36 夏の話 7

 晩飯のあと自室で友達と取り留めのないメッセージのやり取りをしていると、待ってたというか待ってないというか樫木のアカウントからメッセージが飛んできた。

 ……。

 しかしそれは思いもよらないもので。

 写真が送られてきたのだ。橋口さんとのツーショット。居酒屋だろう背景で、肩を寄せあった自撮り。やっぱり飲みに行ったのか。

 そして待ってるよ、と一言添えてあって。

 これは。

 樫木が打ったものじゃない。酒に呑まれてるのか楽しそうな緩んだ顔で樫木は写ってるが、恐らくここに来いという意味じゃない。連絡を待ってるってことだろう、これは橋口さんからのメッセージだ。

 この後、二人はどうするのだろう。十一時になろうとしてる時間だ。

 何考えてんだ、俺。そんなことどうでもいいだろう。二人がどうしたって、俺が口を挟むことじゃない。決めるのは樫木だ。終わってるって言ってただろ。もう何もないのが普通だ。


「連絡くれると思ってたよ。多田君」

 後から来た橋口さんは席に着くとにっこり笑った。

 今日は出勤だというので、昼休みを使って町中華の近くの喫茶店で会うことになった。外回りだから割と時間使えるよとは言っていたが。

 樫木には何も言ってない。言うことではないし、昨日あれから連絡もなかった。二日酔いで寝てるかもしれない。朝まで一緒だったのかもしれないとか考えが過ったがつまらないので打ち消した。

 結局、橋口さんの思わせぶりな言葉に負けたのか己に負けたのか、樫木のアカウントから橋口さんのメッセージを受け取って二時間後、橋口さんの名刺にあったメールアドレスに連絡した。夜中に失礼とは思ったが、見なきゃいいのに酔っぱらいのツーショットを眺めていると何だか腹が立ってきて。どうせ起きてるんだろうし、会うことはないと言いながら待ってるって送ってくるんだから何時だって構わないだろうと。何かを試されてるのか、ダメ押しをしたいのか。俺は何も見えないことのイライラを解消したいから。話を聞くだけだ。

「先日はすみませんでした」

「ああ、君が一向に答えてくれなかったこと? 自分を守りたかったのか智を守りたかったのかわからないけど慎重な子なんだなと思ったよ。昨日、既読ついたからわかってると思うけど僕が誘って飲んだよ」

「はい」

 と言うしかないだろう。そんなの好きにすればいい。

「智って酔うとガードゆるゆるでさ、一応秘密事項だろうに自分から嬉しそうに君のアカウントを見せてくれて。それで写真送ってみたんだよ」

「そうですか」

 樫木が止めなかったのは酔っぱらいすぎて気が回らなかったからか。まあ見せた時点で終わってるよな。

「智の様子を見るに君は恋人ポジなんだろうけど、でも智はまだ一夜の相手を見つけて寝てるんじゃないの?」

 は?

「僕と別れた後もそんな生活をしてたって言ってたけど、君だけじゃ足りないんじゃない?」

 足りない?

「僕はいいと思ってるよ、それでも。智はいつもいろんなぬくもりを欲しがってて、僕一人じゃ賄えないんだ」

「どういう……」

 つい零してしまった。

「智は高校時代、僕と付き合ってるのに他の男とも寝てたよ」

 ……。

「いろんな男で快楽を満たして最後に眠りに帰るところが僕であればいいと思う。そういう場所が智には必要だ。そんなの君は受け入れられないだろ? 自分一人を愛してほしい、誰だってそう思う」

 依存症みたいなこと言うなよ。樫木はそんな人間なのか? 今もそうだっていうのか? 待って。頭が追い付かない。

「当時僕はそんな智から逃げたんだよ。智が他の男と寝ることに耐えられなくて、なのに僕が一番なんだと離そうとしないのが辛くて卒業と同時に智を突き放した。君もきっとそのうちそう感じるかもしれない。でも今なら僕は受け止められる。社会に出て大人になったし、今も変わらない智を愛してると思う。あれから十年近く経ったけど、智との時間が一番愛おしい」

