三話:六
岩を抉って作られた通路を一人進む。天井は低く、閉塞感に息が詰まった。背後から追ってくる足音は無いが、油断はできない。さっさと奥まで確認して出ようと足を速めた。
狭い通路は唐突に途切れた。突き当たりには厚い木戸が嵌め込まれており、苦労して押し開けると、正面に鉄格子が現れる。
「――牢獄か」
呟いた声はわずかに反響して消える。燭台で左手を照らすと、延々と続く鉄格子が暗闇に浮かんだ。鉄格子の向こうは剥き出しの岩肌と粗末な寝台だけで、到底人が生きていられるような場所には見えない。
どこからか水が流れているのか、地面の岩肌は湿っていた。左に向かって進んでいくと、徐々に水音と――奇妙な声が聞こえた。
「……誰かいるのか?」
嫌悪に顔をしかめ、安玖は燭台で辺りを照らす。度生司に来て以来、こういう場所にばかり行っているような気がする。
奇妙な声は左に進むにつれて大きくなった。鈍る足取りで鉄格子の前を歩いていくと、不意に何か巨大な影が視界に入り込んだ。――鉄格子の向こう、牢房に何かがいる。
「……これは」
燭台を掲げた安玖は、その正体を見て息を呑んだ。
――彼はずっと、道観の奥に化け物がいると繰り返している。
鉄格子の向こう、ぶよぶよと白く肥大した影が微かに蠢動し、空気を震わせている。盛り上がった瘤のようなものが何重にも膨らんで、歪な輪郭を作っていた。
だが、何より悍ましいのはそれが人の名残りを留めていることだ。おそらく寝台に横たわっているのだろう、肥大した腕は力なく垂れ、瘤に覆われた指先が岩肌を掻いている。顔のようなものも見えたが、それも白い瘤に覆われて人相の判別も付かなかった。
何かの病人か――だが、こんな病は見たことがない。安玖は混乱に一歩下がり、濡れた岩肌に背がぶつかって慌てて飛びのいた。
その先の牢房全てに、同じような白い瘤に覆われた人間が囚われていた。燭台を翳すと嫌がるように身を震わせるが、それ以外に反応は全く無い。ただ寝台に横たわって、時折指先だけ動かす。顔が比較的無事だった人間もいたが、その人も稀に瞬きする程度の反応しかなかった。
混乱と嫌悪に、外の状況も忘れて奥へと進んだ。進むほど人形を留めていない者が多く、ほとんど白い瘤そのものに変わってしまっている人もいる。だが奇妙な声は、そのさらに向こう、一番奥の牢房から聞こえていた。
獣が唸っているような、それが何重にも重なったような奇妙に細く高い声だ。最初は意味が分からなかったが、近づくにつれて何か話しているのだと分かる。
「――誰だ?」
問い掛けると、一瞬声は静まった。ついで、いっそう大きく声がする。
「ここ、だ、たすけてくれ――」
鉄格子に鎖がぶつかる盛大な金属音が響く。投獄されていた間に聞き慣れた音だ。
安玖が駆け寄ると、牢房の中、鉄格子に縋りつく人の姿があった。燭台の炎が眩しいのか目を細める。薄汚れて年頃が分かりづらい男で、唯一白い瘤に冒されていなかった。
彼は安玖の姿を見ると、必死に鉄格子を揺すぶった。
「たのむ、だして――ここから、だしてくれ!」
男は言葉を発するたびに口端から血泡を吹き、弱弱しく咳き込んだ。安玖はとりあえず鉄格子の前に屈みこんだが、動揺に燭台を持つ手が震えていた。
「これは、……ここは、一体、何なんだ? あんた、病人なのか?」
狼狽えて言葉を取り繕う余裕も無かった。咳き込んでいた男は、無茶苦茶に首を振って叫ぶ。
「ちがう、違う! 俺は円修祖師だ!」
「――は?」
唖然として燭台を落としそうになった。円修祖師――これが、円修門の神医なのか。
そんなわけがない、と自分で思い直した。この男は自分を円修祖師だと思い込んでいる病人の可能性の方が高い。だからこんな場所に閉じ込められたのだろう。――この奇怪な瘤だらけの人間に囲まれて?
男はだらだらと血を零しながら鉄格子に縋りつく。
「あいつが――俺を――俺の身体を――俺が本物の円修祖師なんだ! あいつは偽物なんだよ! 出してくれ!」
男は格子の隙間から手を伸ばして、安玖の袖に縋りついた。驚いて振り払おうとし、動きを止める。
――これは、
「……度生司の、呪詛……?」
安玖の袖を掴む男の手首に、見慣れた刺青が彫られている。
袖が下がり、安玖の刺青も露わになった。見比べてみれば、明らかに同じものだと分かる。
顔を上げると、鉄格子越しに目が合った。錯乱した男の目の奥に、正気の色が宿る。
「――どしょう、し」
男は譫言のように繰り返し、安玖を見据えた。
「お前、あいつと、同じなのか」
口から血を吐いたまま、男は凄絶に顔を歪めた。
「――同じ? それは……どういう意味だ」
詰問を続けようとしたが、無理だった。男の身体は不意にぐらりと傾き、血の気の失せた顔で床に倒れる。慌てて鉄格子の隙間から手を伸ばし、倒れた身体を揺すぶった。
「おい、起きろ! なんで刺青がある? なんで度生司を知ってる?」
相手は全く答えない。貧血で気を失ったのだろうか。手首を掴むと、恐ろしいほど冷えていた。
安玖は途方に暮れて鉄格子の前に膝をつく。
本物の円修祖師を名乗り、度生司の刺青を持つ囚われた男。この男を助け出すべきか否か、決断する猶予はあまり無い。
「なあ、あんた一体――誰なんだ?」
錆だらけの鉄格子を握り、安玖は混乱のまま呟いた。
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