29 海の日

 寮の鉄門から少し離れたところで立っているとファミリータイプの軽自動車が目の前に止まって。

「よう」

 助手席の窓が開いて、見知った顔が俺を見た。見知ったというか、待ち合わせをしていた、こ……恋人、が。いいのだろう、そう言っても、多分。

 ロックがかかってないのはわかっている。ドアを開け急いで滑り込むように助手席に座って、これまたできるだけ急いでドアを閉めた。

 毎回これだ。面倒だと言えば面倒だが、こればかりは仕方ない。俺自身のためにも、先生のためにも。

 運転席の手元の操作で窓が自動で上がりドアロックがかかると車は発進した。車内はガンガンに冷えていて気持ちいい。

「待ったか?」

「いえ」

 一応毎度訊いてくれるが、俺も返事は毎度同じ。待たない、待たせない。俺が突っ立っていても車が長い時間停車していてもどちらも目立ってしまうからお互い時間はきっかりだ。これも少々面倒だが、仕方ない。それを承知でこうなってるのだから。俺が生徒で、相手は同じ学校の教師、だから。

「どこか行くか?」

 ハンドルを握る樫木は前を向いたまま言う。

「どこです?」

 このまま樫木の部屋へ行くのかと思っていたが。

「明日海の日だろ、海でも行くか?」

「は?」

 海の日? そう言えば。部屋のカレンダーに赤い字で印刷されていた気がする。しかし樫木が言う通りそれは明日だ。なぜ今日会っているのかと言うと明日樫木の都合が悪いからであるが。

 ……それに海に行くって、ベタだよな。良いとか悪いとか言わないが。

「明日、みんなで海に行く約束でもあるか?」

 みんなというのは学校の友達を指してるのだろう。

「ないけど」

 俺周りの友達は海の日に海に行くような「イベント大好き!」な奴はいないような気がする。そもそも小山の上にある全寮制の男子校だ。海も遠いし行き帰りが面倒、という結論になる。せいぜい行ってプールだろうがそれも近場にはなく去年そんな話はなかった。この時期海に行って何をするんだ。泳ぐのは少し早いんじゃないのか。

「じゃあ海眺めに行くか」

 眺めに……こいつはそんなに海に行きたいのか。

「先生は海が大好きなんですかね」

「大好きというわけじゃないが、今日は暑いし海風にあたって大量の水でも見れば少しは涼しくなるだろ」

 そんなものか?

 週末のプライベートな時間を毎週樫木と過ごせるわけでもない上に人目を忍びがちな分、樫木の部屋へ直行が今のところ百パーセントだ。

「それだけですか?」

 誰もいない遠いところへ行くか、長期休暇か、外出する機会はそんなところだろう。寮生活ゆえ門限があるから遠出は無理で、外泊も当然無理。長期休暇になる夏休みはまだ。

「それだけって、海行く理由なんてそんなもんだろ。それにデートコースの定番だろが」

 考えたこともない。デート云々は無視するとしても定番とかどうでもいい。定番だと言われるものは行かなきゃいけない決まりでもあるのか。

「お前、海が嫌いなのか」

「興味ないです」

「ん? どういうことだよ」

「ついでにプールも興味ないです」

「だから興味ないってどういう意味だよ」

「泳げないんで、海とかプールっていう遊びの選択肢はないんです」

 察しろよ、とは勝手すぎるか。でも興味ないってんだから言葉の通りなんだよ。興味ないっていうのは行く気はないってことだろ。

「はあ!? 泳げない!?」

 ……そんなに驚くようなことかよ。そんな人間いるのかみたいな、罪人みたいな言い方するか。世の中みんながみんな泳げるとか泳ぐのが好きだとか思うなよ。そういうのを傲慢って言うんだよ。こいつみたいな反応する奴って少なからずいるからあんま言いたくないんだよ。

 高校は水泳の授業がないし、中学もちょうどプール改修の関係でなかった。小学校はちゃんと受けたが二十五メートルを溺れるように泳ぐのが精一杯で、その時点で才能がないんだと理解した。だから小学六年生以降泳いだことはない。泳ごうと思ったこともない。

「もし足のつかないプールに投げ込まれたらどうするんだ」

「速攻溺れて死ぬんでしょうね」

 それってどんな状況だよ。

「……ホントにお前はおこちゃまだな」

 呆れたように溜め息を吐く。いちいち癇に障る言い方をする。

「ひょっとして温泉もダメなのか?」

 はあ? 何言ってんだ。

「なんでだよ、風呂と海は違うだろ」

 水が嫌いなわけじゃない。そんなこともわからないのか。……ああ、揶揄ってんだな。

「先生、俺帰るわ」

 十も年が下だからって笑ってハイハイと聞くと思ったら大間違いだぞ。いい加減にしろ。

 ちょうど車は赤信号の停車中で車線は歩道側。俺は自分でドアのロックを外して把手に指をかけた。

「おい待て!」

 引く寸前、慌てた声と同時にロックが再びかかった。ちっ。

「馬鹿かお前は。危ないだろが!」

 青信号になって車は走り出す。

 知るかそんなの。あんたが悪いんだろ。

「海に行きたければ一人で行けばいい」

「お前な……俺一人で行ってどうすんだよ。ふざけたのは俺が悪かった。温泉旅行な、そのうち行けたらと思ってたんだよ」

 なんだそれ。だったら普通に言えばいいだろ。

「お前といるのが楽しいんだよ、つい度が過ぎる」

 で。

 着いたのは結局いつものコース、樫木の部屋。

 顔は毎日合わせているのだ、なんたって担任だ、嫌でも顔を合わせる。あと足りないものと言えば。

 学校の、樫木の部屋である社会科準備室では絶対断固拒否のベトベトなディープなキスをこれでもかと浴びせられたあと。

「海の日にちなんで風呂でやるか」

「……なん、で」

 膝の力が抜けて壁に預けていた背中がずるずると落ちていこうとする俺を支える樫木が楽しそうに言った。何の関係があんだよ。それにユニットバスだ、男二人入れるかよバスタブに。

「風呂の中だといろいろ便利だぞ」

 どれのなにがだよ!