 手に負えない、と言ったのはそういう意味なのかよ。あいつは隠してたのか? いや、まだそうだと決まったわけじゃ。

「智が他人を過分に求めるのはね、家族がいないからなんだよ。多分愛情を抱えきれないほどに欲しかったんだと思う。肌を重ねることで心を埋めてたんだと思う」

 ……。

「小さい頃から施設で育って、全寮制の高校へ入った。僕らの学校は君もわかると思うけどいい環境で勉強も生活もできる。入学するためにかなり頑張ったって言ってたよ。そんな中で僕たちは二年生の時に同じ部屋になってね。最初はお互い性的指向が曖昧だったから試行錯誤したけどとてもいい関係だった。最後は駄目になったけどね。智の望むパートナーにはなれないと思ったんだ」

 情報が多過ぎる上にこれは橋口さんから聞いてはいけない話だ。頭がパンクしそうだ。

 樫木は話してくれなかった。でもこの先いつか話す機会があったかもしれない。初っ端から出自の話をする奴はいないし。隠しておきたかったのだろうか。俺だって進路相談で初めて自分の家の中の立場を話したし、きっかけがなければ辿り着かない。

 でも樫木がどんな出自であっても俺には関係ない、と思う。目の前の樫木が俺の樫木だ。

「高校生の僕は家族がいない智の人生を受け止めるだけの覚悟はなかった。一人ぼっちの智のすべてを抱きかかえてあげるのは無理だと思ったし、僕を抱きしめる智の腕がとても強くて怖くなった。君はどう?」

 どうと言われても、今知った話に上手く即答できるほど頭の回転が速いわけでも、樫木に対して勢いがあるわけでもない。飲み込むのが精一杯だ。しかも上手く飲み込めてない。

「だから君が辛くなる前に、智が失望する前に、智から離れてくれないかな」

 この人の言いたいことはわかった。樫木の全てを受け止めるだけの準備はできてる、お前にはそれがないだろうと。

 橋口さんは樫木と同い年で学生の頃から知ってて。俺は樫木と十離れてて樫木はいわゆる大人で俺はガキで。やっぱりそこから違う。樫木の人生を受け止められるとかそんな器はないし。

 ……最初から無理な話だ。

 明日やせいぜい一年後を見据えるのが精一杯だ。樫木の求めるものを差し出せる自信は、ない。

「昨日は……いえ、なんでもないです」

 こういうことは言うべきじゃない。みっともないだろ。

「ああ、もしかして飲んだ後どうしたかって? 店の前で別れたよ」

 本当だろうか、なんて疑う俺は何なんだよ。もういいだろ。

「納得しない? じゃあ本当のことを言うね」

 え?

「智と寝たよ」

 そうか。

 疑うのも嫌だし、疑った通りなのも嫌だ。ヨリを戻したってことか。もう本当に俺は。

「……わかりました」

 何がわかったのか自分でもわからないが、そう言わないとここを離れられない。一刻も早く店を出たかった。

「うん?」

「樫木せ、さんにちゃんと言いますから」

「うん。わかった。頭のいい子は話が早くて助かるよ」

「失礼します。これ、」

 財布を取り出して千円札を置く。頼んでくれたホットコーヒーは早々に冷えてたけど口を付けられなかった。

「あ、いいよ。ここは僕に持たせて。智と一緒にいてくれてありがとう」

 立ち上がった俺の手に橋口さんは置いた金を握らせたけど押し問答する気分になれず、俺はそのまま店を出た。今度こそもう会うことはないだろう。

 俺だけを見てほしいとか、少女漫画みたいなことを思っていたわけじゃない。

 この関係が永遠に続くのだろうと思ったこともない。

 だけど、それが今なのか。まあ、いつ来たって同じことだよな。終わりは終わりだ。

 俺は。

 恋人が欲しかったのだ。ずっとそう思ってた。

 そして願いが叶って。


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