙に苦笑いした。

「……本当にここで合ってます?」

「ここに来いと言われました。詳しいことはヤン道長に聞かないと分からないんだが……」

 道服の二人は明らかに目立っている。安玖がこそこそと視線を避けるように俯いて歩くのを見て、暮白は怪訝そうに言った。

大夫だいふ、前を見ないと危ない」

「いや、ちょっと支障が……」

「は?」

「俺のことは気にしないでください」

「……顔を見られると困ることでも?」

 疑わしげに問われて安玖が返答に窮した時、雑踏の中から「シェン道長」という呼びかけが聞こえた。

 それは明らかに暮白のことだ。声のした方向を見ると、人波の中に道服姿の若い女が立っていた。

 薄く微笑んでこちらを見ている彼女は肩あたりで艶のある髪を切り揃えており、その目立つ風貌に視線が集まっている。――あれが楊汐だろう。


 彼女は悠々とこちらに近づいてくると、闇が凝ったような黒い瞳に笑みを滲ませた。

「沈道長、お久しぶりです。そちらは?」

 見つめられ、安玖は愛想笑いで答えた。

「安玖です。最近度生司に配属されました」

「ああ、新しく来た道医の方ですね。私は楊汐ヤンシーといいます」

 目つきは多少剣呑だが、暮白よりはずっと気安い態度だった。無愛想な方士ばかりだったらどうしようかと少し不安だったので、内心安堵する。

 暮白は楊汐の視線を避けるように俯いて黙っていた。どうしたのだろうと思っていると、楊汐はにっこり笑いかけてきた。

「――これ」

 彼女は自分の手首を見せてきた。蠟のような白い肌には濃く呪詛が刻まれている。

「もうお試しになりました?」

「……はい?」

 試す、の意味が分からなくて聞き返す。助け舟を求めて暮白をちらりと見遣ると、彼は困り果てた顔で小さくかぶりを振った。

「うーん……まだ?……ですね……」

 安玖が若干引き攣った笑顔でそう言うと、楊汐は眉を下げた。

「そうなんですか? これは結構自信作なんです。もし度生司から逃げたくなった時は、顛末を教えてくださいね。呪詛の効果を詳しく知りたいのに、今は李道長しか協力してくださらなくて……」

 その李道長は別に協力している意図など無いのではと思ったが、それを言うと面倒なことになりそうで黙って微笑んだ。


「……楊道長」

 咳払いし、暮白が口を挟んだ。

「そういうことは、仕事が終わったあとに」

「相変わらず真面目ですね。沈道長も協力してくださって良いのに」

「私は遠慮します。あなたの呪詛のろいの実験体になったら身体が持たない」

「あら、だったら大夫だいふが治せば良いんですよ。大夫は何でも治せると聞きましたもの。そうすれば呪詛をいくらでも試せるわ」

「それは……なんというか、拷問では?」

 顔色の悪い暮白と楽しげな楊汐を見比べ、「変わった方」と濁された意味を察した。


 楊汐は小さく笑うと、一つ頷いて話を切り替えた。

「そんな顔をなさらないで、冗談ですから。とりあえず先に、仕事の話をしましょうか」

 あまり冗談のように見えなかったが、暮白はあからさまに安堵の表情を浮かべて問う。

「ここに呼んだということは、調べるのは呪詛か何かですか?」

 人の欲望を商売にする瓦市では、その分暗い欲も溜まりやすい。あちこちから来た人が入り乱れるせいか、奇怪な噂に事欠かないのも瓦市の特徴かもしれなかった。

「呪詛、とは少し違いますね」

 そう答えた楊汐は、暗い瞳を剣呑に輝かせて目を細める。


「――お二人とも、荷華かか仙女せんにょはご存じですか?」

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