「まあ一度試してみるのも悪くないだろ?」

 ノーを返す前にシャツの下から入った手で脇を撫でられると身体の方が白旗を上げ、そのままずるずると浴室に引っ張り込まれた。慣らされてんな、俺……。

「え、ちょ……っとま……っ……え?」

 浴室に一緒になんか入ったことがない。そもそもが狭いのだ。どうにも密着しながらバスタブに入れられ……勢いよく頭からシャワーをかけられた。

「うっ……ちょっ、待てって、服……っ!」

 当然脱いでない、何も。靴下すらも。シャワーの水だかぬるま湯だかで速攻濡れネズミになる。

「まだ湯になってないからな、風邪を引くと困る」

 違うだろ、そんな理由じゃないだろ! 何のつもりだよ、着替えなんてないのに!

「ずぶ濡れってエロいな」

 バスタブの外に立って満足そうに俺を見るな!

「歩、こっち向け」

 樫木はバスタブの中でシャワーに打たれてる棒立ちの俺を引き寄せ首筋をぺろりと舐めた。

「や……濡れ、るだろ……」

 コトの開始だと言わんばかりに俺の腰に回した腕に力が入り、深いキスを貪られる。

 濡れた俺を抱きしめれば当然樫木も着ている服も濡れるし、シャワーはずっと出続けていて同じように頭からかぶることになる。

「泳げないお前と風呂ん中で一緒に溺れるんだよ、楽しいだろ?」

「……」

 シャワーで呼吸も喋ることもやや難しく感じる中樫木は言った。カッコつけたつもりかよ、何言ってんだ。意味わかんねえ。俺は溺れたくなんかないしここじゃ溺れようもないだろ。

 のだが。

「ぅん……あ……ぁ……」

 濡れながらのセックスは初めてで。そのシチュエーションに酔ったのかいつもの知った行為でも感じ方が違って、挙句の果てはシャワーの湯が肌にあたるだけでも身体がびくびくと震えた。

 最後は邪魔なものは脱いでシャツと靴下だけを残し、バスタブの中で似たような格好になって座っている樫木の上に乗るよう言われ。とうに解された後孔は硬い竿を難なく受け入れ、身を沈めた自分の重み分の快感が身体を走った。

「ぁあ……っ」

 自分から動く恥ずかしさと、その先の快感を自分から貪ろうとする恥ずかしさと、快楽に染まっただらしない顔と。

 すべてを目の前の樫木に晒しているのに自分からやめられない。もっと深く飲み込もうと、指を絡めた手に支えられて抽挿を繰り返す。

「好きなだけ動け。疲れたらベッドまで連れてってやるから」

「っん……っ……」

 上手く言葉を紡げず首を縦に振る。

 そして一つのことしかできない安い玩具のようにピストンし、何度目かのドライで意識がシャットダウンした。


「歩」

 呼ばれて目を開けると、見えた景色がさっきとまったく違うことに気付き。声の主は目の前ではなく後ろにいるようで。……俺はベッドに寝ていた。寝かせてもらった、が正しい。目を開ける直前の記憶は浴室だったのだから。

「俺どのぐらい寝てました……?」

「三十分ほどだ」

 寝返りを打つとベッドの縁に腰掛けている樫木は前を開けた綿シャツにボクサーパンツという出で立ちで。

「お前のは洗濯機に放り込んでるからあと二時間はそのままな」

 そのままというのは真っ裸でってことだろう。掛けられているタオルケット一枚でしばらく過ごせってことだ。今度二日分ほど着替えを持ってきておこう。こんなことはこの先ないだろうが外で雨に降られてってこともあるかもしれない。着替えの準備は大事だ。しかしシャツぐらい貸してくれてもよさそうなものを。

 つまりこれから二回戦なんだろう。また俺だけ気持ち良くなってただろうし。や、樫木も達ってたか……? あんまり覚えてない、やばいな。どんだけ嵌ってんだよ、ハメただけにってか。って恥ず。

「寒くないか?」

「はい」

 エアコンは何も着ていない身には少し涼しすぎな気もするが寒いというほどではない。

「さっきのだけどな」

 さっきの?

「足のつかないプールの話」

「……ああ」

 どうでもいい話だったろ。

「お前が助けに来い、が正解だ」

 はあ? そんな高慢ちきな姫みたいなこと言えるか。

「言えませんよ、恥ずかしい」

 曖昧なままの俺には言う資格もない。

「そう言うな。必ず助けに行くから心配するな」

 ……一体何の話になってんだよ。

「期待しときます」

 俺だって浮くぐらいは何とかできるからな。樫木が来るまで待っときゃいいんだろ。 

「よし。お前の服が乾くまで今度は俺が上に乗らせてくれ」

 はいはい、どうぞ。

 俺はタオルケットを剥いで樫木の腕を引っ張った。


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